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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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027 束縛と拒絶


 昨日と同じように窓からの微かな明かりに起こされた私は、すぐに起き出すでもなくのんびりとベッドの中で昨夜の事を思い出していた。

 昨夜のゆったりとした入浴のおかげだろうか、昨日の朝とは違う、緊張も抑圧感も無いさわやかな目覚めだった。


 そんななか思いを巡らせたのは一足先にこの屋敷を離れたというミシェイルの事。

 彼の家族って、両親と兄弟?

 それとも妻と子供とか?

 どんな人たちなのだろう、やはりフィルダウスの民なのだろうか。 


 この街まで一緒に旅をして来た隊商の人達は殆どが独身のようだった。

 皆、とても親切で礼儀正しく、親身に世話をしてくれるのだが、親兄弟の話をしてくれた人は居なかった。

 多分家族についてはっきりしているのはファドラーンくらいのもので、ミシェイルに彼の家族の事を訊ねたら、彼は答えてくれるのだろうか。

 とりとめも無い事を想像しながらも記憶はその後のファドラーンの言葉に留まる。

 「彼が背負う重荷を少しでも……」

 そう言っていた彼の優しい瞳に、ファドラーンが上司に当たる人物に忠誠以上に暖かな思いを抱いているのを確信する。

 そして、この商家がフィルダウスの何かの組織の末端に過ぎないのかもしれないとも改めて思い当たっていた。


 部下や目下の者への心配りを十分にすると言うことは、並大抵の事ではないのを身をもって知っている。

 そして、ただそれが出来るからと言うだけでは目下の者は感謝や尊敬はしてくれても、慕ってはくれないのも。

 きっとファドラーン達の上司と言う人は、相当大らかな人なのか、余程の人格者なのではないかしら。

 だから私のような何処の誰とも判らない者が彼等の秘密に気付いても、そっとしておいてくれているのかもしれない。

 勝手に、そう都合のいい結論を付けるとようやく着替えを済ませ、今度は小走りに厨房へと向かった。


 今朝もファドラーンの母達の手伝いをしようと決めていたのだったわ。

 別に彼等の仲間入りがしたい訳じゃないの。

 只、この自分への親切なもてなしに何か報いたいと思ってしまったからに過ぎないのだけれど。

 それに厨房のルツィエラさん以下数人の女性達は、私を特別扱いする訳でなくごく普通に接してくれる。


「……おはようございます」

「あら、おはよう。今日も手伝って下さるの?」

 そうっと厨房のドアを開けて中を伺うと、既に他の女性達はそれぞれに立ち働いている。

 その中からルツィエラさんが顔を上げてにっこりとほほえんでくれた。

「お邪魔でなければ」

「嬉しいわ、有難う」

 控えめに続けた言葉に、彼女が一段と明るい笑顔を見せてくれてかなりほっとした。 

 心得たように予備のエプロンを借りて食堂のテーブルの上にグラスやカトラリーを並べはじめると、一番乗りらしい男が入って来た。

 やはり此所までの隊商の旅で顔見知りになっていた男性達の一人だ。

「あ、おはようございます、またお手伝いですか?イェライシャさん」

「おはよう、ヨシュア。ここなら私にも出来る事はあると思って。食事なさるのなら頂いてきましょうか?」

 早起き、と言うにはどことなく疲れた表情の男にそう尋ねると、申し訳無さそうに彼は答える。

「準備が出来ているのならお願いします。夜中からラウの使い……で書類を運んでいたので、昼まで休もうと思ってね」


「夜中から?……ってあそこまで?」

 ラウドラチャクリンの使いと言う所でつい耳が鋭くなってしまったらしい、しかも彼が行ったのは所謂……歓楽街……だ。

 そこで書類だなんて、不似合いにも程があるわ。


「あぁ、行き先をご存じなんですね。結構賑やかな所でしょう?徹夜するには持ってこいですよ」

「書類を持って?」

 ちょっと誤魔化そうとでもしたらしいヨシュアに更に突っ込んでみた。

「ラウ……はね。今もあそこの主と一緒に徹夜組でしょう」

 自分の失言を悔いつつもようやく彼は認めた。

 歓楽街で夜を過ごす男……と言う浮わついた見せ掛けの影で彼等は何をしているの?

