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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
22/110

022 地図


 正式な挨拶を座ったまま受ける訳にも行かなくて、ファドラーンの父も立ち上がり軽く上体を傾けて返礼すると、初めの一瞥とは随分違う柔らかな表情で口を開いた。


「御客人も……昨夜は良く御休み頂けたかな?」

「ええ、とても。上等なお部屋と、奥方のお心遣いに感謝いたしますわ」

昨夜の初対面の鋭い第一声からは想像も出来ない位思いがけずも優しい言葉だったが、それを意外に思った事は顔に出さず、昨夜の衣装の礼を口にする。

「それは良かった。さぁお座りなさい、それで……朝食の後の予定はどうなっているのですか?」

「……それは後でご子息と相談するつもりで居るのですけれど」

ファドラーンに招かれるまま彼の父の隣の席へと腰を下ろし、はじめて近くに接するファドラーンの父に緊張を隠せない。

 しかし当の本人は随分と柔らかな口調で尋ねてくれる。

「今日の午前中はこいつから旅の報告を受けねばならんので……この街を見物なさりたいのであれば、他の誰かに案内させましょうか?」

「午前中は私もゆっくり過ごしたいと思っていましたから、どうぞ御気遣い無く。ただ、この街の地理を大体は頭に入れておきたいので……手ごろな地図をお持ちでしたら貸していただけますか?」


 それぞれ席に落ち着いたのを確認してから、厨房の女性が私とファドラーンの2人に朝食を運んで来てくれる。

 その間に説明をしてくれていたファドラーンの父親の声に申し訳無さそうな気配が潜んでいるのを嗅ぎ付けた私は、それに付け込むというと聞こえが悪いのだけれど、さり気なくそうおねだりをしてみた。

 少し眉を動かしたファドの父は、次には再びにっこりとしてうなづいた。

「判りました。後ほどお部屋へ届けさせましょう」

「ありがとうございます」

 すこしほっとした様に礼を言うと、いやいや、と鷹揚に彼はうなづいて、席を立った。


「では一足先に失礼する。ファド、部屋で待っているぞ」

「……はい」


 水を差された、とでも言うような少しトーンの落ちた返事を返すファドラーンにおや、と視線を向けると肩をすくめた彼は言う。

「早く来いってことだよ。結構せっかちなんだから」

 折角君と2人で食事なのに、と付け足す。

「仕事の邪魔をする気はないって言ったわよ?お父様をあまりお待たせしない方が賢明ね」

 これ以上ファドラーンが羽を伸ばし過ぎないようにと牽制して、取り敢えず目の前の朝食に取りかかった。

 なるべく言葉も少なめにして、彼の方が早く食べ終えるようにと自分の進み具合を調整する。


 故国での正式な晩餐の席では一緒に会食する他の客たちとペースを会わせる必要があり、それをマナーとして身に付けざるを得なかった。

 そのお陰で自分の食事の進み具合を調整するのは容易い。

 想定通りに私より早く食事を終えたファドラーンが手持ち無沙汰な仕草を見せた時を見計らい、彼を食事の席から立ち上がらせた。

「私はもう少しお茶を頂いてから……部屋に戻るわ。それに厨房の貴方のお母さまにご挨拶をして、さっきのスープのレシピを教えて頂けるかどうか聞いておきたいの」


 とても美味しかったから、とにっこり笑顔を向けられては彼も仕事に向かわざるを得ないわよね。

 しぶしぶ背を向けようとした彼に「お昼からは楽しみにしているから、お仕事がんばってね」と駄目を押す。 


「じゃあ、後で」


 その言葉ににっこりとして部屋を出ていったファドラーンを見送ると、それまで優雅に味わっている……ように見せていたお茶のカップを皿に戻し、そそくさと席を立つと厨房へと向かった。

「おはようございます。良く御休みになられまして?」

「おかげさまでゆっくり休ませて頂けました、ありがとうございます」

 厨房を覗き込んできょろきょろとしていた私が自分の視界にファドラーンの母ルツィエラを見付けるのと、彼女が私に向かって口を開いたのはほぼ同時だったろうと思う。

 先に声をかけられて一通りの挨拶を交わすと、ルツィエラは少し意味ありげな笑顔を見せていた。

「あの2人をなかなか上手にあしらって居たわね。イスナードのあんな顔見るのは久しぶりよ、いつもはラウにやんわりやられているのだけれど」

 そういって、如何にも見物だったとばかりクスクス笑う。

「御覧になっていたのですか?……ご免なさい、あしらうなんてつもりは無かったのですけれど……」

 自分の夫がこんな小娘に軽くいなされているのが面白いのかしら、と不思議に思うけれど彼女は気にするふうも無い。

「気になさらないでね、言葉のやり取りを楽しむのが好きなのよ彼も、ラウもね。主人も貴女がどんな方か知りたかったのだと思うわ。皆が違和感なく同行を認めた女性なんて初めてだもの」


