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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
20/110

020 夕食


「どう……したの?」


 努めてさり気ない口調で訊ねファドラーンの腕をほどこうとしたが、彼の腕はなかなか離してくれそうもない。  

 少し強引な彼の態度がけれどそんなに嫌じゃないのに気が付いて、抗議を諦めると、おずおずとその胸に頭を預けてみる。

 衣服越しではあったけれど、彼の胸は少しばかり堅い感じで…見た事は無いそこがかなりの筋肉質なのだろうかと、熱くなってしまった頬を自覚しながら推測してしまった。

 そして、見ている間にその胸が大きく上下する。


「ごめん、ちょっとしたおまじないだよ。俺の為のね」


 大きく息を吐いてそう言うとようやく私を自由にしてくれて、ちょっと掠めるように唇を頬に落として行く。

 手にしていたこの部屋の鍵を私に握らせると、尚も問いたげな私の視線に、部屋の外を示しながらファドラーンは言った。


「さぁ、食事に行こう。俺達の両親が待ってる」


 両親……父親ならばさっき会ったわ、つまり今度は彼の母親にも会うと言う事ね。

 そこまで考えて、次に緊張してしまったのは私の方だった。

 階段を降り、ファドラーンに案内された部屋は先に通された応接室の隣で、普段はあまり使われていない部屋だという。けれど今日の様に隊商が戻った日や、人が集まる時には宴会も出来る様にしてあるらしく、バーラートからこのツァイデアルまで一緒だった隊商の主立った者達が既に集まっていた。

 皆が座れるように並べたテーブルに沢山の椅子が並んでいる中、ファドラーンは自分とラウドラチャクリンとの間に私の為の席を確保してくれた。今さらながらの緊張でぎこちなくその席に着くと、待つ迄もなくトレイに乗せられた料理がそれぞれに運ばれて来る。

 一通りの料理が並び、主であるファドラーンの父の隣の席に年配の女性が……彼女は先程までは他の女中達と一緒に食卓の支度を差配していたのだが……座った所で、ファドラーンの父が口を開いた。


「……まずは無事に戻った者達に労いの杯を与える、ご苦労だったな。そして次の出立まではゆるりと過ごしてくれ。お客人もおいでのこと故、堅い挨拶は控えるぞ、存分に楽しんでくれ」