「お仕事なのね?」

「……まぁ、そんなところです」

 あまり深くは詮索しないぞと言う感じで言葉を向けると、彼はそれににっこりと応じてくれた。

 その話はそこで打ち切り、厨房に戻って出来たての食事をヨシュアに運んで行くと、他にもちらほらと朝食を摂りに顔を出す者達が増え、彼との話はそれきりになってしまった。


 最後の方になってからようやくファドラーンとその父親、イスナードと言う名らしい……が現れ一緒に食事を始めたのが、どことなく彼等も疲れと言うのか、心配事とでも言うようなものの影をまとっていて声を掛けるのも躊躇われる。

 それでも食事を終える頃のファドラーンはいつもの表情に戻っていて、何となく居たたまれなくて厨房に引っ込んでいた私に彼の方から声を掛けに来てくれた。

 あらかたの家族が食事を済ませたので、他に持ち場や用事のある女性達は既に厨房を出ていて、そこは私とファドラーンの2人きりのようなものだった。

「今朝は2人とも元気が無いから、心配したわ?」

「それは嬉しいね、夕べは親父と飲み過ぎたみたいでね。でもほら、元気だよ」

「でも、夕べ夜中にラウからの使いで動いていたって、ヨシュアが言っていたわ。その事でなにか問題か心配事でも有ったのかと思ったの」


 彼等が私に心配を掛けないようにと装っているのだと察知してしまって、ついそう口にしてしまいファドラーンが何時に無く真面目な表情になるのに気付いた。


「イェライシャ」

「きゃっ、ちょっとファド?」


 ずい、と近付いて来た彼に手近な壁に押し付けられる。

 ファドラーンの両手が私の両肩をしっかりと掴んでいて痛い程だわ。

 しかしその手の力はすぐに抜け、気が付けば肩口に彼の額を受け止める姿勢で壁へと動きを封じられてしまった。


「君は本当に勘がいいのか、耳聡いだけなのか判らないな。だけど必要以上にあいつの事を気にしちゃ駄目だ」

「ど……うして」

「あいつが、君に変な気を起こしたら困る」

 首筋に彼の吐息を感じて必要以上に声がうわずる。

 真意を隠しておどけたようにふるまう彼に胸がドキドキして、目の前にある彼の広い肩に両手を廻したのは多分無意識からだったわ。

「やだ、やきもち焼きさん。そうじゃなくて、私は貴方達、皆の事が心配なのよ。隠さないで」

 仕返しのように耳元で囁くと、彼が苦笑したのを気配で感じる。

「やっぱり、今すぐ君をフィルダウスへと攫って行こうかな。夜の……星は無いけど、穏やかな風の吹く静かな国だよ」

「星が無いって……どういうこと?」

「行けば判るよ、来ない?」

 戯れ言のように彼が口にした言葉の意味を理解しかねて問い返すが、重ねての勧誘に誤魔化されてしまった。


「……考えておくわ、でもルクアディナルファに行ってからね」

 私が彼等の事情に気が付いているとしても、まだ、詳しく教えてくれるつもりは無いのね、と少しばかり悔しくて、素直に返事が出来ずに混ぜっ返してしまった。

 はぐらかすような答えにファドラーンは気を悪くする風もない。

 にっこりと笑って私の頬に触れるような触れないような、いつもの掠めるだけの口付けを落とすと身体を離し、私に自由を返してくれた。


「俺達のやってる事が、きわどい綱渡りだってことが理解できているのなら尚更……これ以上、君は関わってはいけないんだ。その方が、何かあった時に君の身を守る事になるんだよ?」

「そんな言い訳で納得出来る訳が無いでしょ?私には何も出来ないって、決めつけるような言い方はしないで。私は、自分に出来る事を捜しているのよ?」


 聞き分けの無い子供を諭すような優しい彼の口調とその内容に、何かが喉の奥から込み上げて来る。

 それが怒りなのか悲しみなのか、よく判別も付かぬまま硬い声で言い返してしまっていた。 

 だって彼が口にした事に従ってしまったら、私は何の為に家族の元を離れ、放浪と言っても良いようなこの旅に出たのか。

 それすらも無駄になってしまう、そんな気がしたから。


「イェライシャ」


「勝手な事ばかり言わないで!前には……気付いて欲しかったなんて言ったくせに、今度は危ないから関わるなですって?そんなの……そんなに器用な事、私に出来る訳無いじゃない。私は貴方にとって都合のいい人形じゃないわ。言いなりになんてならないんだから!」


