023 危惧
「もうじき昼食の時間だそうですよ」
朝から俺と親父が籠っている書斎の扉が軽くノックされ、聞き覚えのある声がそう告げる。
何も答えなくても扉が開いて、早朝から外出していたラウドラチャクリンが入って来た。
そう伝えてくれとルツィエラに捕まった……と苦笑する彼に、申し訳無さそうな表情で親父が視線を向ける。
「ファド、報告は済んだのか?」
親父の仕事机の上に広げた書類を見遣ってから俺の方を向いてそう口を開いたラウドラチャクリンに、ようやく親父は意を決したかのように重い口を開いた。
昨夜からずっと訊ねたくて堪らなかった事柄だろう。
「ヴァルさま……あの娘御をどうなさるおつもりなのです?かなり派手に我々の痕跡を残しておると言うのに、どう片を付けると……」
「大丈夫だよ、イスナード。ジャヤルの主に話が通るように手配して来たから、後は彼が幕を引いてくれるはずだ。元々彼はシュヴァーゼの王を煙たがっていたから良い口実だろうし、彼が派手に動けばこちらは霞んでしまうだろうよ」
すこしばかり荒い口調なのは事態の成り行きを案じての事だろうが……何より目の前の主君の安全に殊の外気を使っている親父らしい態度だ。
それを軽い口調でさらりと受け流して、にやりと笑うヴァル……チャクラヴァルティンはいつもの事ながら飄々としたものだ。
「シュヴァーゼの王が、数多い妻妾の一人にユグドラセアの貴族の娘を加えようとして……失敗した話はどうやら随分有名になっているようだ。逃げ出した娘が此所に居る事には今の時点で気付いているものは居ないようだし、このまま彼女にはルクアディナルファに行って貰おう」
「しかし、いずれ明らかになる事でしょう、それは。その時には?」
かなり食い下がる親父に、ラウドラチャクリンはちら……と一瞬こちらに視線を向ける。
「彼女次第だよ。元々彼女はシュヴァーゼの王から身を隠す為に出奔したのだが、そのままある場所を捜す気になったのだと言っていた」
「場所……ですか?」
「そうだ。この辺りで囁かれる伝説の王国とやらをね」
またしてもあっさりとした口調の彼に、親父は今度こそ本当に血の気をなくした。
思わず……だろう、机に身を乗り出す。
「まさか……偶然そんな娘と貴方が出会ったと言うんですか? 本当に、どこかの探索者では?」
「イスナード……お前頭堅過ぎるぞ。ルツィエラに聞いてみるが良い、奥方の方が正確に現実を把握している」
「ヴァルさまっ!」
なおも言い募る親父に言い聞かせるように、変わらぬ穏やかさでヴァルが言葉を続ける。
「ユグドラセアの娘については、本人が望むのならばフィルダウスへと招いても良いと思っているよ。身元引き受けの保証人にはファドラーンが立候補してくれるだろうし」
意味ありげな彼の言葉に、親父の視線が改めて俺に突き刺さる。
自分の息子の存在をたった今思い出したような顔だ。
それにしても、その拍子抜けしたような表情は勘弁してくれ。
「御身様のお側に置くのだと思いましたのに。正妃か愛妾かはこだわりませんが……ようやく身を固めて下さるのかと……陛下もお喜びでしょう」
「おやおや、お前も早くわたしを国に連れ戻したいクチらしいな」
肩をすくめる彼に、アンタはまだ運命の相手に出会ってないだけでしょ、と心の中で突っ込みを入れてみる。
自由で居る為に独り身なんだよ、と口癖のように繰り返す彼だが、それが本当はただの建前だと俺は知っている。
いつも馬の世話とかを口実に一人で居るのを好むのも、何かを感知しようとでもするかのように……知覚の全てを大気に委ね……その何かを求めるように常に感覚を研ぎすましているからだという事を。
それはひどく無防備になる一瞬でもあり、無謀とも言える危険な行為だと言うのに。
危険を覚悟してそこまで捜す程どんな深い事情や思い入れがあるのかは知らないし、聞いた事も無い。
……がもしも彼がそれをついに見つけた時、きっと俺には判る、と変に自信があった。
そして彼がそれを望んでいるのならば、手に入れる為の手伝いをするのは俺だとも、勝手に決めてもいた。
「取り敢えず、ルツィエラからの伝言は伝えたよ?」
「あ、じゃあイェライシャを呼んで来なきゃ」
これ以上の追求はご免だと、部屋を出ようとした彼に続いて俺も部屋を出ようとした。
「彼女なら母上と一緒だったよ」
「……え?」
振り向いてそうラウドラチャクリンが言う。
瞬間事態が飲み込めなかった俺に、待ったを掛けるように後ろから親父の声が掛かった。
「……ファドラーン、もう少し説明が欲しいんだがな」
「あ—はいはい。判りました」
なんとなく堅い声だが仕方ないか。
少なくとも俺の色恋沙汰をフィルダウスの国内に限って黙認して来た親父には説明する義務があるだろう……と腹をくくる。
それにしてもヴァル……ラウドラチャクリン!