 短い彼の言葉に、隊商の者達は皆一様に頭を下げて感謝の意を表すと、食事をはじめた。

 その様子を観察しながら、いつもの食前の祈りを済ませた私も用意された料理に手を付ける。

 これまでの旅の間にイクシール風だと教えられた、落ち着いた味付けの料理だった。

 香辛料を強く利かせたバーラート風の料理に比べて、かなりシンプルに、素材の味を生かしたこちらの味付けの方が私には嬉しい。

 それに旅の間のような時間を掛けられない状況の料理に比して、丁寧に時間をかけて煮込まれたその心遣いが何ともいえず余計に暖かく感じられる。


 手近においてあった酒の壷を手に取り、自分のグラスとラウドラチャクリンのそれとを満たすファドラーン。

しかも私のグラスにもそれを注ぎ、お酒は飲めない、というのか得意では無い私の抗議ににやりと微笑んで。


「いいから、少しは味わって御覧」


 そして耳元にそっと囁く。

「この酒だけはフィルダウスのものなんだよ」


「料理はここ……イクシール風にしてあるのだが、こればっかりは馴染み深いものが好いらしくてね。皆これを喜んでくれるよ」


 驚いた表情でまじまじと手にしたグラスを見つめた私に、低めた声で左側の席に座ったラウドラチャクリンが付け加える。

 どうやら彼は、私が彼等の素性に気付いた事をすら把握しているらしい。


「……いいの?」

「何が?」

 口をついて出た疑問にファドラーンが聞き返して来た。


「私にそんな事まで教えて……」


 いいんだよ、と彼の笑いが代わりに答えている。


 ラウドラチャクリンも気にするふうも無い様子で食事を続け、けれどグラスを空ける回数は多くて、今迄の旅の途中で見たよりもかなりペースが速い。

 うわ、本当はお酒に強いんだ、と呆れ顔で彼を見ていた私はふと視線を感じて、ファドの父親の隣に座った年配の婦人と思いっきり目が合ってしまった。


 店の主人の隣に席を占める女性といえば、その奥方だろう。


 ……つまり、ファドラーンとラウドラチャクリンの母上という事だわ。

 目が合った次の瞬間彼女は穏やかににっこりと微笑んでくれ、私もぎこちないのは否めないとしても、精一杯の微笑みを返した。


 それにしても、食事の席は終止和やかなもので、かなり気心の知れた者達ばかりなのだろうと思われる。

 やがて食事に満足したのか、そこに居座って何人かが酒杯片手に談笑を始め、そしてしばらくすると更に何人かが姿を消した。

 静かに部屋を出てゆく彼等を不思議そうに見つめていると、ラウドラチャクリンが口を開いた。

「彼等はここの外に住まいを持つ者か、多分……外の待ち人の処へ行くんだろうよ」

「あなたは?」

 それが恋人なのかそうじゃない人の事を指すのか判らないけれど、そう逆に彼に問い掛けてみる。

「残念ながら……行く当てが無いんだよ、わたしには」

 にやりと、人の悪い笑みを浮かべた彼にさらりとかわされた。ラウドラチャクリンはかなりの量のお酒を飲んだはずなのにちっとも顔に出ていない。まぁ……それでもいつもよりは砕けた感じなのだけれど。

 私の右側のファドラーンは何故だか少し緊張しているようだわ。

 なんで彼が緊張するの?……明らかに部外者のはずの私なら兎も角、ここは自分の家なのでしょう?


「……ラウドラチャクリン、ラウ?」


 不意に隣のラウドラチャクリンに父親が声を掛け、応じるかの様に彼が席を立つと、自分のグラスを持ったままその父親の隣へと移動する。

 2人はそのまま小さな声で何やら話しはじめてしまったが、決して私の方を伺うでもない彼等に何を話題にしているのか判別も着かず、かと言って隣のファドラーンといつまでも話していて注目されるのも何だか不本意なような気がして、私も席を立つ事にした。


「食事はお口に合いましたかしら?」

 ドアを出た所で、続くように背後から声を掛けられた。


 振り向いた先には、先程までこの屋敷の主人の隣に座っていた婦人が微笑みと共に立っている。


「あ、ええ、御持て成し頂いてありがとうございます。……ご挨拶もまだでしたのに」

「いいえ、準備が慌ただしかったので、こちらも失礼してしまって……不作法をお赦し下さいね。私はファドラーンの母のルツィエラと申します」

 にこやかに微笑んで自己紹介をする彼女の物腰は、やはりというのか、中流の商家の奥方には似つかわしくない程に優雅だわ。

 只者ならぬ雰囲気を察して、私も慌ててユグドラセア風の正式な礼を執る。


「セシリア・イェライシャ・グレンフォードと申します。……イェライシャとお呼び下さい。私の我侭でこちらの隊商のみなさんやご子息方にご迷惑をお掛けしてしまって、申し訳ないのですが……」

「息子達が貴方のお役に立てたのなら光栄ですわ。困っている女性を見過ごして来たのなら今頃私が彼等を搾り上げている所ですもの」

 どう説明したものか言葉に詰まったのを、ルツィエラはすんなりと流してくれる。


 ほっそりとして儚げな風情の婦人なのに太っ腹なその対応に、この家の主であるあの初老の男性がこの婦人や家人にとても寛容な人物なのだろうと辺りを付ける。

 そうでなくては、このような物言いが許されるはずは無いわ。

 どう取り繕っても結局は、この国も、私の故国であるユグドラセアも、男性に拠って動かされる社会であったのだから。

 それとも、フィルダウスと言う国ではそれが当たり前なのかしら。


「貴女にこれを使って頂こうと思って……ご用意させて頂きましたの。有り合わせで申し訳ないのですけれど」

 そう言って彼女は先程通された応接室から、衣類と思われるものを取り出して来ると有無を言わさず私に手渡した。肌に柔らかく触れるそれが、かなり上等の素材で作られた寝間着だと察して、慌ててルツィエラを見つめる。

