109 身支度
「お戻りなさいませ。お部屋の方で皆様のお食事の支度が整えてございますわ」
「ありがとう、では行こうか」
「……はい」
部屋の外で待ち構えていた侍女がそう告げるのを受けてヴァルは頷き、俺たちを促す。
素直にそれに返事を返して、イェライシャを腕につかまらせたまま彼の後ろに従った。
この後はそれぞれに用意があるので慌ただしくなる筈だから、ゆっくり出来るのは昼食の間ぐらいのものだろう。
とは言えヴァルさまの支度にはさほどの手間は無い。身支度には大して手間取りはしないし、王の元へ届ける書類の類いもほぼ出そろっている筈だ。
一方、俺には護衛隊の指揮と監督という任務がある。
もちろん副隊長としてのラズィルが多くを仕切ってくれているのを承知しているが、最終確認は当然俺の役目だ。
そしてイェライシャには、客人として相応しい装いをしてもらわなければならない。
王に表敬するというだけでなく、ヴァルの客として衆目を集めてもらう為の。
美しく着飾った彼女を見てみたいという個人的な希望はあるが、女性の身支度が如何に大変なものかは母を見て判っているので、申し訳ない思いの方が先に立ってしまうのは否めないな。
「……なにか心配事?」
「いや、この後の君の支度も大変だから、申し訳ないなと」
俺の視線をいぶかったらしいイェライシャの問いかけに、食事の手を休める事無くそう答える。
「そんな風には見えないね、ファドラーン。鼻の下を伸ばしてるだけだろう?」
「俺はそんなに怪しい奴ですか」
すかさず突っ込んでくるヴァルさまに、つい肩を落としてしまうのは暗に彼が調子に乗りすぎているぞとの思いも込めているのだが。気が付いていないのか、あっさりと無視されているかのどちらかだろうな。
「取り敢えず、素材の私はこの程度だから。どんな風に変身させてくれるかはここのお屋敷の方達にお任せなのよ、あまり期待しないでね」
イェライシャはといえば、緊張を感じさせない素振りで返事をしてくれるが、その表情を伺ってしまう俺は相当な心配性なのだろうか。
食事を済ませると俺たちはそれぞれの支度の為に別々の方向へと向った。
いつものようにイェライシャを部屋まで送ろうと思ったのだが「遠回りになるみたいだから、自分の用事を優先してね」とあっさり彼女に躱されてしまったからだ。
「大丈夫、一人じゃないもの。皆さんと一緒に行くから迷子にもならないと思うしね」
この後イェライシャの身の回りの世話に回る侍女達が背後に控えているから、それ以上強く押す事もできない俺はうなずいて、その姿を見送る。
たしかにこの位置からならば俺の部屋の方が近いのは確かなのだが。
どうにも表現しようのない空虚感を抱えて、俺は仕方なく自分の部屋へと戻った。
部屋に入ってはじめに目につくテーブルの上には、何枚かの書類がきちんと纏められて置かれたままになっている。今朝のラズィルの置き土産は、今日午後からの詳細な予定と、人員の配置、そして大きく二つのグループに分けた親衛隊の構成表だ。
念を押された事もあって、先程会ったジェイルにも一部をちゃんと渡してきている。
明日からこちらに顔を出すと言っていたが、王宮に長居する可能性も俺たちにはないわけじゃない。
奴も状況を把握するのに必要だろうと言うラズィルの気遣いだ。
ほとんどの内容は俺とラズィルで検討したものだから改めて見るまでもないのだが、きちんと体裁を整えたがるのはジェイル仕込みのラズィル故だろう。改まった表情をしている書類を手に取り、念のため何枚かをめくって部隊の構成を確認する。
王宮へ先に出発して主人を迎える為の準備をする為の先発班と、主人たるヴァルさまに同行する後発班。
先発班はラズィルが指揮を任され、既に王宮へと出発している。こちらの班は「移動」の為の扉を使わないで動くから、その分早くにこの屋敷を出なければならないのだ。
残りの後発班は件の「扉」を使うので直前まで慌てなくてもいいのだが、いかんせん人数を多くは運べないのがネックなのだ。それでも既に王宮側の受け入れ態勢を整える者がいれば特に問題はない。
その班の中に件の男の名を見つけ、どうあしらっておこうかと考える。
ガティノワ・エブランデティオス。
気持ち国王寄りの大貴族の嫡男は、未来の国王とは懇意にしておかなければならないという当主の意向でこの隊に所属している。
まぁ、より正確には所属させられているという方が正しいのだろうが。
幾度か部隊の中での軋轢の原因になった事もあり、対応には慎重さを要求される人物ではあるのだが、ヴァルさまは彼を排除する気はないようだ。
むしろ「丁度いい案山子だろう」とすら言い切った事があったのは、俺とラズィルしか知らない筈だが。
「厄介な案山子だよ」
いずれにせよ、彼にも我々にもそれぞれの役目がある。




