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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
34/110

034 消息


「……まさか」


 思わず声がうわずる。

 あぁ、この彼は私を何も考えていない軽薄な女だと思っているのだ。

 だから特に意識するでも無い、取るに足らぬ者を見る無関心な視線で見つめていただけだったのだわ。


「我々はあなた方が思うよりも遥かに誇りを大切にします。虚仮にされたと……彼は思ったのでしょう、特に彼は自分の名誉に関して貪欲なので」

「それで家族は……私の父や姉は今どうしているのですか?」

 その事しか考えられなかった。

 大丈夫だからと、私を送り出してくれた父はそうなる事を知っていたのだろうか。


 けれど彼は私の質問に答えるのではなく、私の両隣に座ったアルマンスールの兄弟2人を見つめていた。

「あなた方が時々ひどく情に深いとは聞いていましたが……今回はあまりにもお人好しに過ぎますね」

「他の事情もあってね……けれど君達にとって悪い話ではなかったのだし、むしろ今後の利益としては大きなものだろう?」

 まるで対等の者のような口調のラウドラチャクリンに、使者は何の違和感も抱いては居ないらしい。

 同意の印に頷いて、更に話を続ける。

「勿論です。こんな事でシュヴァーゼのあの下衆を下せるとは思ってはおりませなんだので……我が主は貴方がたには更なる優遇を約束出来るとまで仰せです」

「それは有り難いね、彼にはまだ考えがあるようだから……次に会った時に相談したい事もあるし」

 思わせぶりな使者の台詞に、返すラウドラチャクリンの返事も何やらいわくありげだわ。


 でも私が知りたいのは今はその事ではないの。

 じりじりしながら右隣に座っているラウドラチャクリンの話の切れ目を待っていると、使者が再びこちらを向いた。

「元々貴女のお父上は、バーラートにおけるユグドラセア貴族の中での商取り引きで抜け駆けを計っていたので……あまり評判の良くないシュヴァーゼの藩王と組む事にしたようですね。けれど藩王は両者の利益以外にも目を付けて、二人の娘のどちらかを自分の後宮に入れようと画策し始めた」

「商売相手を選ばないと……見本だね」

 さらりと付け足したラウドラチャクリンを、私はつい睨んでしまった。

「慌てたのでしょうね貴女の父上も。そして妃になる筈だった娘が姿を消し、怒った藩王は娘を手配し、残る父娘を拘束してしまった、と。とはいえ相手は他国の貴族ですし、現在のバーラートにおいては大きな貿易相手国でもありますから……我々がそれに気付けず、またラウドラチャクリン殿の知らせが遅れていれば大事になる所でした」

「大事って……?」


「ユグドラセアにとってバーラートに軍隊を派遣する為の良い口実になるところだった、という意味だ」


 ラウドラチャクリンと使者の会話が理解出来ていなかった私には、ファドラーンの説明でも話が大き過ぎてついて行けなかったわ。

 さぞきょとんとした間抜け顔をしていた事だろう。


「貴族の1人や2人が拘束されたからって……」


 そんな事で国同士が衝突するなんて考えられなかった。

 私が理解出来ていないので重ねてファドラーンは口を開く。

「三段論法という奴だよ。自国の貴族を手ひどく扱ったということは、ユグドラセアの貴族を侮っているのか、ならば実力を見せてやるぞってね」

「だって海の向こうの国よ?軍隊を派遣するにももの凄い費用だわ。時間だってかかるし」

「確かに遠いね。けれどその相手の国には……計り知れない程の埋蔵量を持つ鉱山や、莫大な富を生み出す珍しい文化、貴重な香辛料……そして……自分達の都合の良いように働かせる事が出来る奴隷とするべき人間が居るとしたら?」

「……つまり私達の些細な諍いは只の口実というわけね?」

 ようやく状況を理解したと、彼は形だけの笑顔で続けた。

「悲しいかな……それが現実の国同士の状況だ」

「それを知らせて頂けたお陰で……我が主はシュヴァーゼの藩王を出し抜き、彼を逆に拘束したのですよ。以前からラウドラチャクリン殿の助言で組織していた小藩王の連合議会での決定という切り札を使って。もしユグドラセア側からの抗議があれば、既に藩王の処罰は行われ……捕らえられていた貴族も無事。更に賠償か制裁をとの要求があっても、シュヴァーゼの領内からの税とその藩王家の財産で対応出来ると見込んでね。バーラートでも屈指の家柄を誇った家系ですから、蓄財もかなりのものなのです。この対応がもし遅れていれば……自国の貴族を救出するとの大義名分を掲げたユグドラセアの軍を拒む事すら、我々は出来なかったでしょう」


