002 交渉
真深く被ったままの外套のフードは、彼等ごときには顔を見せる必要すらないと言わんばかり。
そして、さほど大きくはない、けれどよく通るいつもの声色で口を開く。
「お前達はバーラートの者であろう。我々はバーラートのジャヤル家の御用を預かる商家の者だ。我々に楯突いてここでこれ以上騒ぎを起こすのならば、自らの国ですら商売も出来ぬようになると思うが……それでも良いのか?」
鶴の一声とはまさにこの事だろう、その言に彼等は怯まざるを得ない筈だ。
現在バーラートには大小20を超える藩王家があるのだが、ジャヤル王家はその中でも五本の指に入る最大の王家だった。
バーラートの民であれば知らぬ者はない名前と言っても過言ではないだろう。
ラウドラチャクリンは、バーラートに於いてはそのジャヤル王家と個人的に強い結び付きを持っている。現に今も彼が属するこのアルマンスール家は、その王家の用を賜り、商いをしているように装っているのだから。
「……それは……」
護衛の一人が明らかに怯む。
「いや……そ、それならそうと早く言って下さいよ。勿論王家と深い縁の在る方々のお言葉ならば従わせていただきますとも、勿論」
途端にその護衛を押しのけて、主人の下級商人は手のひらを返したように下手に出ると、そそくさと護衛達を引き連れて逃げるように姿を消した。
本心は兎も角、楯突き用の無い名を出されてしまった以上、彼等は引き下がらぬ訳には行かなかったのだ。
それに一時の気まぐれと、たかが女一人への執着で、これからの商売をふいにする気はさらさらなかったろう。
すごすごと引き下がった彼等を見送っていると、安堵したかのように周りの人垣が少しずつ崩れて行く。物見高い人々も三々五々散ってゆくのを確認すると、俺はようやく娘の方へと向き直った。
「我々…私はイクシール・ルクアディナルファ間の交易を商いにしている商家、アルマンスール家の長男、ファドラーン・アルマンスール。あちらは弟のラウドラチャクリン・アルマンスールです。交渉……とおっしゃいましたが、詳しい話は我々の宿で致しませんか?すぐそこですから」
はだけかけたフードをかぶり直した娘が、ほんの一瞬だが人目を気にしたその仕草に訳有りなのを察してそう申し出ると、俺は無意識に腕を差し出した。
いつも通り貴族の令嬢に奉仕する時の様に。
そして腕を差し出された相手も、当然の様にその腕に手を重ねる。
ちらり、と隣に立っていたラウドラチャクリンがそれに目をやるのに気が付く。
なにか気になる事でも……?
俺の視線での問いかけにも、しかし彼は何も言わなかった。
そのまま特に何か話をする訳でもなく、押し黙ったままの彼女を伴って宿へと道を歩く。 俺達の隊商が逗留している中流の宿に戻ると、隊商のメンバーに出発迄の時間と指示を与えて、いつもの来客に対応するように社交室の奥まった一角のテーブルに彼女を案内した。
席に着いた彼女は躊躇いはしたものの、その時になってようやく外套のフードを外したので……同じ様に外套を脱いだ俺は、その姿から目が離せなくなってしまった。
室内独特の暗さを払うかのように、彼女の髪が一際輝く。
金髪、というものなら多く目にした事がある。しかし彼女の髪の色は更に淡く透明で、まるでそれ自体が光を放っているかの様に輝いている。
バーラートは多民族の国だが、この国でこんな色の髪は見た事が無かった。
「この辺りではあまりお目にかかりませんが……ユグドラセアの方ですね?」
静かなラウドラチャクリンの声にはっとして、俺も彼女もラウを見遣った。
ユグドラセアとはバーラートよりも西方に在る王国の中でも、更に遠方の国だ。
彼の国とバーラート間では少しだが交易に拠る外交があるものの、イクシール、ましてや奥地のルクアディナルファでは名前を聞く事も滅多に無い。
「御国からここ迄は流石にお一人では無理でしょうから……途中迄はお供の方かご家族とご一緒だったのでは?」
取り立てて追求するふうでもないラウドラチャクリンの確認のような質問に、彼女も漸く口を開いた。
「……ええ、バーラートまでは家族と一緒でした。私の父はユグドラセアの貴族で投資の為の視察でしたが、私はもう少し奥地のイクシールやルクアディナルファも見てみたかったので、一人旅を」
「しかし……っ」
咄嗟に口を開きかけた俺の踵をラウドラチャクリンが軽くつま先で突つく。
黙れって事か?
