104 ブックメーカー
「おはようございます、ファドラーン」
「あぁ、早いなラズィル。夕べは泊まりだったのか?」
きちんと身支度を整えたラズィルを俺は締まらない寝惚け顔のまま、自分の部屋のベッドの上から見上げた。
うっすらと明かりが差し込む寝室の窓のカーテンを勢いよく開けると、振り向いた奴は時々見せる厄介な笑顔だ。
下心がある時、そしてそれを特に隠さなくてもいい状況で奴はその表情を見せる。
特別それに思い当たるものがなくて、俺は却って用心してしまった。
「それはたまたまです。ご存知の通り籤運が強いんですよ、私は。賭けにも勝った事だしね」
「賭けって……」
ほら、ちょっとヤな予感がする。
「簡単な賭けですよ、貴方が部屋に居るか居ないか……をね。貴方の事だから、お客人を自分の部屋へ引っ張り込んだりはしないでしょうから」
「それを見届ける役の籤引きまでしたのか?」
「それくらいしか楽しみがないじゃないですか」
声を心持ち険しくしてみせたが、それで効果のある相手じゃない。さらりと、軽く流されてしまい、身体を起こした俺はベッドの上で大きな溜め息をつくのが精一杯だった。
「じゃあ、私は兵舎の方へ戻りますが、隊の皆は今日は主さまが屋敷におわすものだと思っていますから……ばらしちゃいけませんよ?」
「判っているよ」
俺の溜め息なんぞにはおかまいなしでラズィルはそう釘を刺すと、さっさと部屋を出て行こうとして、踏みとどまった。
「忘れるところでした、机の上に今日の構成表を置いておきましたから、目を通しておいて下さい。二部作っておいたのでジェイルさまにも渡して下さいね。ラハティでも良いのですが、どうせ今日は彼に会うのですから目を通して頂いた方が良いでしょう」
「昨夜、あれから作成したのか?」
「こちらに泊まりでしたから、時間はありましたしね。今日は昼前にこちらを起ちますから慌ただしいので」
呆れたようなニュアンスの俺の言葉に奴はさらりとそう返してくる。
「やっぱり、お前は武人としてよりも文官として仕えた方が良いんじゃないのか?」
「只の文官じゃ、ここまで出世は出来ませんでしたよ。ましてや文官に甘んじていたら、私は自分の護りたいものを何ひとつ護れないままになってしまいます」
相変わらず爽やかな笑顔で、けれどかなり意味深長な言葉を残してラズィルは部屋を出て行った。
それを見送って俺はようやくベッドから出る事にした。
寝間着という訳でもないが身に着けていたゆったりとした作りの服を脱ぐと、浴室へと向かう。朝一番に軽く湯を使う事が出来るのがこの屋敷での一番便利な所だ。
熱い湯と冷たい水とを交互に浴びて、ここ暫くで鈍っている身体に喝を入れると昨夜と同じ略式の制服を身に纏う。
当然ながら最初に向かった先はイェライシャの部屋だった。
目覚めたのがもっと早朝であれば、湯を使う前に軽く身体を動かして一汗かく事も出来ただろうが、今朝はそのタイミングを逃してしまっている。
腰に下げた剣帯の久しぶりの重みにそんな事を考えながらイェライシャの客室の扉を叩いた。
この客室は寝室が一番奥に配置されている造りだと判っているから音が響くようにと力を入れてみたのだが、少し待っても応えがない。
まだ侍女達も来ていない様子にどうしたものかと逡巡した後、俺は意を決して部屋へと踏み込んでいた。
基本的に客室には鍵がついているのに、施錠されていなかった扉はあっけなく開く。
最初の居間には人の気配がしなくて、もう彼女は部屋を出てしまったのだろうかとも思ったが、カーテンが閉まったままの窓に気が付くと俺の足は自然と奥の寝室へと向かっていた。
案の定、イェライシャはまだベッドの中だった。
少し身体を丸めるようにして眠るその姿は、起きている時よりもずっと幼く見えて可愛らしい。すっかり染め粉も落ちて元の色を取り戻している髪の一房が頬に掛かっているのをそっと指で払い、深く考えもせず俺はその頬に口付けていた。
「ん……」
頬に触れた俺になのか、俺が身に着けている剣帯の押さえてもどうしても消しきれない金属の触れ合う微かな音になのか、イェライシャが反応する。
わずかに寄せられた眉に邪な想像を抑えられない俺の前でゆっくりとその瞳が開かれ、俺をその視界に認めたイェライシャは驚いて飛び起きるかと思ったのに、穏やかに微笑みを見せただけ。
「……おはよう、イェライシャ」
「おはよう、起こしに来てくれたの?」
意外に穏やかな反応に、寝惚けているのかと思って言葉をかけてみたがしっかりとした答えが返って来て、むしろ俺の方が焦ってしまった。
まるで俺の行動なぞお見通しだと、言外に言われているようで。
「随分ゆっくりなんだな。それとも昨日は疲れすぎた?」
「疲れない方がおかしいわよ。ここを何処だと思っているの?」
「まぁ、そうだね」
イェライシャの反応に対する内心の焦りを隠そうとからかうような口調にしてみたが、彼女からの返事は容赦のないものだった。
俺にとっては当たり前のように馴染んでいる土地でも、彼女にしてみれば此処は巷では伝説の地として語られる国だ。何とか辿り着こうと模索し続けた場所でもある。
確かに緊張しない方がおかしいのかもしれない。
「もう少ししたらティセル達が来てくれるだろうから、待っているよ」
「ありがとう」
素直に返事をした彼女に微笑んで、俺は一度客室の外へと出た。
扉に対するように大きく設えられた窓に背中を預けて一息ついてみる。潔く廊下に出たのは、このしようがない男としての俺を何とか制御する為の時間を作る為だ。
自業自得とは言え気になって仕方の無い女の寝姿なんぞ精神衛生上良くないに決まっていると自分に言い訳をしていたら、ティセルが二人の侍女を背後に従えてこちらへとやって来るのを見つける。
「おはようございます、ファドラーンさま」
「おはよう、お客人はそろそろ起きた頃だと思うよ」
「そりゃお疲れのご様子でしたもの、仕方がありませんわ。それにしても部屋の外でお待ちだなんて、お行儀が良すぎやしませんか?」
「一応、淑女の部屋だからね。遠慮しているんだが」
「ではお支度の間は中で掛けてお待ちくださいな」
どことなく探るような彼女の言葉にさっきのラズィル達の賭けの話が重なり、戸惑うと同時に笑みが浮かぶのを止められなかった。
彼女達侍女の間でも何がしかの憶測や先行きに対する推測が飛び交っていたのだろうとは想像に難くない。
何と言っても、長い事独り身で未だかつて女性をこの屋敷に招いた事が無い堅物な主人が初めて女性を連れて来たのだ。
しかも妙齢の乙女とあらば、波紋の起きない筈が無い。
そしてそれは当然のように唯一の身内である王とその廻りにも及ぶだろう。
その波紋の広がり行く先、ヴァルが何を見極めたいと思い何処に焦点を絞っているのかは判らないが。
侍女に促された俺はそんな物思いを中断させると、今度は客室のソファに陣取って彼女達の仕事ぶりを観察する事にした。




