103 飛び入り参加
「そんなに強いの飲むんですか?」
何処となく咎めるような響きを帯びたファドラーンの言葉に微かな笑みを返しながら、それでも彼の手は止まらない。
小振りなデキャンターを満たしていた濃い茶色の液体をやはり小振りでシンプルなグラスへと注ぐと、ゆっくりとした仕草で口元へと運ぶ。
最初に香りを堪能して満足そうな表情を見せたチャクラヴァルティン……ヴァルはそれを食後の楽しみとして少しづつ味わっている。
もちろん、少し表情を曇らせてしまったファドラーンにはおかまいなしで。それに何だか心配されているのを喜んですらいるような気がするわ。
残る三人、私とファドラーンとラズィルは濃い赤の液体を手元のグラスへと注いでもらったところだった。
こちらも大きくはないグラスなのだけれど、ヴァルのものとは大きく違い手の込んだ彫りが施してある。優美なその紋様に見とれながら味見程度にほんの一口を舐めるように舌先にのせ、私はその思わぬ甘さに目を見張る。
食事の最後、締めくくりにと出された甘い一品にも充分合わせられる。
「意外でしょう?それはヴァニュルスという名の酒で……この国では作られていないものなんです。これをこのような席に出せるのは、この国ではヴァル様と叔父上さま位のものでしょうね」
初めてこれを口にする者の反応を心得ているらしいラズィルが私の反応を待っていたように説明してくれるのにうなづきながら、何か考えている風のファドラーンに視線を向けた。
ここ迄の話題はラズィルが主導権を握っていたように気がするわ。
チャクラヴァルティンとファドラーンが不在の間の領内での出来事を、彼なりのまとめ方と視点で語ってくれるのだ。 この土地の事を大して知りもしない私でも、誰にどんな話題を振られたらどう反応をすれば招待主の体面を潰さずに済むか、とか推測できてしまうくらいに。
だから、ただの客にすぎない私の前でそんなあからさまな話をしても良いのかしらと、心配になってしまうじゃない。
そして、夕刻前の略式の閲兵に関しても少しだけ話題になったわ。
もっとも話題に出たには出たのだけれど、あまり多くの時間を割くものではなくて。
大人しく話を聞いていたヴァルは特に意見を求めはしなかったけれど私への礼は忘れなかった。
でも私を代理に仕立て上げた事に関して詳しい説明はしてくれなかったから、私には判らない込み入った計算もしくは打算を巡らしているのだろうと、見当を付けるのが精一杯だったわ。
そんな事を考えながらの私の視線にファドラーンは少しだけ緊張した面持ちを見せると、主人の方へと向き直った。
「明日の午前中に御身様の外出の予定が無いのなら、俺がここを離れても問題はありませんよね?」
「どういう事かな?」
のんびりと酒杯を口に運ぶヴァルの態度は変わらず余裕たっぷりで。ただ、その眼差しは楽しそうな表情を帯びている。
「少し外出してこようかと思いまして。差し支えなければイェライシャ嬢もご一緒に」
「野暮な事を聞くつもりは無いが、行き先くらいは教えてくれるのだろうね」
からかうような口調でそう続けられてしまうと、何故だか私の方が赤面してしまいそうになる。
案の定ヴァルの……してやったりと言わんばかりの……視線を感じて、私はそれでも努めて冷静を装った表情で座っているようにと自制しなくちゃならなかったわ。
私だって行き先は聞いていないし、そもそも外出の予定すら考えてもいなかったのに。
「……ジェイルのところへ行ってこようかと思いまして」
それでも特に隠すつもりはなかったのだろうけれど多少口の重いファドラーンに、ああ、そうじゃないかと思っていたわと妙に納得してしまう。
「あ、隊長ずるい」
隣で小さく呟いたラズィルの言葉とその調子につい微笑みが浮かんでしまった。
「本当にずるいな。わたしも誘ってくれないのか?」