ちょっとバラすの早過ぎないか?
……せめて彼女が本当の返事をくれる迄隠しておいてくれても良いだろう?
既に間口から姿を消してしまった上司にそう恨み言をつぶやきながら、もう一度きちんと扉を閉めると、室内の父親へと向き直った。
「どちらが先にその気になったのかは知らんが、彼女はお前達の素性を何処まで把握しているんだ?」
さっきの反応から推しても、開口一番に反対するかと思った親父だったが、理性的な発言だった。
取り敢えず今の所は。
「残念ながら……まだ俺達は本当の誓いを交わした訳ではないんですが、惚れ込んだのは俺が先ですかね。何だか今まで周りに居なかったタイプだったんで。彼女はヴァルさまになびく素振りがなくて、それで興味を持ったのかな。はじめてみましたよ、そんな女性」
俺がいつも一緒に居るラウドラチャクリンに外見上の……いや、それだけとも言えないが……コンプレックスを抱いているのを薄々気付いているのだろう、親父は少し眉を動かした。
「なるほど?しかし私が知りたいのはだな……」
「判ってますよ。彼女が先に気付いたんです、俺達の背後をね。まぁ、ヒントは幾つか出してあったんですが結論を出すのは……割と早かったと思いますよ。ただ、ラウや皆の本当の身分とかは判っていないでしょうね。俺としては気付かれたのを口実に口説き落とそうと思ってるんですが……他にも何人か彼女に気のある奴が居るみたいなんで、競争率は高いかな。ちょっと厳しいかもしれないですね」
あっさりとした物言いの裏を読んでいるのだろう、親父は厳しい表情を崩さなかった。
「執着しているのかと思ったらそうでもない……ように見せる時程、お前がしつこいってのは儂だって知っている。が、正直な所あまり賛成は出来ん。他国者だからと言うのではないが……あの娘の身寄りが健在で、尚且つトラブルを抱えている……それが儂に取っての不安要素だ」
「そう言うだろうと思っていましたよ。しかし、彼女の問題が解決すれば良い訳でしょう?まぁ……家族が居るというのはネックですが、今回はヴァルさまが随分協力的なので何とかなるでしょう」
「あの方は面白がっているだけだよ。ルクアに戻れば心配事だらけだ……楽しめるうちに楽しんでおくのが彼の主義だからな。ついでに上帝をイライラさせるのも好きだから、おまえがしっかりと手綱を取っておかねば。フィルダウスの為にも」
「……心配事って……祭祀王様はやはり相当御悪いのでしょうか?」
影を帯びた俺の低い声に、親父は渋々といった顔でうなづく。
ルクアディナルフアの主、聖職者であり最高権力者である祭祀王が長い病の床に在るのは周知の事実だが、此所しばらくは安定していた筈だ。
だからこそ彼の身を案じていたラウドラチャクリンがバーラートまでの旅に出る気になったのだ。
ジャヤルの王とも協議を重ねる必要のある交渉事が山積しており、思ったよりも時間のかかる旅になってしまったのは否めないが。
「多分……既に星を見る者、未来を視る者、そして気配を探る者などが召集されているだろう。いつ王が崩御されてもその転生の者を探索出来るようにとな。ヴァルさまもそれには気付いておられような」
「……でしょうね」
神妙な顔でうなづいた俺をもう一度眺めて、親父は一つため息をついた。
