108 身内
振り返ったファドラーンのその表情は、私を案じていてくれたのだと思うのだけれど、とても不安げなものだった。
「もう、何よあれ。私が貴女に何かするつもりだとでも思っているのかしら。信用ないなぁ」
「……アリシャさん?」
扉の向こうになってしまった彼等の姿を見送っていたら、隣りから聞こえてきた不満げな声に驚かされてしまった。
見つめると彼女は苦笑いで私を見上げている。
「私だって、一応彼を心配してるんだけどね。サシャ、こちらは良いから、お客様のお世話を手伝ってきてくれる?」
「はい」
隣りに控えていた侍女も、客人へのおもてなしを言いつけられて部屋を出て行った。
私はといえば、差し出された腕に彼女の赤ちゃんを返しながら、促されてベッド脇の椅子へと腰を下ろす。
「あの、ファドラーンとは……」
「彼は私の従兄なの、私の父が彼の父親の弟で」
どういう関係なのかを訊ねようとした言葉の先を取って、アリシャはそう言った。二人の妙に親しげなこれまでの態度からいろいろと邪推する事は出来たのだけれど、身内だと明かされるとまた違う緊張感に襲われてしまう。
「イスナードさんの弟……?」
「伯父さまにお会いになったの?」
つい呟いてしまうと、彼女は興味津々という風を隠そうともしない。
「途中でイクシールのお屋敷にご厄介になっていた事もあって、ファドラーンのご両親にもお会いしましたわ」
「伯母さまもお優しい方だったでしょう?」
「ええ、旅の道中で困らないようにと外套を譲って下さって。とても役に立ったので、次にお会い出来たら重ねてお礼を言わなくちゃって」
「それはもしかして……ヴァルさまからの下賜のお品の?」
あの時の困惑を思い出し、改めてそうしなければならないと自分に言い聞かせた。そして怪訝そうなアリシャの質問に、彼女も私が話題にした品物に心当たりがあったのだと悟る。
「ええ、初めはそのお品の来歴を知らなかったのですけれど」
今はもうすっかり判っているから、とゆっくりと頷いてみせる。けれどアリシャが次に振ってきた話題にはどう答えようかと戸惑ってしまった。
「ヴァルさまってとても素敵な方でしょう?フィルダウスの娘達の憧れの方なのよ。そんな方と一緒に旅をしていらしたなんて、貴方が羨ましいわ」
にっこりと微笑まれても正直どう答えていいのか判らないわ。
「お優しい方だというのはとても良く判ったのですけれど」
只否定するでもなくそうとだけ答え、アリシャの反応を待つ。彼女は少し肩透かしを食らったみたいな顔をしていた。
「意外だというべきなのかしら、あの方の事をそんな風に冷静に答える女性には初めてお目にかかったわよ。実際玉の輿だし、狙っている人は多いみたいなのに」
「確かにそうなんでしょうね。でも私にとっては縁の無い方だと思うので」
「何だか割り切り過ぎじゃないの?どうしてあの方じゃ駄目なの?」
「あんな難しそうな男の人じゃ、疲れてしまいそうです。だからと言って他の人が簡単だとは言いませんが」
肩を竦めてそう答えると、アリシャは今度は笑っていた。くすくすと可笑しそうに笑み崩れて、腕に抱えた息子の柔らかなほっぺに頬ずりさえしている。
「貴女は随分真面目な方なのね。そんなじゃヴァルさまの廻りの方達にいいように遊ばれちゃうわよ」
「もうしっかりからかわれましたわ、パドマさまやラズィルさんとかにね」
溜め息まじりの返事に、やっぱりー、などと囃し立てるような彼女。
流石に少し困ってその様子を見つめていたら、不意にアリシャが真面目な表情になっているのに気が付いた。
「見かけより難しい方だと言うのは正解ね。それに環境も難しすぎて、なかなか身を固める事もお出来にならないみたいなのよ。勿論まだその気になっていないからだって言うのも有りだけれど」
「確かにまだお相手を見つけていないんだろうなとは・・・薄々思っていたけれど、環境が難しいとはどういう?」
「まだ何もご存知ではないようだから、いずれ判る事だとしても私からお話しするのは憚られるわね。ただ、彼はしがらみが多い方だと言う事はお判り頂けるわね?」
「ええ、まぁ」
言葉を慎重に選んでいるアリシャに私は渋々頷く。言い淀む彼女の姿がヴァルさまのお屋敷の侍女同様に見えてしまったからだわ。
「昔、ファドラーンを出汁にして彼に取り入ろうとした令嬢が居たわ。初めはファドの事を好きだと言ってね。そしてファドラーンが彼にその令嬢を紹介したの、友人として。けれど彼女はファドを裏切って……いいえ、初めから利用する気でいたのね、自分のその立場を利用してヴァルさまへと近付こうとしたのよ」
「そんなこと、しても無駄なのに」
絶対に確信を持てるわ、それくらいで気を引けるような相手じゃないもの。
「……そう、確かにヴァルさまはそんな事も判らないような人に興味を持つ方では有りませんわね。だからと言ってお怒りになるような方でもないのだけれどね。むしろお怒りになったのは彼のお身内の方々。その令嬢とその一族に手酷い報復をされたのだとか」
「それってまさか……」
何だか血なまぐさいものを感じて声が震える。
「大丈夫、王命ではなかったから流石におおっぴらな事には出来なかったみたいよ。それでもその一家は王都には居られなくなってしまい、かなりな辺境へと身を隠さざるを得なかったの」
