4 . 振り回されず、己の意志を保つこと
聖女アリアの朝は早い。
身嗜みを整えた後、教会で神に祈りを捧げる。
一番乗りの時もあれば、既に何人かの聖女が祈りを捧げている時もある。
そのまま食堂へと向かい、他の聖女たちと朝食を共にする。
聖女アリアは貴族の生まれで、神聖力も強いため、聖女としても高い地位にいる。
清貧を掲げ、平等を謳うが、聖女にはれっきとした序列があり、修道衣にさりげなく彩られている金糸が、他の聖女たちとの差を見せつけている。
アリアは重たい溜息を吐く。
教会の上層部と王家の思惑か、第一王子殿下と聖女アリアは政務を共にすることが多い。
アリアにとって、今の地位さえ重責なのだ。
国母など務まる器ではない。
聖女は神聖力を持つ『乙女』を指し、結婚をすれば聖女を辞め、家庭に入るしかない。
アリアは今のように神に祈りを捧げ、人々を治癒し、静かで穏やかな暮らしを続けたいと考えている。
聖女でなくなっても、聖職者として人々の生活を助けられるように、薬師の勉強にも打ち込んでいる。
王族のように社交や政務に追われる生活などとてもではないがついていけない。
もしくは愛があれば、とアリアは胸の内をさらって見る。
清廉で美しい殿下は芸術品としての鑑賞には素晴らしいし、頭脳明晰で人当たりも良いため、次代を担う王位継承者としても完璧だ。
だけどそれ故に人間味を感じさせない完璧さに、アリアは尻込みしていた。
アリアは自身が弱い人間であることを知っている。
だから、殿下本人にその意思がなくても、勝手に劣等感を抱き、他者から比較されることを恐れ、殿下の前では殊更気を張り、疲れるのだ。
だから結婚するのであれば…とアリアは数日前の視察に訪れた学院での模擬戦を思い出していた。
自身の弱さをさらけ出せるほどアリアを肯定してくれて、守ってくれる人が…。
頭の中では一人の男の躍動する姿が何度も反芻されていた。
一方で、学院の食堂は朝から学生たちの声で騒がしく、先日から演習話で持ちきりだった。
「聞いたか?ブラックウェルとウィルブライトが手を組んでヴァーテックスロードを倒したらしい」
「聞いた聞いた。あんなに毎日いがみ合ってるから信じらんねえけどな」
「だけど実際、見ていた生徒が証言してるぜ」
壁際に座ったセオドアはため息をつきながらパンを噛み締める。
「しかもあの二人、最後はまるで息ぴったりだって言う話じゃんねえか。ああやっていがみ合ってっけど、本当はできてたりしてな」
ガシャン!!と、テーブルに置いた水を飲み干し、割れるのが心配になるほど強くコップ置く。
それに気付いた男たちは、セオドアの形相にさすがに気まずさを覚え、かきこむように朝食を食べると、そそくさと食堂を出ていった。
セオドアは眉間に皺を寄せたまま、黒パンの硬さに八つ当たりするように強く噛み砕く。
まったく、余計な話題を作りやがって。
勘違いも甚だしい。
「おはよう」
澄んだ声が食堂に響いた。
一言声を発するだけで、人を惹きつけてしまう、その求心力は王族たる所以か。
一同が一斉に顔を上げると、そこに立っていたのは、第一王子殿下だった。
そして挨拶を受け、正面に立っているのは、噂の渦中の一人。
「おはようございます、レオン殿下」
語尾が甘く蕩けている。
セオドアは犬猿の仲の見たくもない、デレデレした姿に、食欲が鈍り、食べる速度が落ちた。
自分の興味のあることにだけ、入れ込みすぎるくらい情熱を持つ女。
そのせいか、有象無象に対して、冷徹と呼ばれるほどの関心のなさを示す。
記憶力がいいため、関心がなくても、勝手に名前と顔だけは記憶してしまうらしく、それが信奉者を増やす理由の一つかもしれない。
自分のことだけは覚えてくれている、と勘違いさせてしまうのだ。