しかし彼女の説明は今ひとつ腑に落ちない、本当とは思えないものだった。
娘がたった一人、好奇心だけでバーラートの西から北西のこの地、イクシールとの国境迄やって来たと言うのか?通常の貴族の旅と言えば護衛や使用人などを大勢従えた賑やかな物の筈だ。一人での旅なぞ正直考えられない。
バーラートは彼女の国よりも遥かに大きく、広大な国土と雑多な民を抱える国なのだ。
「……まだ貴女のお名前を伺っておりませんでしたね」
ラウドラチャクリンだけはマントを外さず、フード深く被ったままだ。その姿に少しどころかまだ全然警戒を解いていないふうの彼女は、その問いに一瞬の戸惑いを見せた。
「セシリア・I・グレンフォード、です」
「失礼ですが、年齢は?」
「……17になりました」
俺の問いかけに躊躇いがちに俯いてそう答えた彼女。つい、無意識に俺はため息をついていた。気丈そうな見た目の印象よりもかなり若い。
「よくまぁ……ここ迄無事に来れたものですね?」
誉めるような、呆れたような、そんな俺の口調に少し彼女の目が柔らかく和んだ。そこへふとラウドラチャクリンが口を挟む。
「ミドルネームのIは?」
「イェライシャ……ですが」
怪訝そうに返事をした彼女にラウドラチャクリンは答えた。
「では我々は貴女をそうお呼びしましょう。我々の事は呼び捨てで構いませんから」
それから俺の方をちらりとを見て、奴は少しふっと……笑みを浮かべて続けた。
普段あまり感情を表情に表さないラウドラチャクリンのその微笑みに、咄嗟には意味迄も掴み切る事は出来ない。結構付き合いは長いと自負しているんだけれどな。
「我々は移動に馬を使っていますが、持ち馬は居ますか?」
「いいえ、宿場間の貸し馬を使っていましたから」
特にそれには執着するものはないのだろう、あっさりとした口調の彼女にラウは軽くうなづく。貸し馬とは宿場間で馬持ち達が小遣い稼ぎにしている商売で、隊商などの余った馬を移動させるついでに人を乗せてゆく、或いは貸し出したりするものだ。
「それでは、この隊の馬をお貸しできるようにしましょう。あとは我々と同行していく間の道々の費用等ですが、当面この隊商が肩代わりして、貴女の目的地に着いた時点で清算させて頂く事にして頂けますか?」
「判りました。では、前金を如何程お支払いすればよろしいですか?」
事務的な交渉ごとを気負い無くこなしてゆくラウを見つめながら、こんな世俗的な事にも随分慣れたな、と感慨に浸る。
そして対しているイェライシャ嬢にも同様の旅慣れた雰囲気だな、などという感想を抱いた。同行者とは最初の取り決めが肝心で、問題が発生したり事態によって少しづつ調整して行くのが常だ。
彼女の見かけの身分からすれば、そんな細事に通じているのは意外なのだが。
「それも最後、旅が終わってからでよろしいですよ」
先ほどまでと全く変わりのない穏やかな口調のラウドラチャクリン。
「……そんな訳にはいきませんし、そんな話聞いた事も無いわ」
けれどイェライシャ嬢の口調はそうはいかなかった。
いくら何でも怪しい、と彼女が思い始めているのが俺にも判って、どう間に入ろうかと思ったところでラウが最後の条件を出して来た。
「その代わり、と言っては何ですが……途中の宿場町の小さな宿では余分の部屋を確保できないので、私達との同室で我慢して頂かなくてはなりません。それで宜しければこの条件で お請け致しますが?」




