028 改めて外出
昼食の場にラウドラチャクリンとともに現れたイェライシャは、廻りの者達とも何事も無かったように言葉を交わして食事を済ませた。
ルツィエラに声を掛けられて部屋を出て行ったのはそのすぐ後だ。
「彼女の荷物のチェックをするんだそうだよ」
何となくその後を目で追っていると、尋ねても居ないのにラウドラチャクリンがそう言う。
それを聞き流しつつ午後からの予定を立て直そうと頭の中を探る。
当初の予定だったイェライシャとの外出は無いだろうと、確証はないものの……そう思えたからだ。
そんな俺を立ち上がりつつ見下ろしたラウドラチャクリンは、何処と無く含みのある言葉で口を開いた。
「昼からの予定なら空けておいた方が賢明だな。どうせ必要なものはクム・ウタールで調達するんだし」
「あなたはこれからどうするんです?」
見上げると、穏やかな、それで居てまだ何か隠しているような瞳が軽くウィンクをして寄越した。
「徹夜明けなんだよ、少しは休ませて貰わないと」
心持ち情けない声で……わたしももう歳だしね、とさらりと続けられては憎まれ口の一つも叩きたくなると言うものだ。
「一番無茶をする人がそれを言っちゃ、お仕舞いでしょう」
「ははは、まあ……良いから、お前も今日はのんびり過ごす事だな。ラワル峠を越える為にも英気を養っておかねば」
「……そうします」
素直にそう答えると満足したのか彼も部屋を出て行き、残った俺はそれでも何となく厩に向かっていた。
馬という動物が好きだと言うよりは、大切な移動手段としての彼等を労る気持ちの方が大きい。
取り敢えず俺の馬とイェライシャが明日乗る予定の馬の装備をあらかた点検する。
鞍を固定する為の革が緩んでいないか、金具は痛んでいないか。
鐙の細かい金具すら見直して錆を落とす。作業をしている俺の隣で、外に連れ出してもらえると思ったのだろうか、人待ち顔で落ち着かない馬達の気配に、つい笑顔がこぼれた。
朝の出来事で少しばかり強張っていた心がようやく少しだけほぐれ、馬の頬や耳の後ろといった柔らかい場所を撫でてやる。
それだけでは物足りないとばかりに、馬は前足で床に敷き詰めてある干し草をかき回す。
その様子に込み上げた笑いがいつの間にか笑い声になっていたと、自分では気付いていなかったのが我ながら間抜けだったが。
「……随分楽しそうなのね」
かなり無防備だったろうと思う俺の背中にそんな声がかけられて。
その声の主は、怒り任せに当分俺を無視するだろうと思っていただけに、驚いて振り返る。
目に入ったイェライシャは、まだ幾分納得がいかないと言う表情だった。
俺のすぐ傍までやって来ると、居心地悪そうにそれでもようやく言葉を紡ぎ出す。
「今まで私の荷物を見て頂いていたのだけれど、出来れば此所で手に入れておいた方が良いものが幾つかあるの」
そこまでを何とか口にして、少しばかり躊躇う。
「それで……えっと……あの、出来れば一緒に行って欲しいんだけれど。まださすがに私ではこの街は不案内だし。でも貴方にも用事があるのなら……一人でいくから、馬を貸して下さる?」
「母さんが何か言ったのか?何も俺でなくとも街での買い物に出られる奴なら他にも居るだろう?」
つい、冷たい響きが入ってしまったような気がしたが案の定、その言葉にイェライシャは頬を紅潮させて俯いてしまった。
「他の人は皆用事があるみたいだし、ラウが一緒に行ってあげようかって言ってくれたけれど、彼は……夕べ殆ど休んでいないのでしょう?頼めないわ。だから」
「君を一人で行かせたりしたら、俺はルツィエラにお仕置き喰らっちまうだろうな」
俺の問い掛けにそう答えた彼女に渋々ながらという風情を装って、本当はかなり嬉々としてだが……返事を返す。
しかし同時に、彼女が断るのを計算に入れた上で同行を申し出たラウドラチャクリンの真意を計りかねてもいた。
「別に、無理に来てって頼んでいる訳ではないわ。何とか方向も判るし」
俺の言葉から拒絶だと判断したのかイェライシャはそう続けた。
心もとなさそうなのは隠し切れてないが。
「駄目だと言ってる訳じゃないだろう?行き先は何処?」
「地図を描いて下さったわ、ここで別に書いてもらったメモを見せれば揃えてくれるだろうって」
「判った。馬の準備は出来ているから、すぐに出かけられるよ」
イェライシャの差し出した紙を覗き込んで場所を確認すると、錆で汚れた手を洗いながらそう答える。
けれど、彼女はまだ躊躇いがちに立ちすくんだままで。
「どうしたの、イェライシャ?」
「……いいの?」
「何が?」
戸惑ったような問いにどうしたのかと問いかけると、かなり細い声でそう返事があった。
素知らぬ振りで訊ねかえす。
「……怒っていると思っていたわ、朝の事で」
「怒ってないよ。むしろ言葉を間違えたと、思ってる」
