5 . 大事なものほど隠しておくこと
ルナリアはレオン殿下を好いている。
アリアと別れ、食堂を出たレオンの背中に、ルナリアは迷うことなく続いた。
石造りの廊下に、二人の足音だけが静かに響く。
人影が少なくなったところで、ルナリアはレオンに声を掛けた。
「レオン殿下」
レオンは足を止め、穏やかな笑みを浮かべて振り返る。
窓から差し込む光が彼の金髪を一層輝かせている。
「どうしたのかな、ルナリア嬢?」
「実は、お渡ししたいものがございまして」
ルナリアは胸元で手をぎゅっと握りしめた。
これを作るために費やした時間も魔力も惜しいとは思わなかった。
なぜなら、ルナリアはレオンを好きだから。
そっと差し出した掌には、淡い燐光を放つ小さな水晶があった。
複雑な幾何学模様と古代文字が刻まれており、見る者が見ればその高度な技術と込められた魔法の強大さに息を飲むであろう代物だ。
王家専属の魔術師ですら簡単に作り出すことはできないだろう。
「これは…」
「わたくしの研究の集大成です。結界魔法を応用した防御具ですわ。危険が迫った時、必ず殿下をお守りいたします。ですから、受け取ってほしいのです」
レオン殿下は差し出された水晶をじっと見つめた後、静かに手を伸ばして受け取った。
緊張した様子の震えた指先に、レオンが触れるだけで、ルナリアは体中の血が沸騰するような感覚に襲われた。
「ありがとう。君の心遣いに深く感謝するよ」
「いいえ、わたくしが勝手にしたことですから!」
ルナリアは赤くなった頬を隠すこともできず、叫ぶように言った。
「殿下のことが大切で!大好きなので!身につけていただけたらうれしいですわ!つまり、えっと…」
(…え、わたくし、今殿下に大好きって言った?
まさかね?ウィルブライト家の令嬢であるわたくしが、一貴族の令嬢も言わないような無様な告白をしたというの?
き、気の所為よね?何かの間違いか、言い間違いと聞き間違いに決まってるわ。
みっともなすぎる!!
いえいえ、殿下が聞いてるとは限らない。
もしかしたら、うまいこと偶然が重なって聞こえなかったかもしれないわ。
もしくは、魔法が大好きっていう意味に会話の流れを持っていってしまえば、誤魔化せるんじゃないかしら?)
ルナリアは俯いた。
心臓の音がレオン殿下に聞こえてしまいそうなほど大きい。
今すぐ逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
長い沈黙が訪れた。数秒が永遠に感じられる。
ルナリアは怖くて顔を上げることができない。
やがてレオンの低い声が降ってきた。
その声色から感情を読み取ることは難しい。
「このような高価な品を、私に?」
「ももももちろんですわ。むしろ殿下以外ふさわしい人がいないというか何と言えばいいのでしょうか」
「そう…」
レオンは水晶を日に透かすように掲げた。
水晶の中には、青紫色の焔が揺らめいている。
自然とレオンは口角が上がっていた。
まるで、生まれて初めて贈り物を貰った子どものように。
「…嬉しいよ」
俯いているルナリアには見えない。
周囲に期待される完璧な王子はそこにいなかった。
下がらない口角を片手で隠し、白皙の頬を、耳朶と同じくらい、仄かに赤らめ、恥じらう、ただの年相応の男がいただけだった。
「素晴らしい技術だ。その才能は王国にとって大きな財産となるだろう」
「え…」
ルナリアは顔を上げた。
政治的に評価するような言葉だったからだ。
大好きという言葉が聞こえてたらどうしようと焦ってたくせに、その言葉を聞こえなかったのか、流されると何だがっかりするような複雑な心持ちにルナリアは戸惑う。
(わたくしはどういう反応を期待してたのかしら)
「ありがとう」
ルナリアが顔を上げた時には、既にレオンはいつもの完璧な王子の仮面をつけ終えていた。
