018 高揚
今夜の宿で時間をくれ、と何時になく真剣な面持ちで告げたイェライシャ。
彼女がどんな話を持ち出すのか、正直言って見当は付かなかった。しかし俺も彼女に話しておきたい事はあったから、承諾のしるしに黙ってうなづいた。
次の街へと向かう道すがら、彼女の希望に添えるようにと俺は彼女が告げた言葉をラウドラチャクリンにも伝える。別に自慢してる訳じゃない、一緒に隊を取りまとめている都合上、問題なく夕刻からの時間を確保する為だ。
一方ラウドラチャクリンは怪訝な表情を見せるでもなく、大した事じゃないとでも言うような視線を向けて来た。
むしろ……俺を黙って観察しているような気すらする。
何か、絶対、おもしろがっているに違いない。
宿についてすぐは何かと気忙しい。
馬や荷物の整理などでごった返す中ラウドラチャクリンと宿の女将とが何やら相談しているのには気がついたが、まさか余分の部屋を確保する為だったとは食事が済むまで思い当たらなかった。
やはり俺は大分舞い上がっていたのだろうか。
「大事な話があるんだろう?」
部屋を割り振った後、狼狽えた俺に意味ありげな表情で彼は言う。
そして、その視線に追い立てられるように、俺たちは彼女の部屋へと向かう羽目になってしまった。
部屋に二人きりと言うシチュエーションが今までに無かった筈は無いのに、俺とイェライシャは明らかに緊張している。
当惑していた俺に、けれど、口火を切ったのはイェライシャが先だった。
俺たちに出逢うまでの、彼女の事情。
それは彼女の身の上話のようなものだった。確かに訳ありだろうとは思っていたイェライシャだがここに来る迄の間に随分と思い荷を背負っていたらしい。
「戻りたいけれど、戻れない」
苦しげな笑みとともにそう言ったイェライシャに、心の隙を見出した、と思ったのは気のせいだけではないと思う。
その間隙を突くと言うと聞こえは悪いかもしれないが、俺が彼女に言いたかった事を伝えるには良いタイミングだと思えたのは確かだ。
くじけそうな勇気をなんとかかき集めてようやく口にした言葉。
相手に好意を伝える為のソレを、自分から口に出したのは多分初めてなんじゃないかと思う。
もちろん気持ちを伝える為に抱き寄せたりした事も。
ラウドラチャクリンを眼で追っている事の多かった彼女だったから、拒絶されると思っていた。強く抱きしめ返してくれるなんて思っても居なかった。
そして思いもかけず前向きな返事を受け取る事が出来た俺は、浮き浮きした気分で俺とラウドラチャクリンとの共同の部屋へ戻る道を急いでいた。
もっともほんの一つ部屋を隔てただけの所なのだが。
……勿論もっと彼女と一緒に居たいと思う気持ちも強かったが、あれ以上見つめ合っていたら自分の理性を保ち続けてはいられなかったとも思う。それだけイェライシャは俺から見て可愛らしく、魅力的で保護本能を刺激する存在だったのだ。
別に、紳士ぶっている訳じゃない。
昔は色街の妓女を泣かせまくったというウワサの(本当の所はそんなんじゃ無かったらしいのだが)ラウドラチャクリン程では無いが、俺だって……まぁそれなりに女を知ってはいるし、幾つかの恋愛も経験していた。
それでも自分の国に連れて行きたいとまで思ったのは、イェライシャが初めてだと思うのだ。
だから彼女がフィルダウスの土を踏む事が出来る様に、そしてそれ以前に、誰にも追われる事のない身になれるようにと渡りを付ける事が、いつの間にか今の俺にとってしなければならない最優先課題になっていた。
そしてその為には自分の上司を説得するのが一番の早道だと俺は思ったわけだ。
父親は確かにフィルダウスの有力貴族の一人だが、上司たるラウドラチャクリンは更にその上に居る。
何と言っても彼は次代のフィルダウス国王として冊立された世継ぎの王子なのだから。