王命ではないという事は、国王はこの件に付いては中立もしくは関与しないと見ていいのかしら。
「つまり、貴女が仰るしがらみとは……叔父様であられる王様以外のヴァルさまのお身内……という事で理解して差し支えないのですね」
「ええ。私たちでは誰、とは名指し出来る立場ではありませんが」
「ご助言ありがとうございます」
アリシャや他の侍女達の歯切れの悪さの理由が理解出来て、そう頭を下げる。
下手をすれば自分もそのようなトラブルに巻き込まれてしまうも知れないのだ、いよいよ気をつけなくちゃと覚悟を新たにした。
「それで……つまり貴女はヴァルさま抜きでファドラーン絡み、と言っていいという事ね?」
「それは……」
「ファドは見た通りすごく判りやすい性格だし、件の令嬢の事件が起きるまではそれなりに女性にも人気があったのよ。でもあれ以来女性にはものすごく慎重で……消極的になってしまったの」
図星を突かれたというよりも、どうして彼女がそう結論付けたのか困惑する私に、アリシャはあっさりとしたものだ。
「でも、貴女には以前のままの自然体で接しているみたいだから。彼は貴女の事をとても気に入っているのだと思うのよね」
「そ、そうなんですか?」
だから他の人にも判ってしまうのだわ、あんまりファドラーンがあからさまだから。
妙に納得して、自分の頬がとても赤くなってしまっているのを自覚する。
「まだ貴女もささやかな抵抗を止める気はおありではないのね」
「抵抗って……」
「それとも、認めてしまう事に躊躇いがあるのかしら」
微笑んで私を見つめるアリシャの言わんとする所は判らないでも無いのだけれど、そう言い切られてしまうと妙に狼狽えてしまう。
確かに現在の状態を長引かせているのは私の優柔不断な態度の所為なのかも知れないけれど。
「正直な所、踏ん切りが付かないとか思っているんでしょうけれど。多分貴女が思っている程廻りは変わらないわよ」
「それでも……」
「ごめんなさいね、急かしているつもりじゃないのよ。只、私としては従兄の幸せな顔が見たいって言う身内のわがままだから」
反論らしい反論も出来ないでいる私に、相変わらず彼女は笑顔を崩さない。
「私がどんな性格の人間なのか、よく知りもしない内からそんな事をおっしゃるんですか?」
「でも、反対される事を前提としたお付き合いをしたい訳じゃないんでしょ?少なくともファドラーンは貴女が良いと思っているようだし、ルツィエラ伯母さまも下賜の外套を貴女にお譲りになる程好意的なのですもの。全然問題ないじゃない」
さらりと言い切られてしまえば、吹っ切れていないのは私だけなのだと言われてしまったも同然で。
「私にしても、貴女がヴァルさまによろめくような方じゃないって判ったからには、応援して差し上げるわ」
「……ありがとうございます」
一応の温かい言葉に礼を言ってみるのだが、野次馬的なニュアンスを含んでいるのは否めない。肩を落とした私にアリシャは今度はここまでの私のいきさつを知りたがった。
私の故国ユグドラセアの事、そしてバーラートへの旅に出たそもそもの理由。
何故その地を出奔しなければならなかったのかをも。
けれどじきにファドが戻ってきたから、すべてを語り終える事は出来なかった。
バーラートを出奔してからまだ半年足らずの間の出来事だというのに、そのうちの幾らかを話し終わったに過ぎない。
「そろそろ戻らないと、支度をする時間が少なくなるよ」
軽いノックの後、扉から顔だけを見せて彼はそう急かす。
「あら、大変。それではこの続きは次回お会いしたらに致しましようか」
「ええ、楽しみにしているわ。子育ても良いものだけれど時々退屈するのよ、また是非遊びにいらして。ファドもお務め頑張ってね」
「ああ、そうするよ」
寝入っている赤ん坊を抱いたままの彼女に見送られて、私たちはその部屋を後にした。
賑やかに話をしていた中、ぐっすりと眠れるなんてなかなか大物な息子かもしれないわ。
通路の少し先ではヴァルさまと、この屋敷の主人とが私たちを待っている。
「アリシャにお付き合い下さって有り難うございます。彼女は時々強引なので貴女を困らせたりはしませんでしたか?」
「そんな事全然ありません、楽しくお話しさせて頂きましたわ」
心持ち心配そうな表情のジェイルに、ふとその隣りを見るとファドラーンもそんなような顔をしていて。
「……何で俺の顔見て笑う訳?」
「あ、ごめんなさい。つい」
初めの頃のアリシャの言葉を思い出してしまったからなのだけれど、思わずふっと笑みがこぼれてしまったのだわ。
「アリシャに何を吹き込まれたのかな?」
「やぁね、勿論女同士の秘密に決まっているでしょ」
妙に探りを入れてくる彼を軽く躱して、今度はヴァルの隣りへと近寄ってみる。
「どうだった、ファドの従妹殿は?」
「とっても楽しい方でしたわ」
「それは良かった」
穏やかに微笑んでそう言ってくれたヴァルのその表情にちょっぴり見とれつつ「移動」の為の部屋へと向かう。
「明日から私もお屋敷の方へ出仕いたします。今日は有り難うございました」
貴族に相応しい洗練された綺麗な仕草で礼をしたジェイルに軽く頷くと、ヴァルは先程出てきた扉を開く。
改めて頭を下げたジェイルが扉を閉め、再び一瞬の目眩。
私たちはもとの場所…辺境守の屋敷…へと戻って来ていた。




