11 . 強さのために弱さを捨てること
ルナリアは強くなりたかった。
セオドアの強さに憧れた。
だから睡眠を削って魔術科の勉強を頑張り、誰にも負けないように首席を維持した。
蹂躙されないように、ではない。
ルナリアの首を絞めた男はあの後何度か夢に現れ、ルナリアを苦しめたが、次第にルナリアの記憶から薄れていった。
そもそも、ルナリアの周囲の人間たちのほとんどがルナリアを馬鹿にし、踏みつけていくのだ。
男の記憶は、様々な悪意の中に埋もれていく。
ルナリアにとって、生まれた時から、世界とはそういうものだった。
頭を下げて、生き続けることを許してくれている周囲に感謝して、悪意に泣くだけの人生。
それでいいと思っていた。
だけど、セオドアの上着を奪われ、ルナリアは自分の大切なものは自分で守らなければいけないと学んだ。
辛い時、泣きたくなる時、セオドアの手紙一枚と護符を支えに、ルナリアは根気よく努力し続けたのだ。
絶対に奪わせない。
ルナリアの強さを形作ったのは、あの日のセオドアだった。
だけれど、ルナリアが他者を顧みないほど、強さと知識をがむしゃらに追い求めれば追い求めるほど、セオドアの態度は硬化していった。
中等部に上がる頃には、ルナリアは圧倒的な成績で魔術科のトップに君臨した。
教師陣ですら彼女の才能を認めざるを得ず、噂は学園を越えて城下町まで広がった。
だが彼女にとって、評価の上位にいることは単なる通過点に過ぎなかった。
彼女の生活はほとんど学問に捧げられた。
昼休みは図書館の奥の机で魔法史の専門書を読み漁り、放課後は誰よりも遅くまで実技室に残って魔力制御の訓練を繰り返した。
テストで首位を維持するのは当然、教授から直接研究補助を申し出られるまでになった。
周囲の女子生徒たちは『氷姫』と陰で呼び始めた。
彼女の視線があまりにも鋭く、どんな質問にも機械のように正確な回答しか返さないからだ。
ある日の合同演習で、火属性魔法の実技が行われた。
魔術科代表として参加したルナリアは、見学者席の一番前にセオドアの姿を見つけて足が止まった。
彼は騎士科の代表として呼ばれていた。
ルナリアは心の中で期待が膨らむのを感じた。
(見てほしい。あなたのおかげで強くなれたわたくしを)
演習場でルナリアが精密に制御された炎の蛇を操り、標的を一分以内に焼き尽くすと、観衆から拍手が沸いた。
セオドアは腕を組んだまま微動だにしない。
ただ一瞬、セオドアの瞳が冷ややかに細められた。
「さすがだね、ルナリア」
レオン殿下のお褒めの言葉が上滑りしていく。
ルナリアは仮面のような笑みを貼り付け、「ありがとうございます」とだけ答え、視線を逸らした。
セオドアとの間に漂う空気が異質なことに気づいていた。
ルナリアは次々に浴びせられる賞賛を一身に受けながら、震える両手を誤魔化すように強く握りしめた。
決定的となったのは、年明けの成績表公布日だった。
ルナリアは全科目で過去最高得点を叩き出し、学長室で表彰された。
廊下を歩いていると、曲がり角でセオドアと鉢合わせた。
彼の後ろには取り巻きの生徒たちがいて、ルナリアを見るなり軽蔑的な笑い声が漏れた。
「よお、ウィルブライト。すごいじゃないか」
セオドアはポケットに両手を入れたまま、挑発的に言ったが、目は笑っていない。
そのことに、内心激しく動揺するも、ルナリアは必死に感情を押し殺す。
「毎晩のように資料室を独占して、どれくらい睡眠時間削ってるんだ?」
ルナリアは硬直した。
彼が自分の生活を知っていたことに驚き、同時に羞恥心がこみ上げる。
「…あなたに関係ないでしょう」
ルナリアの声が冷たく響く。
反射的に防御壁を張る癖がついていた。
セオドアの口元が一瞬歪む。
「そうだな、その通りだ」
セオドアは背を向けて立ち去った。
その後ろ姿を追いかけたくても足が動かない。
強くなったと思っていたルナリアの心は、セオドアに少し冷たくされただけで、すぐにひび割れてしまう。
今にも砕けそうな心を支えるのは、セオドアからの手紙だったが、その夜、ルナリアは手紙を見れずに泣いた。
自室の床に座り込み、教科書を開いたまま顔を覆った。
机の上に置かれた、大切な宝物が、セオドアの思い出が、自分を拒否しそうで怖くなったからだ。
セオドアは強くなったはずのルナリアを、ルナリアの努力も生き方も認めてくれない。
(何が悪かったんだろう。生まれてきたのが間違いだったの?努力が足りない?熱意が足りない?性格が悪い?気持ちが悪い?)
(強くなったはずだったのに、セオドア、あなたの一言でこんなにも打ちのめされてしまう弱さが、きっと駄目なんだわ)
(もっと)
(もっと)
(もっと強くならなきゃ)
(そのためなら、この弱ささえ捨ててやる)
ルナリアにとって、セオドアに対する弱さは、何にも代え難い宝物だったのに。
ルナリアはその日、セオドアの手紙を燃やした。
夏至祭の夜。
ルナリアはいつものように必死になって、資料に向き合っていた。
ふと息を吐き、窓の外を眺める。
暗いだけの中庭が見えたが、その日は夏至祭で、ランタンがところどころに吊るされていた。
そこには、セオドアと聖女アリアがいた。
聖女に成りたてだったアリアが困っている時にセオドアが助けたことがきっかけで、話をするようになったらしい。
友人がいないルナリアですら、その噂は耳に入ってきた。
ランタンの明かりの下、セオドアが跪き、アリアに何かを語りかけている。
その優しい眼差しが、あの日の彼と同じだと気づくのに時間がかからなかった。
無意識のうちに、ルナリアの口元に冷笑が浮かぶ。
「…愚かね」
かつて彼が守った少女。
そして今、新たに守るべき対象として選んだ聖女。
地位もなく、ただ純粋な優しさを持つ少女。
ガラスに映る自分の顔が歪んで見えた。
かつてあの少年に庇われた弱々しい少女の面影はもうない。
ルナリアは指先でガラスをなぞった。
氷のように冷たい。
窓越しに、遠くで二人が並んで歩く姿が見える。
祭りのランタンがセオドアの背中を照らし、長い影を伸ばしている。
(よかった)
ルナリアは思った。
(あの日、手紙を燃やしておいてよかった)
あの日から、もう泣くことはなくなったのだから。




