017 告白
「どういう……こと?」
「ちょうど部屋に空きがあると、この宿の女将が用意してくれたんだよ。今までは随分気を使わせてしまったからね、今夜くらいは遠慮しなくてもいいよ」
タイミングが良すぎるこの事態に、ラウドラチャクリン一人だけがのんびりした風情だ。 確かにファドラーンは午後の出発の時、何かをラウドラチャクリンに耳打ちしていたけれど、こんな事は想像してもいなかったらしい。
私と同じように、慌てたような困惑した表情で「弟」を見つめている。
確かに大切な用件を伝えたいと思っているわ。
でも、その用件はラウドラチャクリンも知っている内容なのだから、わざわざ別室を用意する必要は無い筈なのよ。
ましてや娘一人だけの個室に男を招き入れようと言うのだから……通常ならどんな噂を立てられるか知れたものではない。ふしだらだとか、もっと……口にするのも憚られるような事を言われるかもしれないこのシチュエーションもしかし、この隊商の人々なら大丈夫だと、変な所で確信があった。
下世話なふうには受け取りはしない、その裏に在るもっと深遠なものを理解してくれる、そういう人々だと……私は無意識のうちに確信していた。
でも、やっぱり、戸惑ってしまうわ。
そんな事態を楽しんででも居るのか、言葉巧みなラウドラチャクリンに追い立てられるようにして、夕食を済ませた私とファドラーンは皆の居る部屋から個室へと移動する羽目になっていた。
「……えっと、改まってどうかしたのか?イェライシャ」
かなり居心地の悪そうなファドラーン。
彼もこの状況に緊張しているのだと悟り、急に落ち着きを無くしてしまった。
「あの、私……貴方に謝らなくちゃならないの、ごめんなさい」
何から切り出せば良いのか判らなくて、先にそれだけを言い、頭を下げるのが精一杯で。
「何の事を言っているのか……俺には判らないよ」
案の定、困ったふうの彼を見上げる。
それでもどう話を切り出せばいいのか自分でも迷い、再び視線を下げると胸の前で組んだ指に力を入れてしまった。まるで懺悔をする時のようだと、血の気の引いたそのほの白い指を見下ろして心の中で思い当たる。
それくらい、今の私は動揺している。
「私……逃げ出して来たの、シュヴァーゼ藩王家の藩王から。彼の三番目の妃になる筈の娘が姿を消した話は聞いた事……無い?それを貴方に隠していたのが……心苦しくて……」
「—まさかそれが君だと……?」
どうやら全く気付いていなかったらしい彼のそのリアクションに驚いたが、それでも表情は変えず神妙なまま、うなづいて見せた。
「私の家族も歓迎していない結婚話だったし……何より私が……彼を好きになれなかったのよ。父が勧めてくれたように、逃れるように国に戻って親族の重荷になるだけならば……いっそバーラートの人々の中に紛れてしまった方が良いような気がしたの。」
そう、あの時はそれが出来ると思っていた。
「理解ってもらえるかしら、王宮からバーラートの町中の雑踏を見ていたら……このままこの人混みの渦に紛れてしまえば私の存在すら無くしてしまえるのではないかしらって……思えて来て。私がいなくなっても父と藩王の立場にはあまり影響は無いはずなの、あくまで商売上の利害のみの関係を通したかったのよ、父は」
「シュヴァーゼの、あの藩王の……まぁ、いろんな噂は知ってるよ。君が彼の元を逃げ出したのは賢明だとは思うけれど、逃げ出せるだけの立場だったのが幸いだったね。それで……イクシールの国境迄たった一人で?」
歯切れの悪い物言いに、私が逃げ出して来た理由を彼が理解してくれたのだと判る。
「—ええ、バーラートに居た間にもいろんな人の噂話やこの当りの国の伝説を聞いて……探してみようって思い立ったのよ、伝説の王国とやらを」
「まさか……フィルダウス?」
信じられない、そんな狼狽えた口調のファドラーンににっこり微笑んだ。