叔父である現王を継いで即位する迄はと、親友の息子である俺を自分直属の近衛の隊長として取り立て、自らの信念と方針で自分の王国を守る為に活動する道を選んだラウドラチャクリン。
彼に従う俺達は無言の信頼と忠誠を誓っていた。
とはいえ、部屋の扉を開けた時の俺の顔はかなりにやけたものだったと思う。
それに応じて一足先にこの部屋の主となっていた彼からも声が掛かる。
「随分と早かったな。何だか良い事が在ったようだが……まさかとは思うが……もう押し倒して来たんじゃないだろうな?」
「ベッド迄の距離を時間で測るんですか?、……貴方が?」
「おやおや、そう来たか」
やはり待ち受けていたな、と突っ込んだ質問も覚悟していたが、追求するよりもからかう様なラウドラチャクリンの言葉にそう反撃してみる。
彼が随分と経験豊富らしいとはもっぱらのウワサなのだが、苦笑するラウドラチャクリンの腰掛けているベッドに並ぶ隣のベッドへと腰を降ろすと、まっすぐに彼を見つめた。
「単刀直入にお聞きしますが、俺が彼女をフィルダウスに連れて行きたいと……勿伴侶として……考えたとして、彼女には何が足りないと思いますか?」
昔から、回りくどい事は抜きで本題を尋ねる方が好きだった。
それをよく知っている筈のラウドラチャクリンも、流石に今回は絶句したらしい。
かなりの間が空いて……それでも俺は息を詰めてラウドラチャクリンが言葉を紡ぐのを待っていた。
「何が足りない……か。お前はどう思っているんだ?」
ゆっくりと視線を彷徨わせていた彼は次に俺を見つめて、そう質問して来た。
「俺は、今の彼女で十分ですが」
「ならそれでいいんじゃないか?他のどんな事でわたしや叔父上や……上帝を説得出来ると言うのか、わたしはその方が聞きたいね」
真面目な顔でそう肩をすくめると、次にはにやりと笑って見せた。
「それで駄目だと言われたら……言ってやるが良い、我々に新しい血を与えてくれる者だと」
「……それは」
今度絶句したのは俺の方だった。
「言い過ぎじゃないですか?上帝に向かってそれを言う勇気は……俺にはありませんよ」
「ならば諦めるのか?かまわんさ、叔父上も地上の女性を娶った方だ、お前に反対する訳には行くまいよ。ましてや王国にとってメリットのある者をしか受け入れないと言う姿勢自体が、既にわたしの主義ではないのだからな」
……尤も新しい血というだけでも充分なメリットだがな。そう表情で彼は語った。
仮にも上帝はフィルダウスの守護神だ。初代国王の母一族を保護しフィルダウスを拓いた、いわば建国の祖でも在る。
流石に弱気な声になると、ラウドラチャクリンが畳み掛けてくる。
勿論俺にだって彼の言い分も判らない訳じゃない。
「新しい血……ですか。」
一人ごちると、ラウドラチャクリンの視線が注がれる。
「わたしとお前にしたところで、臣下の間柄として対しているが……厳密にはかなり近親の血縁になる筈だ。あの狭い国土の中で長い間近親婚を繰り返して来たのだから、当たり前なのだが」
「それは……たしか……俺の曾々祖父の姉妹が貴方の祖母にあたるってやつでしたよね」
「そんなところだったかな。わたしと叔父上は……一世代昔の遺物だからな、お前の父上の方がわたしよりも若いのだから」
幾らか自嘲的な、見慣れた彼の笑みに昔の事を思い出した。
……そうだった。
まだほんの子供だった頃、俺は自分の屋敷近くの荘園の中で初めて彼に会ったのだ。
父の知り合いだとしか名乗らなかった彼は、生意気に見上げていただろうガキを自分の馬の鞍の前に引き上げて、屋敷迄の案内を俺に頼んだ。
その頃体調を崩して臥せっていた俺の母を見舞う為に。
わざわざ単身で臣下の屋敷を訊ねてくるという、王族にしては砕けた方だと後で耳にして初めて、彼が王位継承権第一位の王子チャクラヴァルティン殿下だと知った。
俺にとっては大分昔の、思い出だ。
以来随分と時が過ぎたが、彼は少しも変わらない。
……外見だけなら。