 そう言って使者は改めてファドラーンとラウドラチャクリンの2人に頭を下げた。

 それが彼なりの敬意を表しての仕草だとは、この話を聞いてしまった今なら容易に理解出来る。

「では私の家族は……」

「現在はジャヤル王家の客として、我が藩王の城に滞在しておられます。お2人ともお元気で、ただ貴女のご無事を案じておいでです」

 その言葉に力が抜け、知らずに力が入っていた肩が落ちるのが自分でもよく分かった。  ようやく口にした言葉も震えてしまい、ファドラーンが私の左肩に手を掛けて励ましてくれなければ泣き出してしまいそうだった。

「あぁ……無事だったのですね、良かった。……父はまさか自分達まで拘束されるとは考えては居なかったのだと思います。ただ私が姿を消して……藩王の行状に批判が集まれば彼が私を諦めるだろうと……考えていたので」


「君たちのユグドラセアであればそうなったかもしれないね。けれどバーラートではそんな批判なぞ起きてはならないものなんだ。藩王に口出し出来る者は居ない。……だからこそ、他国に付け入る隙を与えない為にも……藩王同士で相互に監視し、また逆に協力出来る組織が必要だったんだよ」

 そう言葉をつなぐラウドラチャクリンも初めの皮肉った言葉遣いではなく、諭すような口調になっていた。

「そしてそれが早速役に立ちました。提唱者である我が主の評価も更に高いものになりましたし……」

「あとは、そう、同じように足元を掬われないように……自領内の管理をも抜け目なく行う事だな」

 使者に対してラウドラチャクリンはよどみなく次の段階を指示する。

 けして気が抜けない難しい世界を知り尽くしている、そんな印象のラウドラチャクリンが本当は何者なのかと、安堵する心の隅っこで再び疑問が湧き出していた。


「ジャヤルの主はラウドラチャクリン殿……貴方に、自領内に留まり……相談役として御仕え頂きたいと重ねてのご要望です。現相談役のエンウェル殿も御身がおいで下されば退任なさると明言なさっておいでで……」

 相談役と言う役職が、時には宰相職にも匹敵する権力を持つ事は以前にシュヴァーゼで学んでいたわ。

 その任に相応しいとジャヤルの王に見込まれる程の存在なのだ、彼は。

「その話は既に済んだはずだよ。わたしは気楽な商人の方が性に合っているんだ。根無し草のような男を抱き込もうとしても無駄だよ、どんな餌をぶら下げてもね。あと、エンウェル殿には自信を持て、とわたしが言っていたと伝えておくれ」

 柔らかい笑みでそう言い切られて、使者は仕方なしに口をつぐんだ。

 彼等の間ではこれまでにも何度となくこの話題は繰り返されて来たのだろう、どちらかというとしぶしぶ引き下がる、そんな感じだわ。


「餌って……?」

 ただ話の中にあった疑問をつい口にしてしまった私の問いに、使者は自嘲的な笑みを浮かべる。


「藩王の5人の姫君の内只お一人、未婚の末姫の婿君にと。……掌中の珠の如くとりわけ大切になさっておられる姫なので……かの姫の夫となりし者は、王位継承も可能であろうと言われております」

「うわ……ラウ……逆玉の輿?」

「……イェライシャ……勘弁してくれ」

 思わず口にした言葉に、流石にがっくりしたらしいラウドラチャクリンが呆れ顔で肩を落とすのが人間臭くて、先程までの得体の知れなさが薄らいで行く。

 しかも隣でファドラーンまでもが肩を振るわせて笑いを堪えているのが伝わって来た。

「ご免なさい、何か……自分が安心したものだから、口が過ぎたわ。……ラウ怒った?」

「……いいや。君が元気になったのなら良しとするよ」

 何とか笑顔を浮かべた彼がそう答えをくれたので、ほっとした表情になった私にジャヤルの使者が改めて尋ねて来た。


「これで貴女がもはや逃亡生活を送る必要は無くなりました。ご家族は……貴女がお戻りになるのを望んでおられるのですが……どうなさいますか?ここからラワル峠を越えてルクアディナルファへと入ってしまえば……戻る事は容易ではありません。」

