012 接触
そのまま私は食事を済ませ、口をつぐんだまま彼等とのテーブルを離れた。
あらかじめ、心付けで宿の女主人に湯殿を使わせてもらう事にしていたからだけれど。
久しぶりの入浴に温かなさっぱりした気持ちで共用の寝室へと戻る。
扉を開け室内を見回すと、自分のベッドに腰掛けて何かの書き付けをチェックしているらしいファドラーンが居ただけだった。
室内に足を踏み入れ、自分の荷の片づけをしながらも2人黙ったままと言うの妙に気不味くて、ようやく私から口を開いた。
「ラウ殿は……また厩なの?」
「……いや、外で水垢離を取ってる」
一緒に行動するようになって、私にもこの隊商の皆の大体の行動パターンが判るようになっていたが、心なしか硬い声とその内容に思わずファドラーンを見つめた。
「そんな……こんなに冷え込んでいるのに?」
私がさっき湯を使わせてもらったのも身ぎれいにしたいのと同時に、冷えた体を温めたかったからだったのに。
「大丈夫だよ、俺達はもっと寒くても平気なんだ。それにあいつは……気が滅入るとああ言う無茶をするんだ、時々ね」
「……気が滅入る?」
案じた声を出した私に少しだけ声は優しくなったが、しかし真面目な表情で彼は私を見つめていた。
「君が……正義感の強い、芯のまっすぐな女性だという事は判ってる。けれど我々と同行している間だけでいいんだ、さっきのような言は慎んでくれないか?」
突然そう切り出されて私の表情が強張るのに気が付いたのかしら、緊張したように少しだけ彼の瞳が揺らぐ。
「思った事を信念として口に出来る勇気も俺は好きだが……さっきも言ったように、我々は全ての人々に尽くす為に在るんじゃない。それだけの力も無いしね。初めは小さな事に見えても、迂闊に手出しすればいずれは多くの責任で身動き出来なくなってしまうだろう。それを避けたくて、こんな形で動いているんだ。君の正義感は、ラウには堪えるんだよ。こんな世の中の状態に対処したくても手を出せない、自分の……或いは我々の無力さを声高になじられるような気持ちだろう……特に今夜はね」
手にしていた書き付けをサイドテーブルへと置いて、努めて落ち着いた声でそう話す彼に、私は見えない枷で胸を締め付けられたような気がした。
私の……自分の言動が知らずに誰かを傷つけている、そんな自覚は今迄に無かった訳ではないわ、確かに。
しかし、やるせない気持ちと同時に反論が口をついた。
「い、一般論でしょう?何故彼が気に病む必要があるの」
「君も見ただろう?彼や、ああいう力を持つ者は我々よりも感受性が強いらしいんだ。……人の苦しみを我が事の様に感じてしまう時もあるらしい。だから気心の知れない者の言葉に傷付く事も多々あるんだ。……済まないとは思う。君には腑に落ちない話だとは思うが、今少し心に留めておいてくれないか?」
確かに腑に落ちない、納得しかねる話だわ。
だが……真剣な表情で私を見つめる彼からは、苛立ちや怒りなどの負の感情は感じられなかった。
ただ弟の事を案じている様子が見て取れ、私だって意地を張る必要も無いのだしと素直に思えたのだ。
尤も、もし彼が高飛車に私を非難するような態度だったら、私も応じて喧嘩腰になっていただろうけれど。
「……判ったわ、言葉には気をつけます」
「ありがとう」
素直にそう答えた私に、女のヒステリーを覚悟してでも居たのかファドラーンは安堵する様に肩の力を抜いて、リラックスしたような風情を見せる。
その様子に、私は思わず訊ねてしまっていた。
……いいえ、付け足したというべきかしら。
「あの……ファドラーン?貴男も……私の言った事で傷付いたの?もしもそうなのなら……ごめんなさい。あなた方の事を良く知りもしないで批判的な事を言った私が悪かったわ。これからは気を付けるから……」
どんどん声が小さくなってしまう私にようやくファドラーンは笑った。
明るくてよく通るその声に、なんだか私は救われたような気がしたわ。
「生憎と、あいつと違って俺は図太い男だから気にもしないよ。君の言う事にも一理認めない訳でもないんだ。だが……今の我々は名を揚げる為に旅をしている訳じゃないし、俺個人としてはラウの心理状態に気を遣ってやりたい。だから君が理解してくれて本当に嬉しいよ、……ありがとう」
そう言うと彼は今迄腰を下ろしていた自分のベッドから立ち上がり、部屋を横切ると私の前に立ち……右手を差し出して来た。
その行動を……握手を求められているのだと……単純に思った私は、何気なく右手を差し出してそれに応えようとした。
だのに、その手を優しく手のひらに受けたファドラーンがしたのは私の想像していた事では無かったの。
身を屈め、手の甲に口付けを落とす彼を呆気に取られて見つめていたわ。
暖かくて、柔らかな彼の唇が触れた手の甲から、痺れるような感覚が私の頭に届く。
おとぎ話の騎士が姫君にするような優雅なその仕草に、頬が上気して、心臓が飛び跳ねる程ドキドキしてしまった。どうしよう、改めて思った。
こんな得体の知れないひとに。……本当にどうしよう。
まだ知り合って何日も経っていない、名前(本名かどうかも怪しい)しか知らないひとなのに……。
息苦しいような……特別な感情……が胸の内に生まれている事に自分でも戸惑ってしまった。 半年以上も同じ館で起居していたあの人物には、そんな想いすら抱けなかったというのに。
そんな私の心の動きには気付いてはいないのだろう、ファドラーンは背筋を伸ばすと頬を染めてしまった私を見下ろし、本当に晴れやかな笑顔を見せてくれた。
その表情にまた一段と赤くなってしまいそうで。
「も、もう……今日は疲れたから……お、おやすみなさい!」
上擦った声で、私は彼に背を向けると、彼等とのベッドを仕切ってある衝立ての陰に隠れる様に飛び込んだ。
アルマンスール家の隊商と同行する前の一人で旅をしていた頃は、宿を取っても安心して眠る事はなかなか出来なかった。
それは孤独故でもあり、この先への不安でもあったのだけれど……。
でも今は同室の誰かが居る。
それがよく知らない男性たちだというのに奇妙な安堵感があり、眠れぬ夜など無かったのだが、今夜はファドラーンの所作のせいで鼓動がやけに大きく感じられて……眠れないような気がする。
それでも、毛布に身を包み……心の中で明日はラウドラチャクリンにきちんと謝ろうと決めて……じきに程良い暖かさに誘われて眠ってしまっていた。