「でも……そうとでも考えなければ旅になんて出られなかったわ?在る筈の無い……無いと判っているものでもいいから……それでも何か目標を持たなかったら、とっくに私は……生きる事すら諦めていたかもしれないのよ?そして流れ流れて……着いた先であなた方と出会ったの」
言いたかった事を言ってしまってから、ファドラーンを見つめる。
心なしか彼のまなざしは厳しいものだった。
「君と我々が出会ったのは、全くの偶然だと思っていたが……よりによってフィルダウスとはね」
ため息を一つ、深い戸惑いと共に吐き出すと、彼は変わらぬ複雑な表情で私を見つめて続けた。
「本当に戻らないつもりなのか、故郷の家族の元に……?心配しておられるのだろう?」
「戻りたくない……と言ったら嘘になるわ。けれど……戻れないというのが現実なのよ。私がシュヴァーゼの藩王を少しでも愛せれば、若しくはあの状況に甘んじる事が出来れば良かったのでしょうけれど……。それに……ラウにも言ったのだけれど、私の父の一族は……私に対して優しい人たちじゃないのよ」
そう言って肩をすくめてみせた私に、少し上の空のような口調でファドラーンが口を開いた。
「……君が訳ありなのは知っているよ、この隊の誰もがね。話してくれないのなら、それはそれでしょうがないとも思っていたから、俺に話してくれたのは正直言って嬉しい。それにしても……このままルクアディナルファ迄旅を続けて……そのフィルダウスという国を捜すつもりなの?」
ファドラーンの探るような、確かめるような口調に私はゆっくりとうなづいていた。
「取り敢えずの目標よ。ありもしない伝説でも良いの、私には当面の目標……支えが必要なのだもの。ラウはそれについては何も言わなかったわ。彼の意見はね。……貴方としてはどうなの?」
そう、私はそれが気になるのだ。
「俺の意見?それに……ラウがなんだって?」
けれど彼は今頃気付いたような慌てた声で聞き返してくる。
その時のファドラーンの表情が如何にも少年のようで、つい笑顔になってしまった。
「彼は最初から私の素性も、目的も気付いていたみたいね。……私が逃げ出して来た女だって。そして目的地についてもよ。ほんとうに鋭い人よね、それに多分……ミシェイルさんもだわ」
「やっぱり……か。何か隠していると思ったが、ラウの奴」
少しどころか、かなり悔しそうなので心配になって付け足した。
「彼に言われたのよ?話したくなったら、私から貴方に言ってくれって。……それに私も聞きたいの、貴方達が私をどうするつもりなのか。それに、私は……もしかしたらシュヴァーゼの藩王に追われているかもしれないのよ?」
「……どういうことだい?」
開き直った私に、慎重な口調でファドラーンが探りを入れて来る。
「私の目的地はフィルダウスよ。あなた方はその……関係者なのでしょう?伝説の王国を捜す者を……阻むか排除するのが目的なのではないの?」
言い切った私を見つめる目つきが鋭くなり、その数瞬後、今度は笑顔になった。
予想していなかったその晴れやかな笑顔に、私の頬が赤くなるのが自分でも判ってどぎまぎしてししまう。
「悪意や、……侵略の意図を持たない者には何の危害も加えない。それが我々の基本ルールみたいなものなんだ、勿論甘い考えだと言う向きも無い訳じゃないが。君の探究心も好奇心から出たもののようだから……誰かに我々の事を漏らそうとしない限りは、安全というのか……自由を保障出来るよ。ラウはそれを言わなかったんだね?」
「違うの、あなた方がそうなんじゃないかと気が付いたのは……今日だもの」
にこやかな笑顔でそう言われ、かなり拍子抜けしたような表情を浮かべていたであろう私に、ファドラーンは言葉を続けた。
「それについては、隠しても半端なやり方ではいずれ判ってしまうだろうから、俺としては敢えて……隠しては居なかったんだ。それとも……俺は……気付いて欲しかったのかもしれないな」
最期の言葉を口にした時の彼は最早笑顔ではなかった。かなり真剣な……真摯な表情。
「どう……言う意味?」
「君が俺達の正体に気付いたのなら……それを口実に、君をフィルダウスへと攫って行けるかもしれない。俺は……」