けれど、ヴァルが自分からそう言うとは思っていなくて、私は彼をじっと見つめていた。
それはラズィルもファドラーンも同様だったようで……不思議な一瞬の沈黙が流れてしまう。
もっともこの場をそんな状況にした本人は、予想通りのリアクションを得た事でいたくご満悦らしい。
かなり上機嫌なその微笑みにがっくりとファドラーンは肩を落としてしまった。
「誘わないとは言っていないでしょう?そもそも行く気があるのだったら、さっさと予定に入れてくださらなけりゃ。こちらにも下準備ってのがあるんですからね」
「内密に訪ねる分には構うまい?わたしに仕事をさせる気満々のラハティには申し訳ないが、せっかくのファドラーンからのお誘いだしね」
「……だから、まだ誘ってませんて」
食卓に頬杖をつきながらそうファドラーンが混ぜっ返す。
「ご機嫌ね」
少しばかり呆れたような声で言葉を向けると、とびきり極上の笑みが返ってきた。頬がほんのりと赤くなってしまうのは、別にヴァルに気があるとか……そんなじゃないわ。
「楽しめるうちに楽しんでおかないとね。後で後悔するのはごめんなんだ」
流石に……後悔した事があるのね、なんて言うお約束の突っ込みは見送っておいた。
招待されている屋敷の主人に対して利く口調ではないというのは判っているし、彼がその突っ込みを期待しているだろう事も想像に難くない。
「あら、そうなの?」
軽く聞き流してみたけれどそれでも彼の上機嫌さは変わらない。まぁこれ位では肩透かしとは言えないわね、と隣を見ると背筋を伸ばしたラズィルが口を開いた。
「では明日の屋敷内の警護は、お館様が屋敷にいらっしゃる……と想定した警護でよろしいですね?」
「済まないな、ラズィル」
「貸しにしときますよ、隊長。じきにジェイル様も仕事に復帰されるとは思いますが、みんなにお土産話を忘れないでくださいよ?」
「そうするよ」
留守番前提のラズィルの言葉に、ファフドラーンはそう答えた。
王族の執事を務めるほどの人物なら家柄の良さも生半可なものではない筈だわ、市井出身だと言っていたラズィルには敷居が高く感じられてしまうのも無理は無いわね。
そう言った彼なりの気遣いに申し訳なさそうだったファドラーンに対するラズィルの要求は、無難であり尚かつ一番肝心のものであるのだけれど。
「それじゃ、明日の午前中は三人でジェイルを訪ねて、戻り次第夕方の支度だな」
チャクラヴァルティンはあっさりとそう決め込んで、廻りの私たちを見回す。
誰も異議を挟んでこないのを良い事に、いつもの微笑みを見せると椅子から腰を上げてしまった。
「もう少し片付けたい仕事が残っているからね、わたしはここで失礼するよ」
どうやら、根っこの部分が生真面目なのがバレバレのヴァルは、どうにも自分の職分を放ってはおけないみたい。
立ち上がり扉へと向かう彼の背中を見つめていたら、隣でやはり席を立つ気配がして軽い足取りのラズィルがヴァルの後ろへと続いた。
「お部屋までお供します。隊長はお客人の護りがありますからね」
怪訝そうに振り返ったヴァルに何食わぬ口調でそう答えたラズィルは、いつも通りなのだろう至って真面目な表情でファドラーンへと頭を下げると扉の向こうへと姿を消した。
これは……?と思ってファドラーンへと視線を送ると、彼も困ったような表情を浮かべている。
「何かラズィルと打ち合わせでもしていたの?」
「まさか、俺の方が驚いているよ。根回しや段取りの付け方は奴の方が上手なんだ」
物憂げにテーブルに肘をついてファドラーンはそう答え、わたしの手元に目を向ける。
「食後のお茶でも貰うかい?」
「もう十分頂いたから結構よ。部屋へ戻って休んでもいいのかしら」
手持ち無沙汰のように見えたのかしら、気を使ってくれるのは嬉しいのだけれど流石に疲れている。それを自覚していた私は素っ気なく聞こえないように笑顔を浮かべてみた。