まるで懐かない猫が、自分にだけはじゃれてくれてるような。
その信奉者どもは、レオン殿下に対する今のルナリアを見て、何を思うんだろうな、とセオドアは皮肉げに考える。
その上で、セオドアはレオンが心配になった。
周囲からの好意に慣れているとはいえ、才能溢れる魔術科のエースであり、家格も高く、セオドアから見ても冷たい印象はあるが、容姿端麗なレオン殿下と並んでも遜色ない美貌の持ち主だ。
そんな女性に、唯一自分だけが好意を抱かれている。
その状況に優越感と支配欲、顕示欲を刺激されないものか。
それを好意と勘違いしないものか。
セオドアは、ルナリアがレオン殿下と婚約するのではないか心配だった。
「ルナリア嬢の活躍、私の耳にも届いている。まさか君があれほどまでに魔力を制御し、セオドアと連携を見せるなんて驚いたよ。さすがだね」
「勿体ないお言葉でございます、殿下。わたくし一人の力ではありませんわ。ブラックウェルや他の仲間達の協力あってこそです」
こ、心にもないこと言ってやがる!
思わず呆気にとられるセオドアへ、ルナリアは淑女の礼を取りつつ、ちらりと視線を投げかけた。
その表情には感謝よりも、むしろ挑戦的な光が宿っていた。
セオドアは苦虫を噛み潰したような顔になる。
レオン殿下とルナリアのあまりの距離の近さに、セオドアの胸の奥がざわつく。
公衆の面前でこんな風に褒め称えられ、それを嬉しそうに受け止めているように見えるルナリア。
二人の間には、確かに特別な絆が育まれ始めているのではないか。
(くそっ!殿下はまだ誰とも婚約されていないがこのままでは)
セオドアの憂慮をよそに、再び食堂の扉が開け放たれた。
「おはようございます」
天使のような笑顔と共に現れたのは、聖女アリアだった。
途端に食堂全体の空気が変わり、男も女も思わず動きを止めて彼女に見入る。
薄桃色の髪が朝陽に照らされキラキラと輝き、瞳は宝石のように澄んでいる。
まさに神が遣わした奇跡の乙女。
「アリア様!今日も一段とお美しいです!」
「本当にお綺麗でいらっしゃる」
周囲からの賞賛の声に、アリアは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「ありがとうございます。皆さんも元気そうで嬉しいです」
その純粋無垢な笑顔は、どんな名画にも勝る価値があるだろう。
セオドアもまた例外ではなく、アリアの姿を見つけた瞬間、先程までの不快な気分は吹き飛んでしまった。彼の視線は吸い寄せられるようにアリアへと注がれる。
しかし同時に、先程のルナリアとレオン殿下のやり取りを思い出してしまい、胸の中に黒い靄が再び広がっていく。
(殿下はあんなにルナリアに…もしやアリア様と殿下が…いやいや!まだ何も決まったわけじゃない!)
そんなセオドアの混乱など露知らず、アリアは何か用があったのか、先程までルナリアと話していたレオン殿下に話しかけ、逆にルナリアは何故かこちらへ近づいてきた。
「あ~ら、ブラックウェルじゃない。今日も一人で寂しそうね。そうだ、先日はご協力ありがとうございました。おかげで殿下に褒められましたわ」
その口調は丁寧だが、やはりどこか棘がある。
セオドアは仏頂面で答えた。
「ふん。たまたまお前と上手く連係がとれただけだ。次もこう上手くいくかな」
「またわたくしと同じ班になるつもりですの?
気に入っていただいたようでよかったですわ。
ただ、わたくしとしては、ブラックウェルと手を組むのはこれで最後にしていただきたいところですけど、あなたがそこまで懇願するのなら、考えるのもやぶさかではないかしら?」
言うだけ言って、ルナリアは意味ありげに微笑むと、くるりと踵を返して、優雅な足取りでアリアとレオン殿下のいるテーブルの方へ向かって行った。
(くそっ、あいつ!)