微笑むレオンの瞳は慈愛に満ちている。
国を治める王族が民に向けるような温かい眼差しだった。
「だけど、君自身の身を顧みることも忘れないようにしてほしい。君自身も大切な存在なのだから」
「…はい。肝に銘じますわ」
掠れた声で答えるのが精一杯だった。
レオンは軽く頷くと、「では私はこれで失礼する」と言い残し、再び廊下を歩き始めた。
その後ろ姿が角を曲がって見えなくなるまで、ルナリアはレオンを見送った。
夜だというのに、その部屋の灯りは未だ煌々と照らされている。
レオンは、机に重ねられた書類の整理兼確認を行っていた。
分刻みでスケジュールを決められ、自由になるのは夢の中くらいという過密スケジュールだが、レオンにとってはそれが日常だった。
ぴたり、と手が止まる。
それは先日視察した模擬戦と、その後の魔獣討伐訓練の報告書であった。
魔獣討伐訓練には安全性を鑑み、同伴できなかったが、噂だけは既に耳にしていた。
王国貴族は、戦闘力を鍛えるのが義務である。
その起源は国の成り立ちにまで遡るが、実力主義は脈々と受け継がれ、貴族でも学生であっても実践訓練は取り入れられる。
特に魔術は遺伝が全てだ。
ルナリア·ウィルブライト。
国家の誕生から王家に仕える御三家の一つで、魔術師を多く輩出し、魔術院に強い権勢をふるっている。
ブラックウェル家と対立関係にあるが、婚約者候補の一人だ。
レオンは、王族としても貴族としても珍しく、未だ婚約者が決まっていない。
王や王妃、御三家、教会や隣国との関係など様々な思惑と世情が絡み合っているため、水面下で揉めている。
特に父親である現国王は王の座に執着しているため、優秀で国民人気の高いレオンを疎み、世代交代を恐れて、婚約を引き延ばしている。
だが、それすらレオン本人がやる気をだせば、なんとでもやりようはあった。
それをしないのは一重にレオン自身が婚約者を決めかねていたからだ。
(望まれているのは、聖女アリアとの婚約)
レオンは無意識に溜息を吐いた自身に驚く。
(…私は聖女アリアとの縁談を疎んでいるのか?)
結婚は政治である。
感情などに左右されるものではない。
ずっと、レオンはそう自分に言い聞かせてきた。
神聖力が強く、同じく国民人気の高い聖女アリアは、貴族の血を引くが聖職者になる上で家名は返上しているため、現在の権力構造を刺激しないことで支持層が厚い。
現国王が如何に婚約を遅らそうと、本来であれば、もっと早く聖女アリアとの婚約は成立していた。
だけれど、
(7年前のあの日)
レオンが瞬きをすると、その一瞬のきらめきが瞼の裏に蘇る。
煌々と照らす焔の揺らぎの中、彼女の瞳は寒々しい青紫色に見えたのに、あの色は、一度触れたらこちらが燃え尽きてしまいそうなほどの熱の塊だったのだ。
その青紫の焔が、未だにレオンの心を焼き尽くし続けている。
レオンは、机の引き出しから水晶を取り出す。
中に閉じ込められた青紫色の焔は、あの過去を、そしてルナリア自身を想起させる。
渡されたときの彼女の赤面した顔が脳裏に浮かぶ。
好意を隠しきれていないその様子は、普段の他者に対する無関心な冷徹さもなければ、セオドアに対する時の苛烈さもなく、ただただ年相応の恋する女の子そのものでしかなかった。
レオンは、ルナリアのその誰にも踏み荒らされず、自分にだけ見せる特別が、何ものにも代え難いと思っている。
全てを持ち合わせている完璧な第一王子で、次代も安泰だと褒めそやされているレオンは、何も、自身ですらも、自分のものではないことを知っていた。
国のもの、第一王子のもの。
それはレオン個人のものではない。
だけれど、ルナリアだけは。
レオンにとって、ルナリアだけが違うのだ。
窓の外、星々が瞬く。
レオンは水晶を握りしめ、そっと唇を寄せた。