「無理を言ってご厄介になっている上に、このようにして頂いては申し訳ないのですが……」

 淡い女性らしい色のそれを見つめて困ったような声を出すと、ルツィエラは優しい表情で言葉を続けた。


「今までの宿でのように、旅着を来たまま眠るおつもり?」

「……それは」


「旅の途中だし……男性との同室で用心した……だけではないのでしょう?せめて、ここに居る間くらいは自分の家と同じ様に考えて、御寛ぎ下さいね」

 図星を指されて言い淀んだ私に畳み掛ける様に、あるいは母親の口調で諭すように……だろうか、そう言うと彼女はすたすたと歩き出した。


 途中で振り返って、付いて来いと促す。


「ここがこの屋敷のメインの浴室です。貴女の部屋とラウ、そして私達の部屋にもグスルハネは設えてあるのですけれど……こちらの方がゆっくり出来ると思うわ。今日はもう混んでいるようだから、明日一番に貴女の番を取っておいてあげますね。」

 幾つか廊下を曲がった所で、ルツィエラはそういって壁を指差して振り向いた。大きくくり抜かれた扉の向こうに浴室があるらしく、何処と無く湯の湿った気配がする。

 そしてそこに入る手前の壁には掲示板のようなものが貼付けられ、何枚かの札が掛かっている。

 それに書き込まれている名がこの屋敷の住人達であるのにようやく気が付いた。何番目かにはファドラーンの名も読み取れる。

「この札で順番を決めるのですわ。ここでは若干の例外はあるものの皆平等が原則なので」


「……ラウ殿は?」


 その名が無いので尋ねると彼女は少し困ったふうに微笑む。


「例外があるって申し上げましたでしょう?彼が一番の困ったちゃんなのですよ。特別扱いと言う訳でもないのですが……少しばかり気難しい所があってねぇ」

「あの方が……?」

 ちょっと旅の間に抱いた印象とは違う事を言われたような気がして、意外な表情をしてしまった私を見つめ、ルツィエラは微笑む。


「悪い子じゃないんですけれどね」


 そう言うと二階に上がる階段まで案内してくれ、お休みの挨拶をして去って行った。

 しばらくその背中を見送ってから私も階段を上がり、自分にあてがわれた客室へと戻る。 この階に部屋を持つ人たちは皆まだ宴席に居るのか、それとも外へ出かけたのか、或いは初めから私とほんの数人しかいないのか、人の気配が無く妙にしんとしていて何となく寂しい。

 これから湯を使う事を考えて部屋の鍵をおろすと、衣類を脱ぎながらグスルハネへと向かった。


 連日の旅の疲れとさっき少しだけ味わったお酒のせいだろう……とても身体が気怠く感じられていたのだけれど、グスルハネの熱い湯が心地よくてかなりはっきりと物を考える事が出来るようになった。

 とはいえやはり疲れているのは確かなので簡単に身を浄めるとグスルハネを出る。


「ふぅ……」

 肌に触れる室温に我知らずため息がこぼれた。


 そして早速先程ルツィエラに貰った柔らかな寝間着の袖に腕を通してみる。

 大きくて上質なベッド、お布団はふかふかなのにその下のマットレスが固めでちょうど良い、に身を横たえると本当に久しぶりに寛いだ気分になれる。

 そしてそのまま、夢も見ないような深い眠りへと沈んでいってしまった。

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