 ……戻れるのだ、家族の元へ。

「お望みであれば、ジャヤルの領へとご案内致しますが」

 何だかそう言われてしまうとこれまでの覚悟が揺らいだ。


 もう……戻らない、戻れないつもりで旅に出たのに。


 身を守る為に髪を切り、あまつさえ染めて人目を誤魔化しながら彷徨って来た。

 いつの間にか守られながらではあったものの何とかここまでやって来たのに。

 ふと見上げたファドラーンが安堵したような、それでも何処と無くぼんやりした笑顔を浮かべているのに気が付く。


「それでもまだ……戻りません。やりかけた事があるの、それを途中で放り出しては行けないわ。……それに私はこの旅を逃亡だなんて思っては居ないの」


 結局、ようやく口から出たのはそんな言葉だった。


 ジャヤルの使者は呆れたような表情を浮かべ、ラウドラチャクリンとファドラーンは別段驚くふうも無かった。

「成る程、判りました。ではその時はこれをお渡しするようにと主から言付かっておりましたので。ご確認下さい」

 諦めたような口調でそう言うと、彼は懐から小さな包みを出して来た。

 受け取って中を改めれば、正式な身元保証の書類が入っている。  

 それもジャヤルの主の直筆と思われるもので、金泥で押された印鑑が派手はでしくも重みを添えている。

 そしてさらに、ルクアディナルファへと渡るのにあれば有利だなと思っていた紹介状も用意してあった。

 相手はルクアディナルファ王の側近とされる侍従長ナムリとなっている。

 これだけのものを用意するのにはかなりの金額とコネがなければならない筈で、慌てて使者を見上げると彼も心得た顔で返事を……問うても居ないのに……口にした。

「こちらにおいでのアルマンスール家からの依頼です。いずれ入国には必要ですから」

「私が諦めないだろうって判っていたの?……それに何時の間に?」

「多分わたしが見込んだ者ならそう言うだろうと……見当を付けていた。だから手配しておいたのだが……役に立てば何よりだ」


 振り向いて問い掛けた私にラウドラチャクリンはさらりとそう応える。

 わたしが見込んだ……その言葉に正直かなり動揺した。

 それだけではなく、頬が赤くなるのも自覚してしまう。

 見回すとジャヤルの使者も、そしてファドラーンでさえもがラウドラチャクリンを見つめている。

 ただファドラーンの瞳に浮かんでいたその表情が何なのか、読み取れなくて、一瞬迷った。

 だってそれは、羨望の眼差しだったから。

 自分には無いものを持つ者に向ける視線とでも言うのだろうか、同時にそれを、そんな視線を向ける事を自らに戒め続ける意志が束の間緩んだのだとも受け取れる。

 けれど、私の知っているファドラーンは決して誰かを羨んだりする性質の男性では無かったわ。

 ましてや相手は表向き自分の弟なのよ。……そう、表向きは。


「この書類で君の当面の身元保証人はジャヤルの藩王と言う事になる。ルクアディナルファへ入国してからこの……ナムリという人物に会うまではね。それからは彼の庇護下に入って……貰わねばならないが。ナムリが我々の考えに理解を示してくれれば君は晴れて自由だよ、但し単独行動は慎んで貰わなければならないがね」

 この2人の保護者に迷惑を掛けない為にもね。

 そう言ってラウドラチャクリンは私に釘を刺す。


「これに掛かった費用もきちんと精算させて頂くから、覚えておいてね」

「……それは困ったな。この件では我々が得る利益の方が大きいんだ、相対的にね……だから、精算なんてしたらこっちが困るな」

 他の事で口を開けば彼等の素性を問いつめてしまいそうで、少しばかりふざけたニュアンスも込めてそうラウドラチャクリンに注文を付けた。

 それを知ってか知らずか彼は笑顔でふざけて返してくる。


 確かにこの旅で掛かった費用は、最後に精算するという当初からの約束があり、その間の旅費や雑費と言う類いのものはアルマンスール家が負担してくれていた。

「あら、大丈夫よ?貸しにしといてあげるから」

 そう笑顔で言葉を投げ合いながら、その向こうで何を考えているのか、複雑な表情のファドラーンが気になって仕方なかった。



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