「間違えた?」
意外そうに聞き返すイェライシャの前に立ち、見下ろして彼女の視線を捕まえる。
我ながらぎこちない表情をしているだろうとは思うが、それでも柔らかいものになるよう、言葉も、努力はした。
「そう、あんな言い方では君が反発しても仕方が無かったんだ。だから言い方を間違えた俺が悪いんだ、嫌な思いをさせて悪かった。すまない」
「本当にそう思っているの?」
心持ち頭を下げて言葉をつないだ俺。
居丈高に優越感を主張するのではなく、俺の反応を伺っている、そんな雰囲気の彼女の返事にきちんとした説明が出来るかどうか、気持ちが伝わるかちょっと不安だったが。
「君が傷付くかもしれない、とはあの時の俺には配慮出来なかったんだ」
「どうしてかって聞いてもいいの?」
「いくら君がラウドラチャクリンを気にしていたからって、つまらないジェラシーで言葉の選択を誤った……なんて本当は恥ずかしくて言えないんだけど」
「……言ってるじゃない」
ふと、彼女の言葉に余裕が生まれた。
表情もかなりやわらいだものになり、俺もようやく詰めていた息を吐いた。
「私の安全の為に皆が気を配ってくれているのを知っては居たわ。けれど面と向かって立ち入るなと言われてしまって、でもそれを受け入れてしまったら、自分が己の身を守る為に利己的になってしまうような気がして悔しかったの。感情的になった事は、申し訳ないと思っているわ」
「俺たちが君を拒絶している訳ではないのは、判ってくれているよね?」
心配になってついそう口にしてしまったが、きっちりと淡い金色の瞳に睨み上げられてしまった。
けれどその彼女の暖かい瞳の色に見とれてしまう。
髪の色から惹かれ始めていた筈なのに、少し暗い色に染めている今の方が綺麗に見える。
この色の方が今まで髪の輝きに隠れてしまっていた瞳の色を引き立ててくれているからだと、ようやくそれに気付いてどうしようもなく嬉しくなる。
きつく睨まれているのに微笑んだままの俺に、イェライシャは諦めたようなため息をついた。
「それは判っているわ、大丈夫。でも、だからこそ、貴方のあの態度には腹が立ったのよ。理不尽だとは思わないの?」
「判っているよ。あの言い方じゃ君は腹が立つばかりだったって言うのもね。だからさっき言っただろう?言葉の選択を誤ったと。けれど判って欲しい、ここから目的地までの間には様々な監視の目がある」
「それで……?」
再び微かながら固い雰囲気を漂わせる彼女の返事。
けれどそれに圧されるわけにはいかなくて、そのまま言葉を続けた。
「外部の者から見て、君と俺たちがあまり親し気にしていては、君が自分の国に戻った後でも安全ではないかもしれないから、と思ったんだ。他国の者であっても、欲しい情報を持つ可能性のある者には容赦しないんだよ、特にクァーナは。あってはならないことだけれど彼等は君や君の家族に手を出すかもしれない。それが心配なんだ」
「どうして?私が国に戻るなんて事が……あると思うの?」
故国に戻ると言う選択肢を目の前に突き付けられて、明らかな動揺がその声にも現れる。
「無いとは言い切れないんじゃないかな。君の家族の居る国だ、懐かしく無い訳が無いだろう?それに俺の国にしても、別に楽園と言う訳でもないし。国民も殆どが普通の人間だ。正直に言えば、本当の姿を見て君が失望しないとも限らない」
「自信が無いのね?」
「そうだな、無いな。俺自身にも、自分の国についても。この先の事も判らないしね。だから俺は、今自分に出来る事を精一杯こなそうと思うだけだ。少なくともそれが俺の評価になる訳だし」
少しばかり義務的な言葉に、まだ居心地悪そうにしている彼女をこの場で納得させるのは難しいと判断して、既に点検の済んだ鞍を馬の背に装着しはじめた。
「取り敢えず出かけよう。日の暮れるのは早いんだよ?知っているだろう」
まだ幾分か納得いかない顔の彼女を鞍に押し上げると、外套を身に付けもう一頭の馬に跨がった。
2人乗りじゃないので訝し気に視線を送って来たイェライシャににっこりと答える。
「明日からの為に馬を休ませてやりたいんだ。まさか一人では馬に乗れないとか、一緒が良かったとか……言わないよな?」
「言わないわよ」
ムキになって突っかかってくるのを期待したのに、気の抜けたような返事が返って来た。
動いて良いと、馬への合図のように鞍の後ろに体重を掛けて、動き出した馬から振り返ってみる。
後からついて来る彼女にちらりと目をやって、一瞬だけ視線が合ったものの……すぐに反らされてしまい、多分、自分がまたしても何処かで言葉を誤った可能性があるのに気付いた。
へたれっぷりが加速して行くファドラーン。
名誉挽回出来るのか?
イェライシャ、イメージ画像を追加してみました。