だが今はルナリアに構っている場合ではない。
セオドアはぐっと気持ちを切り替えると、遠目に見えるアリアの背中を見つめた。
レオン殿下との関係。
それがどうであれ、自分がすべきことは一つしかない。
(もっと強くなる。そして…)
聖女アリアの隣に相応しい騎士となる。
セオドアは心の中で強く誓い、冷めてしまったスープを一気に飲み干した。
まずはこのモヤモヤした感情を振り払うべく、鍛錬に打ち込むべき時だと自分に言い聞かせながら。
「来月の東部地域への視察だけど、聖女の同行が必要だろうか」
レオンは上品な仕草でスープを口に運びながら尋ねた。
彼の指先が銀のスプーンを持ち上げる様子には、生まれ持った気品が滲み出ている。
王家と教会の権力バランスは複雑だが、聖女と第一王子であれば、第一王子の方が権威がある。
聖女は貴族令嬢の結婚までの腰掛けと陰口を叩かれるほど、形骸化した一面もあるため、治癒魔法の希少さは確かであるが、聖女という役割が太古に持っていた神秘性はない。
かといって、教会の面子というものがあるため、侮られる立場でもなく、特にアリアの神聖力は歴代に類をみないほど高いため、レオン殿下と婚約の話が出ているのであった。
「はい、その土地に根付いた古い病が流行していますので…」
朝食を教会で済ませていたアリアは長い睫毛を伏せながら答えた。
何かにつけて、上層部はレオンとの接触を増やそうと画策し、空いた時間があれば何かしらの用事を言いつけ、レオンのスケジュールに合わせ、アリアを派遣するのだ。
レオンのスケジュールに合わせて、なのでレオンの了承は得ているが、そのゴリ押しの強さにレオンは少し辟易気味だ。
「ただ、その前に王都の大聖堂での祈祷式が控えていますから、予定調整が必要かもしれません」
二人の会話は淡々と進む。
甘い雰囲気は一切ないが、周囲の貴族たちの耳目を集めていた。
誰もがあの二人はいつ婚約するのかと考えていた。
「では、日程を再調整して伝えるよ」
レオンの言葉に、アリアは小さく頷く。
その動作すら、まるで宗教画の一場面のように神々しい。
だが、レオンは綺麗なものは見慣れていたし、表面上の美しさに何の意味がないことを体感していた。
むしろ、裏側に隠された醜悪さを想起させるため、清楚さや美しさに懐疑的であった。
レオン自身が、外見を讃えられるだけあって、余計にそう感じるのだ。
アリアに含みはないことも、おそらく権力に近いところにいながら、その素直な性質が歪まされていない貴重な普通の女性であることは、うっすらと理解している。
だが、アリアはあまりにも、あの女に似すぎている。
違う存在だと認識しても、先入観が、無意識が、レオンの中にこびりついた過去の残骸が、アリアの像を歪ませる。
そのこともレオンはわかっていた。
わかっていたが、重なる影を払うことを、過去は許してくれない。
だからレオンはアリアに好意を持てない。
嘲りと嫌悪がレオンを襲い、レオンはそれを態度に出さないようにするだけで精一杯だった。
そこにルナリアが戻ってきた。
レオンとアリアが公務に関する話をするのだろうと気を利かせて、席を外していたのだ。
2人が話し合いを一段落させたのだと踏んで、2人のもとに…レオンのもとに戻ってきた。
アリアは体を固まらせ、レオンは一転顔を綻ばせる。
正反対の2人の出迎えだが、ルナリアはレオンしか目に入らない。
それが、聖女アリアがルナリアを苦手とし、レオン殿下がルナリアに好意を持つ理由の一つであった。




