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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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032 クム・ウタール


 国境の街、と呼ばれているクム・ウタールは、正確にはイクシールからルクアディナルフアへと抜ける最後の街だった。

 ここから先、街道沿いのその次の街はもうルクアディナルファの領だという。

 国境の街と言う物が存在しない理由は、丁度その場所には関所ではなく難所と呼ばれる峠があるからだ、と教えられたのはツァイデアルのアルマンスール家でだった。

 地図を見比べていた時に、隣でラウドラチャクリンと荷物の事で話し合いをしていたファドラーンがそう教えてくれたのだと思い出して、少し胸が痛む。

 風が少し強くなったように装って、ルツィエラに貰った外套の胸元を合わせては痛むそこを押さえてみたが、心の痛みに効き目のあろうはずも無い。


 旅の日程をこなすにつれ風景も変わり、風が吹かない日は無くなった。


 ルツィエラから貰った外套は暖かく、冷たい風から私を護り早速役に立ってくれている。

 森や林と言った大きな木立は姿を消し、高地らしいごつごつした岩肌と、時折馬の肩まであるかないかの薮のような物が、道とおぼしき踏みならされた跡の脇に姿を見せるくらいの単調で殺風景な道行きだ。

 遠くに見える集落は石を積み上げた風よけと背を低く押さえた裾広がりの建物の集まりで、更にその向こうには農地だろうか、開墾された若々しい緑の広がりが見える。


「こんな寂しい土地でも人は住むのね」


 独り言のように呟いたつもりだったが、耳聡いラウドラチャクリンには聞こえたようだった。

 さり気ない手綱捌きで隣へと馬を寄せてくる。

「あれは…この辺りの高地で作れるように改良された麦の一種だよ。集落毎に共同で農業と放牧をしているんだ。じきに来る雨期の前には収穫してしまうんだろうね…あの麦は」

「雨期って…もうじきなの?毎日雨なの?」

「太陽がどんな色をしていたか忘れてしまうくらいね。もうあと半月も経たないうちに…旅の出来ない季節になる」

 おどけたような言い方でも、交易を主とする商人らしさを滲ませる。

「それまでにはルクアディナルファの首都についている予定なのね?」

「かなり……前には着いているよ」

「その前に今日の目的地だよ」

 何時の間に側に来ていたのか、ファドラーンがそう言って前方を指し示して見せる。


 その先には今まで見ていた集落よりも大きな、町と呼べる程の建物の群れが見えていた。

「ミシェイルさんとはここで合流するのでしょう……?」

「明日の朝、出発する頃には合流して来る事になっているよ」

 ファドラーンの答えに、今夜のミシェイルは家族との夜をどう過ごすのだろう、と考えた。

 彼もまた家族と離れ、暫くは会えなくなるのだもの。

 ましてや旅には不向きな雨期が来るとあれば尚更だわ。

 だんだんと近付いてくるクム・ウタールの町は、眺め渡す限りではこれまでに通り過ぎて来た村と良く似ていた。

 外周を取り巻くよう麦の畑が耕され、その所々に家畜を飼っているのだろう囲いが見える。

 けれど方角に拠っては、この辺りではあまり見た事のない背の高い木々が家々を囲むように茂っている。

「防風林って言うんだよ」とは隣に居たファドラーンの説明だ。

「それなら私の国にもあったわよ。でも……いつも思うんだけれど、こんなに風が強くて倒れたりはしないの?」

「さぁ……見た事は無いが……時々はあるんじゃないかな。風の強い季節は長いからね」

 曖昧な説明。

 彼もこの辺りに住んだ事は無いらしいと勝手に憶測してみた。


 街の中に入ってみると牧歌的な風景はすぐに途切れ、幾つかの店が軒を連ねる商店街のような区画が代わりに続いていた。

 街の中程にある広場には、幾つかの簡易テントのような物が設置されて、市場だろうか生活に必要な物が多く並んでいる。

 ここが国境の手前の街だと、この風情で納得させられたような気もするわ。


「何を調達するの?」

「食料や防寒用の毛布や……峠越えに必要な物資。峠を挟んで二日は野宿になるから」

「全く何も無い空の下で眠るの?」

 風の強い地域の気候を考えながらファドラーンに問う。これは相当厳しい夜を覚悟しなければならないかしら、と考えていた。

「風よけになる物は何とかあるよ、皆が使うルートだから滅茶苦茶厳しい道じゃないし、きちんとしたテントを張るしね。雨期の前の今は夜の冷え込みも……多分君が考えている程厳しくはない」

 旅慣れている彼等の言葉に幾分か安心しつつ、今夜の宿らしい古い建物に着いた。

 先程の市場からさほど離れていない場所にあるその宿へ馬と荷物を預けると、ファド達は早速出掛けると言う。

 取り立てて何か必要な物がある訳ではない私は、このまま宿で休んでいるか彼等について行こうか少しの間迷った。


「……どうやらイェライシャには一緒に来てもらった方が良さそうだ。廻りをきょろきょろしないで……そのまま自然な感じでわたし達に付いておいで」

 けれど脇を通り過ぎる瞬間低いラウドラチャクリンの声が耳元でそう告げた時、何か、彼等が異常を感じ取ったのだと咄嗟に理解した。

 どう言う訳かラウドラチャクリンも外套のフードをすっぽりとかぶり、表情を、或いは顔をだろうか隠しているふうだ。

 何人かのメンバーを宿に残して、ラウドラチャクリンとファドラーンそして私と他数名が買い物の名目で宿を出た。

 途中で更に二手に別れた私達は、とりとめの無い事を話しながら、まだ人の流れが残る市場内を歩き回る。    

 そして時々人混みの中で、見覚えはないものの印象に残る顔を何度も見かけるのにようやく、気が付いた。 


 ……たしか宿に入る直前にすれ違った男達のうちの一人だわ。


 何故覚えていたのかは判らないが、何となく目元の辺りと顎の雰囲気に違和感を覚えたせいかも知れなかった。

 この辺りで見慣れた人々の顔つきよりも幾分謎めいて、表情が解りにくいと言うよりは、何を考えているのか判りにくい。


「彼等をあまり見つめないように。あれでも……地元の民に紛れているつもりなんだから」

 隣で商品を物色していたファドラーンが笑顔で品物を私へと差し出しながら、その表情とは縁のない事を口にする。


「彼等って?」


「初めて見たんだね。彼等がクァーナの民だよ」

 さらりと、自然な笑顔でそう告げるファドラーンをじっと見つめてしまった。

 なるべく表情を変えないように努力はしたけれど、成功したかどうかは……自信が無い。


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