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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
26/110

026 家族


 イェライシャの買い物と俺の用事、それぞれを済ませアルマンスールの屋敷に戻ったのは随分と薄暗くなってからだった。

 廻りをぐるりと剣高い山脈に囲まれたこの盆地の王国では、日暮れがとても早いのだ。

 いつものように店側の明かりは落とされ、馬屋へ通じる木戸には控えめな明かりが灯されている。


「先に部屋へ戻って……じきに食事だろうから、着替えておいで」


 中庭でそう言ってイェライシャを降ろすと、うなづいた彼女が屋敷の中へと入って行くのを確認してから厩へと馬を連れて入った。

 その場に残った俺は、いつも通りに馬の鞍や装備を外すとその下の地肌を軽く布で拭いてやる。

 毛並みに沿って布を動かしてマッサージするように今日の疲れを労ってやると、馬も耳を倒して心なしか気持ち良さそうだ。


 仕切りの中へと馬を入れ、餌を与えてから小屋の中を見回すと、案の定ラウドラチャクリンの乗馬は戻って来ていない。

 あのまま彼はケサルに捕まったままかな、とつい苦笑する。

 両親や仲間達は事情を理解しているから気にもしないのだが、当然の事ながら何も知らないはずのイェライシャは奴の外泊にどう反応するのだろう。

 行き先は何と言っても夜の歓楽街だ。その反応を見るのが怖いような……それとも見てみたいのか、自分でもよく判らない好奇心のようなものを自覚していた。


 尤も当のラウドラチャクリンはあの館で難しい顔をして、娼婦とではなく、ケサルとの話し合いに夜を費やすのだろうが。


 馬小屋を出ると、細工屋で受け取った荷物を隊商の荷をしまってある倉庫の貴重品入れに納めて鍵をかけ、夕食の香りに釣られて厨房付近へと足を向けた。

 ついでに今夜の入浴の順番取りをするのを忘れていた事に気付いて浴室のある棟へと向かう。

「……おや?」

 そこで最初の札が客人のものになっている事に驚いたが、そういえば母さんが今日の一番風呂はイェライシャに使って貰うって言ってたな……と思い出して、その後に続く何人かの札の後に自分の名前の札を掲げた。

 様子見がてら食堂に向かおうとして、まだ昼間の外出着のままでかさばる外套を羽織ったままだった己の姿に気が付いた。慌てて二階の自分の部屋へと戻り、寛いだふうの部屋着に着替える。

 それからイェライシャの客室の前まで行って、深呼吸を一つ。


 先に部屋へ戻っているはずのイェライシャを夕食に誘うだけだろ?と自分に言い訳してるのがかなり情けないのだが、用事もないのに女性の部屋を訪ねる程の図々しさは俺は持ち合わせていないのだ。

 けれどかなり根性入れてからノックした部屋はどうやら誰も居ないらしく、応答が無い。

 別に約束していた訳でもないのに、すっぽかされたような気分でふたたび階下の食堂へと降りて行く羽目になった。


「随分おそくなったのね、馬の世話なら私も手伝ったのに」

 案の定、目当てのイェライシャは厨房で母や女性たちの手伝いをしてくれていたらしい。 殆ど支度の済んだ食卓に就いた俺の隣へ腰を下ろしながら、親父が現れるのを待つ間にそう口を開いた。

「有難う、でもそれだけじゃなかったから……良いんだよ」

 不思議そうな顔の彼女に「さっきの荷物や整理がまだなんだ」と言い訳する。

 その言い訳に納得したのかどうかは判らなかったが、次に彼女が尋ねて来るであろう事柄は予想が付いていた。

「ラウはまだ戻ってこないの?」

「そういえば、まだのようだね。でも……遅くなるとは聞いているから…大丈夫だよ」

 心配そうな彼女の口調に笑顔でしれっと返事を返しつつ、タイミング良く部屋に入って来た親父と目が合った。

 素早くその瞳が室内を一巡して、状況を把握したらしい彼の何食わぬ落ち着いた声が夕食の挨拶を告げる。


 いつも通りの風景に何となくほっとしながら食事を大方済ませ、未練がましく酒杯を握ったままの俺はイェライシャの方を見つめていた。

 とはいえ今日はラウドラチャクリンが居ないので殆ど素面も同然で……彼が居るとどうしても引きずられて俺も量を過ごすきらいが有るのだ……かなり落ち着いて彼女を観察していた。

「そう言えば、ミシェイルさんが居ないわね」

 静かに食事をしていたイェライシャはしかし、何気ない口調でそう口にする。

「彼は今朝、一足先に国境の町に向けて出発したんだよ。俺たちとはその町、クム・ウタールで落ち合う事になっているんだ」

「何かあったの?」

「いや、クム・ウタールの手前の村に彼の家族が居るんだ。だから先に行って、ついでに家族で過ごしてもらおうと思ってね」

「やっぱり彼に案内を頼まなくて良かったわ。でも、なんだかみんな、とても優しいのね」


 心配そうに聞き返されたのでつい個人的な事情まで口にしてしまったが、ふわりと柔らかな微笑みを見せてくれたイェライシャに自分でも判る程頬が赤くなる。


「仲間だからね、家族の事も大事にしたいんだよ。それにこれは俺達の上司の方針でも有るんだ」

「上司?」

「喋り過ぎた、ごめん。今はこれ以上は言えないな」

「あぁ……そうなのね。ごめんなさい、私は気にしないから」

 何となく口にしてしまってから、ハッとしたように俺が謝る。

 口をつぐんだ俺に、どことなく申し訳無さそうにイェライシャも黙り込んでしまい少しばかりその沈黙が心に痛い。


「……優しい方なのね、その方は」


 しばらくしてぽつりと彼女は言い、笑顔を見せる。


「かもしれないな、だから俺達はその方に忠誠を捧げて行ける。彼が背負う重荷を少しでも軽くしてあげられたら……と思っては居るんだが、なにせ不肖の部下なんでね」

 俺達の上司、つまりはラウドラチャクリンが皆の家族に気を配るのは、今の彼には存在しないそう言った類いの存在に対する彼なりのコンプレックスだが。

 肩をすくめてそう答えると、更に破顔したイェライシャを浴室へと促した。


「一番乗りだからって遠慮しないで、ゆっくりしてくるといいよ」

 少しばかり気恥ずかしそうな彼女をそう言って送り出すと、俺はもう少し酒杯を傾ける事にして関心をそちらに向けた。


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