「貴方は……どうなんです?俺と……イェライシャとの事を認めて下さるんですか?」
昔の事を少しだけ思い浮かべながら、目の前の上司の意向を探る。
「お前が良いと思った事を否定する権利はわたしには無いよ。初めからお前の意志でこういう事態になったのだし。人の恋路を邪魔する気は毛頭ないからね」
特別表情を変えるでも無く、静かな口調でラウはつづける。
「彼女に、自分の世界を捨ててお前について来る意志があるのなら……わたしは受け入れて然るべきだと思うが?もちろん上帝にも問われれば、そう答えるだろうね」
「……ありがとうございます」
彼の暗黙の了解にちょっと胸が熱くなる。
立ち上がると、ラウドラチャクリンの前に改めて膝まづき、そのまま頭を垂れた。
こんな恭しい礼を取るのは、初めて彼に忠誠を誓った時以来だった。
「まぁ……後はお前さんの両親を説得するのが肝心だろうな。そして彼女の身辺整理だが……この地からルクアディナルファへ着くまでの間に片付けられる所からこなしていくしかあるまいな。彼女の扱いについてはわたしに一つ案がある……ジャヤルの藩王にも協力させるが、お前にも働いてもらうからな」
「……努力します」
改まった恭しい礼に照れてでも居るのか、ラウドラチャクリンの声は苦笑混じりだった。
翌朝、俺達はいつも通りに荷を整えて出発した。
俺とラウドラチャクリン、そしてイェライシャもお互いに変わった素振りは全く見せなかった。
何気なくいつもの会話を交わす俺と彼女に、特別変わった視線を注ぐ者も無く、いつも通りの隊商の旅だ。
今夜辿り着くはずの町、イクシールの首都ツァィデアルが当面の目的地だと言う事を除けば。
……そしてそのツァィデアルには俺の両親が居る。
その事について考えると妙に緊張してしまう。
いや別に、すぐイェライシャを決まった相手として紹介する訳じゃないし、初めからそう言う待遇を彼女にするつもりは無かった。
彼女からの返事を待つという受け身の立場のせいもあるが、取り敢えずルクアディナルファ迄の客として紹介するつもりだったからだ。
もっとも、誰かが余計なお節介を焼くかもしれないという懸念も無い訳ではない。
そんな俺の考えなぞ関係なく一行は支障なく行程をこなし、日も落ちかけた頃、ツァィデアルの一軒の商家へと到着した。一般向けの商売は終わった時間なので、看板が掲げてある表の店側には戸締まりがされ、灯りも落とされているのだが同じ並びにある厩側への大きな扉が開かれ、迎え火が灯されていた。
今日、この時間に着くとの先遣りは特別出してはいない。
知らせなくても判っている、それが昔からの俺達の流儀だった。
馬と荷馬、そして安堵の表情を浮かべた人々が次々とざわめきと共にその扉をくぐる。
さほど広くはないその中庭は、たちまち人馬でごった返す騒ぎになった。
首都の中心部に入る前に、郊外で別の管轄で活動する仲間が営む馬屋に立ち寄り、荷の空いた馬と騎乗用の馬を何頭か預けて来たと言うのにだ。
これ以上隊商や商売の規模が大きくなれば、かえって人目につきすぎてしまうな、とさすがに危惧する。
その騒ぎにすぐ、アルマンスール家の当主イスナード……俺の親父……が姿を見せた。
渡り廊下から中庭へと降りて来た彼は、安堵の表情で皆に歓迎の言葉を掛け、同じ様に俺とラウドラチャクリンにも声を掛けようとして、俺の隣に立つ見慣れぬ女性に気付いたようだった。
「……ファド、その御婦人は?」
戸惑ったような声に、隣のラウドラチャクリンがにやりと口の端を上げるのが目に入る。
「俺が請け負ったお客です。……ルクアディナルファ迄の。詳しい話は中でもよろしいですか?」
彼の視線がすっと動いて……他の者達の間に動揺が無いのを見て取ると、黙ってうなづき、俺たちを中へと招き入れた。
ようやくファドラーン視点に戻って参りました。
でも、次からはまたイェライシャ嬢視点に・・・。