言い淀み、口をつぐむ。
私も……彼の言葉の意味を瞬間……理解出来なくて戸惑う。
その間に、彼が私の方へと踏み出した。
そのまま私の肩に両腕を廻して、力を込める。抵抗するとか、抗議の声を上げるとか、そんな事を考える前に、私は彼の胸に抱き締められてしまっていた。
「俺は……君のことがとても気になるんだ、むしろ……好きなんだと思う。たった一人で危険を冒してでも旅に出たなんて、訳ありだっていうのは……恋人の所にでも行くつもりなのかと思ってた。だから……君の心が自由で、束縛されていないのなら、俺の事を見てはくれないだろうか?」
ファドラーンの広くて逞しい胸に抱きすくめられて、高鳴っているのが自分の心臓ではないと気付くのに少し時間がかかった。
もっとも私だって彼に劣らずドキドキしていたのだけれど。
「はじめは髪の色が珍しくて綺麗だから……気になるんだと思ってた。けれど、まっすぐで勇気のある……そんな女の子だと知ってからは、もう止められなくなってて……。ときどき君がラウを目で追ってるのも知ってるけれど、どうやら……諦められそうに無いな。あいつが相手でもね」
緊張しながらも私を抱きしめているファドラーンの胸に逆に頬を埋め、少し上擦ったその告白を聞きながら、彼の背中へと腕を廻した。
この人はこの人なりのコンプレックスとも闘っているのだと知り、伝説の国の民なのだろうとは思うものの、私達と少しも変わらないその素顔に妙に安堵した。
「イェライシャ……?」
不安げな声が降って来る。自信の無さそうなその声に上を向いて、笑顔を見せた。
多分、今の私に出来る精一杯の微笑み。
暖かな想いをくれる人に出会えた高揚感に頬はきっと上気してしまっているはずだわ。
でも今はもっと重要な問題があるのを忘れてもいられない。
「あなたの気持ちは、とても嬉しいの。でも……さっきも言ったわ?私はシュヴァーゼ絡みで……貴方がたに迷惑をかけてしまうかもしれないもの……だから……」
「それに関しては俺達が力になれると思う。俺達のコネを……かなり当てにしてくれてもいいんだよ?」
だから、ごめんなさい。
そう言おうと思ったのに、それすら見越したようなファドラーンの言葉に遮られてしまって、言い逃れの口実を咄嗟には思い付けなかった。
だから、正直に、本当に思っている事だけを伝える。
「ありがとう、ファド。私……多分私も貴方が好き……なんだと思うわ。だけど……もう少しで良いの、私が自分自身を見つめる為の時間をくれる?私は自分が何をしたくて、何が出来るのかを知りたいの」
そう、いつも私はそう思っていた。その場限りのつまらない口実を見つけて無理に彼を拒むのではなく、私に納得のいくまで待って欲しい。
そんなわがままな私の申し出にすら、ファドラーンは笑顔を浮かべたままだった。
「判った、待つよ。それでも……助けが必要な時には遠慮しなくていい」
「ありがとう」
嬉しそうな笑顔で優しい返事をくれたファドラーンを見上げて、微笑みを返す。
ゆっくりと身体を離して……手をも離そうとした彼に、私は無意識の内に名残惜しそうな表情を見せたのかもしれなかった。
「……口付けても……いい?」
見つめられ伺うような彼の言葉に、微かにうなづいて同意を示しながらも……その堅苦しい程の礼儀正しさが可笑しくて頬が緩む。
それに自分でも気付いているのかしら、向かい合いまっすぐ立っている私に、その長身を屈めて優しくて……触れるだけのような……口付けをくれる。
「次は……私から返すから。そうしたら……私を何処にでも攫って行ってもいいわ」
「……待ってる」
緊張したあまり上擦って、少し早口な私の言葉にもう一度、今度は額に優しいキスをくれたファドラーンはにっこり笑ってそう言うと部屋を出て行った。
ぽつんと部屋に取り残された私は、それでも不思議に寂しいとは思わなくなっていた。
たった一人で……不安で眠れないなんてことも、もうきっと無いだろう。
うまく区切れませんでした。
長めです。