 宥めようとでもいうのかファドラーンが私の左肩に右手を伸ばしたのを振り払う。

 感情の昂りのあまりにこぼれ出した涙を見られたくなくて、気が付いたら厨房を飛び出していた。


 途中の廊下から中庭の景色がちらりと見え、見慣れた長い黒髪の男が馬とともに立っていたのを見たような気がした。

 でも、それを確かめる気にもなれず、自分に宛てがわれている客室へと早足に戻ると、大きな音がするのにもかまわず力を込めて扉を閉め、拒絶の意をも込めて……ドアに鍵を掛けた。


 それからは溜め息と共に何とも表現のしようの無い、重い気分でその日の午前中を過ごした。


 私とファドラーンの、それなりに激しかったであろう言い合いに誰も気付かないはずは無いとは思っているわ。

 でもそれに対する気まずい思いよりもまだ今は、自分達に都合の良いように私を扱おうとしたファドラーンへの怒りの方が大きかった。

 

 それでも、ただ部屋に居るといってもじっとはしていられなくて、ベッドに腰掛けたり、目立たないように街路の方を覗いて人通りを観察したりと、とにかく落ち着けない。

 昼食の時間の少し前、昨日ならば厨房を手伝いに行っていた頃になってドアにノックがあった。

 昨日借りていたこの街の地図と睨めっこをしていたので返事をしないままでいたら、ドア越しで少しばかりくぐもった、それでも穏やかな声が名前を告げる。


「ラウドラチャクリンだ。居るんだろうイェライシャ?少しばかり話があるんだが」

 いつもと変わらぬその声色に八つ当たりするのは明らかにお門違いなのだが、何となく返事を躊躇っていると「ルツィエラ……母さんの用事なんだが」と告げられ、流石に無視出来なくて、返事の代わりにドアを開けた。


 でも、いつものように顔を上げて彼を見上げる事が出来ない。


 視線を合わせるのも気恥ずかしくて、俯き加減に向き合ったラウドラチャクリンは、本当に何気ない仕草で私の頬に手を沿わせる。


 目元の辺りに彼の指先の感触を感じ、驚いて顔を上げるとにっこりと優しい微笑み。


「良かった……泣いていた訳では無さそうだね。さっきの君の気配が尋常では無かったから、案じてしまったよ」

「子供じゃないわ、もう。泣いてばかりでは何も解決しないって、ちゃんと判っているもの」


 咎めるふうの無いラウドラチャクリンについ甘えてしまいそうで、頬を染めつつも自分を引き締めようと背筋を伸ばして改めて彼と向かい合った。

「子供ではないかもしれないが、大人でも無いな。さっきの騒ぎを聞く限りではね。ファドを擁護するつもりは無いが、奴は君の安全を優先したかったんだ。言葉が足りないのはいつもの事だ、あいつは言葉で人を丸め込めるような器用な男じゃないから」


 知っている筈だろう?と同意を求められれば確かにその通りで、頷かざるを得ない。


「お母さまのご用事なのでしょう?だから……ドアを開けてあげたのよ?」

 素直になれないままそう尋ねてしまったのは、まだ私には納得が出来ないからだ。

 それをラウドラチャクリンも承知してくれているのか、我ながら可愛く無い問いかけにも相好を崩して微笑んでいる。

 生意気な口を利く女にどうしてそんなに微笑んでいられるのかが判らなくて、却って、自分がただ駄々を捏ねている本当の子供のような気がしてしまう。


「そうだったね。ルツィエラが出発前に君の身の回りのものをチェックしたいから、食事の後で彼女の部屋へ来て欲しいって言っていたよ。階段を上がってすぐ左側のドアが両親の部屋だから」

「判ったわ」


「ああ、それと……食事は此所へ運ばせようか?」


 部屋の位置を指で指し示した彼にうなづいて見せると、付け足しのようにそう訊ねられた。

 まだ気まずいのならば、という彼等なりの心遣いだったらしいのだが、それを喜んで受けてしまったら、私は本当に子供だと言われても仕方がない事になるわ。


「いいえ、皆と一緒に食堂で頂くわ?まるでお仕置きを受けた子供みたいに一人で部屋で食べるのなんてご免よ」

 虚勢だと自分でも承知しているが、胸を張ってそう答える。

 本当はファドラーンや他の皆にどんな顔をして会えば良いのか判らないくらい戸惑っているのに。

 なんて意地っ張りな奴なのだろう、私って。


「そう言う所にも敬意を表するよ、わたしはね。ではもう少ししたら迎えに来るよ、支度しておいで」

 見透かしたようなラウドラチャクリンの言葉につい睨んでしまったが、にこやかな彼の表情は変わらなかった。


 ファドラーン視点を維持出来ない・・・。

 ヘタレっぷり全開です、兄。

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