「奥手だと思っていたお前がいつか……何処かの令嬢を連れて来るだろうとは思っておったが、随分遠国の民を選んだものだ。まぁ……彼女の身辺の整理がきちんと付けられるようならば、お前の選択に文句は言わん事にする。これが如何に譲歩した返事かは判っておろうな」
親父の言葉に少しばかり頬が緩みそうになったのを目敏く察したのか、容赦のない次の言葉に正直……げんなりしてしまった。
「だが、お前は仮にも次代国王の推薦に拠る近衛の長だ、状況は楽観出来るものではないのだから色恋に迷って任務をおろそかにするような無様を晒すでないぞ?失態を晒すは父として、近衛の統括責任者としての儂が許さぬからな」
「……はい、了解しています」
殊の外厳しい言葉だが、無理も無いと納得して返事を返す、溜め息混じりではあったが。
親父が継承しているアルマンスールの家門はラウドラチャクリンの父上だった前王に深い縁があると言う。
今ですら現王ではなく次代国王に忠誠を捧げていると大っぴらに揶揄される事もあるくらいだ。
勿論それを否定するつもりは無いが。
何食わぬ顔で食卓の用意された部屋へと父親と共に入り、先に座っていたラウドラチャクリンが軽く手を挙げて寄越すのを目の端に捕らえて、そのひとつ隣へと座を占める。
なおも俺がきょろきょろしていたのが面白かったのか、ラウドラチャクリンの笑いを含んだ声が疑問に答えてくれた。
「彼女なら今厨房に居るよ。どうやら……ルツィエラを手伝ってくれているらしいね」
なかなかやるね、と続いた言葉にどちらの女性に向けたものなのか……を計りかねて見つめると奴は再びにやりと笑みを浮かべて、だんまりを決め込んでしまった。
そうしている間にも昼食が運ばれ来て、俺の前にトレイを置いた女性の顔を見上げてちょっとどころかかなり驚いた。
肩より少し下の長さの髪を後ろで括り、如何にも動きやすそうなシンプルなドレス姿の彼女は……他の厨房の女性達から借りたのかお揃いのエプロンで給仕役をこなしている。
「イェライシャ……何をしていたの?」
「あら、朝言わなかったかしら。教えて頂きたいレシピがあるって……?折角だから実践で教えて頂いたのよ。たぶん、もう覚えられたと思うわ」
驚いている俺に彼女は余裕の表情で答えをくれた。
「随分慣れた感じだね。ユグドラセアの貴族女性はあまり厨房には立ち入らないかと思っていたよ?」
「長い間バーラートに居たでしょう?自分達の故郷の食事が懐かしくなる時もあったのよ、お陰で料理の腕は上がったわ。私も姉もね」
感心したふうのラウドラチャクリンの言葉にイェライシャの頬が微妙に緩む。
一度厨房へと戻った彼女は、自分の分の昼食を乗せたトレイを俺の隣の席に置くと、エプロンを外して席に着いた。
食事を前にして、卓の上に軽く肘をつくと両手を組み合わせて額を寄せ、旅の間に何度も見かけた食前の祈りを捧げる。
祈りを終えて、視線が合うと、熱心な信仰者と言うよりは身に付いてしまった習慣のようなものだと彼女は笑った。
「私たちの屋敷の女中頭が、行儀作法にはとても五月蝿かったのよ。子供の頃にさんざん仕込まれたわ」
俺の視線に気付いて、その頃には既に母親が病の床にあったので……と、懐かしそうに子供の頃の話をする彼女に微かな不安を感じた。
自分が覚悟を決めたなら何処へでも攫って行っていい……そう確かにイェライシャは言ったが、断ち切る事が出来るのだろうか……。
過去の自分とそして家族という存在を。