「……初めて?」


 さらりと口にされた言葉にどう反応するべきなのか、咄嗟には思い付けなかった。

「ええ、そうなの。短距離のお客を請けた事は有ったけれど、この屋敷に泊めた事は無いのよ。それに女性としては貴女が最初ね。」

「それではやはりご迷惑だったのではないでしょうか……?街の宿を紹介して頂ければ済む事だったのだし」

「ファドラーンが先にあなたを誘ったのだから、問題は無いでしょう?こちらの都合も悪くないのならば、ラウだって反対はしないわ」

 思わぬ話にうろたえてしまっていると、ルツィエラは淀み無い口調でそう答えて、あまつさえにっこりと笑顔で励ましてもくれた。

 けれど私は何だか罪悪感が拭えないままで、あまりにも深刻そうな表情をしていたのだろうか。

「気にしなくていいのよ?貴女がそんな風に沈んでしまっていたら皆が心配するわ。ミシェイルや他の者達も……何だか貴女の事を気にしてるみたいだから」

 人気者ね?と微笑まれては流石に何時迄も落ち込んでは居られない。

 けれど、逆に隊商の他のメンバーも薄々は私の素性を、というのか事情を察知していたのだと知って、改めて彼等の優しさが身に滲みてしまった。


 だからこそ自分の立場が心苦しい。


 シュヴァーゼの藩王はプライドだけは高い男で、何人目かの花嫁に逃げられたなどとは口外はすまいものの、場合に拠っては何らかの口実をつけて私を追わせているかも知れないのだもの。

 手配の可能性は考えたく無くて無視してしまったけれど、追われているかも知れない者を同行させるというのは、相当に高いリスクを覚悟しなければならない筈だわ。

「……どうして皆……そんなに優しく出来るんですか?私は……本当は皆さんに迷惑を掛けるだけかも……」

「大丈夫よ。貴女の心配事はじきに片が付くわ。だから、落ち着いて先の事を考えましょう?」

「貴女もご存じだったのですか?」

 自分の母親くらいの歳の女性に労られ、早くに亡くした母を思い出してしまって、思わず情けない声を出してしまった。

「夕べね。ラウがこっそりと教えてくれたわ、貴女の決断と勇気を尊重したからこそ此所まで連れて来たって。皆もラウに倣っただけよ。彼等の決めた事に貴女がくよくよしていちゃだめよ」

「でも、私の事なんてご迷惑にしかならない筈です。貴方がたは……」

 にこやかな彼女の言葉は嬉しかったものの、思い余って口にしてしまった言葉に少しだけルツィエラの表情が動いた。

 にこやかな笑顔が少しだけ陰を帯びる……がすぐにその表情は元通りになって、むしろ前よりも楽しそうな表情になった。


「随分鋭いのね、皆が興味を持つ訳だわ。……だからこそ、大丈夫よ。ラウもファドもそう答えるわ、もちろんイスナード……此所の主もね」


 ……だからこそ?

 その意味も理解出来なくて戸惑うばかりの私に彼女は変わらぬ笑顔のままで、ついと動いた両手が肩にまわされる。

 そのままポンポンと両肩を軽く叩かれ、肩の力が抜けていくような、そんな感覚に不思議と心が落ち着いた。

「ラウ程ではないけれど、少しは気休め程度にね」

 再び視線を合わせてにっこりと彼女は微笑む。

 このひとの最大の武器は不思議な力ではなく、この微笑みなのだと悟る。


「あまり疲れも取れていないみたいね。もう少し、お部屋でゆっくりして居ると良いわ。もしも……気が向いたらお昼の少し前に此所へいらっしゃいな、貴女がさっきファドに言っていたスープのレシピを教えて差し上げるわ」

 あれはラウの好きな味なのよ、とルツィエラは少し含みの有る言い方をした。

 もしかして、彼女は私がラウドラチャクリンを気にしているのだと勘違いしていたのかもしれない。

 けれどその思い違いを訂正する、その行為自体が自分も彼等に何らかの思惑があるのだと告白するようなものだと思えて、敢えて何も言わず……頭を下げるとその場を後にした。

 けれど厨房を出て階段に辿り着く前に今度はファドラーンの父の使いに、と言っても隊商で顔も名も知っている男だが、に呼び止められる。


「イェライシャさん、旦那様から地図を預かってきました。この首都の周りだけのものですが、これでいいですか?」

「……あぁ、ナーフィーさん、有り難うございます。それで……ついでで悪いのですけれど、地図の上での此所の場所も教えて下さいますか?」

「そうですね、そこから始めましょうか」


 自分のいる位置すら知らないのに地図を手に入れても仕方がない。

 うなづいた彼は広げたその地図に指を走らせ、この屋敷の大体の位置を指し示す。

 私がそれを目で追っているのを確認すると、そこから右……東だ……に大きな区画を指し示して言った。

「ここがこの国の王の住まいです。アルハヨート宮と呼ばれています。四方に大きなミナレット……尖塔……があるので目印にはちょうど良いでしょう。それからこちら」

 と地図の反対側の方角へと大きく指を滑らせる。

「描かれては居ませんが、西の方にマチャプチャレが見えますから、宮殿と共に覚えておいて下さい。これで迷いませんよ」

 マチャプチャレ……バーラートからの道中に教えてもらった山の名前だわ。

 魚が水をはねる時の尻尾の形に似ているからと水が撥ねる時の名を付けられたと言う、なんだか可愛い名前だが、本物は天を突く程に壮大な権高い峰だったわ。

 このアルマンスールの屋敷がある通りの名を見つけ、ナーフィーに笑顔で礼を言った。

「覚えておきますね、ありがとう。」

「……いいえ」

 少し照れたようにはにかんだ笑みを返して彼が行ってしまうと、私も自分に宛てがわれた部屋へ戻り、低いテーブルの上に地図を広げる。

 さっきの彼に教えられた通りにして方角を確かめると、通りの名と大きな街路の形をおおまかに頭に入れようとにらめっこを始めた。


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