「もちろん、部屋まで送るよ」
「ありがとう、でも貴方は今夜はどうするの?さっきの……親衛隊の人達の所で泊まるの?」
昼間に見た建物を思い出して、そこで各自に生活する若い男性の姿を想像してみる。
とは言っても身近に接した事のある男性なぞここ数ヶ月に知り合った人達ばかりで、実際の彼等の生活ぶりなんて全く知らないと言ってもいいくらいだわ。
「あぁ、俺?一応この屋敷の中に部屋を貰っているんだ。ラズィルは家族と一緒に近くに住んでいるし、昼間に行った兵舎に居るのは遠方の者か独り者が多いな。規律が乱れるのも困るから女人禁制だし」
「この屋敷の中に自分の部屋があるの?」
「俺の本来の地は親父の所領なんだが、ここからは随分距離があるからね。まぁ、ヴァルさまの気まぐれもあったし、他にもいろいろ事情があったんだよ」
先に席を立ち、私が立ち上がるのを助けてくれながらのファドラーンの言葉に流石に驚いてしまう。給仕をしてくれていた二人の侍女に礼を言い、扉を開けてくれたファドラーンに導かれるようにして廊下へと踏み出した。
見回せばこの部屋に来た時に比べて廊下沿いの窓から見える空は夜空というのに相応しいもので、よくよく眺めなければ今まで見慣れていた夜空との相違はすぐには判らない。
そして次にはこの廊下を照らし出す淡い光に目が行く。
ランプではないその光源は初めて見た物よりも格段に大きかったけれど、すぐに何か見当がついた。
つい昨日この手に握り込んでいたあの不思議な石だわ。
「これはあの石ね?明るいうちはオブジェだとしか思っていなかったけれど、実用品だったのね」
「必需品と言っても過言じゃないな。この国は大して広くもないし何と言っても限りのある資源と大気という前提があるから、生活にも厳しい制限があるんだ」
長い廊下の所々で柔らかな光を放つそれを見つめながら、私たちは歩き始めた。穏やかな返事をくれるファドのその言葉は、厳しい現実を受け入れているから?
「結構……大変なのね」
「この国を維持していくためには仕方が無いだろう?」
事情があると言われてしまえば詮索するわけにはいかなくて、目についた別の事を尋ねてみたのだけれど。そして何となく疑問に思っても、昼間に聞き忘れていた事を思い出した。
「そう言えば、この屋敷には住み込みの使用人は何人くらい居るの?」
「……三〇人くらいかなぁ。基本的に主人……というのかヴァルさまには家族が居ないから世話をする為の係の者も多くはないんだ。けどこの屋敷の維持管理や対外的な仕事の為には何人かが必要でね、屋敷の東の翼が住み込みの使用人に充てられているんだ」
「じゃあ、貴方もその翼なの?」
「いや、こっちの主翼の方で……ヴァルさまの私室に近いんだ」
それは本来であれば家族の為の部屋なのではないの?と、考えてさっきの「事情」という言葉を思い出した。
確かに護衛の長としての立場であっても、近すぎるわね。
でも古い付き合いだと言う彼等の関係からすればあまり違和感が無い。それでも特に親しい部分に無遠慮に踏み込むのはお行儀がいいとは言えない。
「同じ翼に居てくれるのなら安心ね」
だから、立ち入る代わりにそう答えて、ファドラーンを見上げてみた。
「当面危ない事態は無い予定なんだけど?」
不思議そうなファドの表情が面白かったからつい微笑みが浮かぶ。
そのまますぐそこに見えていた自分用の客室の扉を開けながらファドラーンを見上げたら、神妙な表情の彼と視線が合ってしまった。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
扉を開けた室内には人の気配はなくて、廻りに誰も居ないのをいい事にファドラーンの唇が私の頬へと降りてくる。
微かなそのぬくもりに今更ながらドキドキしてしまって、まともに彼の顔を見上げられなくなってしまった。




