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白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように  作者: さかき原 枝都は
白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように
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Ⅳ デートの後で

     ***Ⅳ デートの後で*** 


 やはりこの時間の電車は混んでいた。まあ朝の通勤ラッシュに比べたら少しは、いや気休めかもしれないが……やはり空いているという表現はやめておこう。


 押される人の圧力で僕ら二人はほとんど身動きが取れない状態「大丈夫」と訊くと小さな声で「達哉さんとなら大丈夫」彼女の顔が赤いのは暑さの性だろうか。


 そしてゆっくりと歩きながら僕のバイトするカフェへ着いた。


 いつもバイトで来ている処なのに、客として来ると異常な緊張感を感じる。まして沙織さんと一緒なのだから……


 思い切って中に入ると恵梨佳さんが優しく出迎えてくれた。


 案内された席は、この店で一番人気の席。少し奥にあってまり目立たない席。そしてその大きなガラス窓からは庭にあるスプリンクラーが芝生の上からライトアップされている。


 「恵梨佳さん済みません、この席予約して頂いて」


 「大丈夫よ、だって亜咲君の為に支配人がここって決めたの」


 「支配人がですか」


 恵梨佳さんはそれ以上何も言わずオーダーを確認して


 「ごゆっくり」と一言言って厨房へオーダーを告げに言った。


 「綺麗な人ね」沙織さんが呟くように言った。


 「うん、そうだね。鳥宮恵梨佳さんて言うんだ。フロアのチーフパーサー僕の上司」


 沙織さんは少し俯きながら


 「達哉さんって、ああいった感じの人がいいの?」


 「ああ、そうだね。僕のあこがれの人。でも彼女ちゃんと付き合っている人いるんだ」


 沙織さんは顔を上げて


 「でも、好きなの」


 「好きだよ。恵梨香さんも、その付き合っている人も。その人のことは言えないけどいつも世話になってるからね」


 「ふーん、そっかぁ。達哉さんてなんかすごいね。もう、社会人って感じがする」


 「そんなことないよ。僕なんかまだ何も出来ないよ。社会人だなんてまだまだ」


 「そうなのぉ」


 「そうさ」


 「でも達哉さんと二人っきりでこんな話し出来るなんて思ってもいなかった。いつもナッキが一緒だったから」

 「ナッキがいないと寂しい?」


 沙織さんは大きく首を横にふり


 「ううん、そんなことないよ。どっちかと言ったら嬉しいかな」

 

 そう言って微笑んでくれた。


 そして僕らのテーブルに料理が運ばれてきた。サービスに来た同僚の奴はちらっと僕の方を見て不気味な笑みを浮かべたが、それ以外はマニアル通りに仕事に徹していた。基本、お客様の中には入ってはいけない。それが鉄則だ。


 ゆっくりと赤いワインがグラスに注がれる。


 一通りのサービスが終わり


 「デザートは後ほどお持ち致します。それではごゆっくり」


 完璧なまでにマニアル通りに告げて僕らの前から消えた。


 でも、厨房に戻ると僕のことで騒いでいるんだろうな。苦笑した。 そんな僕を沙織さんは見つめながら

 「凄いねここ、カフェなのに一流レストラン見たい。こんな格好で良かったのかしら」


 「大丈夫だよ、ここはカフェ。会社の意向で本格的にディナーもやっているけどそんなに堅苦しいところじゃない。それに若い人にたくさん利用して貰いたいからとってもリーズナブルなんだ。心配しなくても大丈夫」


 「カラン」グラスが触れ合う音のあと二人でワインを口に含んだ。


 二人共料理を口に運んで「美味しい」口を揃えて声に出して笑った。


 ワインも口当たりのいい軽めのワインを用意してくれた。おかげで二人でボトルを空にしてしまった。最も、残したにせよ一本分の料金が掛かる事を僕は知っていたから調度良かった。


 沙織さんは「もう、お腹いっぱい」と言っていたが、デザートのパフェが来ると嬉しそうにスプーンを口に運んでいた。


 彼女いわくデザートは別腹よ。と得意気に言った。僕はコーヒーにガトーショコラこの2つを頼んでいた。


 そして


 「達哉さん、小説の方は進んでいますか」沙織さんからの何気ない質問だった。いや問い合わせだったかもしれない、出演者からの。


 「うーん。実は全然進んでいないんだ」


 「そっかぁ。なんとなくそんな気がしていた」


 「どうして」


 沙織さんはワインで少しさくら色に染めた頬で照れながら


 「だって達哉さん、私の事何も訊きに来ないんだもん」


 ストレートだった。僕が一番気に病んでいたことを彼女はストレートに言った。


 言葉に詰まりながら


 「ご、ごめん」


 沙織さんは慌てて


 「あ、違うよ。そう言う意味で言ったんじゃなくて、えっと……な……なんていうか……その……私も達哉さんの事が知りたかったから」


 俯いて顔を真赤にさせていた。


 やっぱ僕は恋愛には疎い奴なんだ。彼女からこんなことを言わせるなんて、恥ずかしい。俯き顔が熱くなるのを感じながら出せる言葉は


 「ごめん」としか言えなかった。


 しばしの間、二人共俯きながら黙り込んでいた。店内に静かに流れるジャズピアノのBGMだけが訊こえていた。

 沙織さんは、顔を上げて僕を見ながら


 「達哉さん。私、達哉さんの事もっと知りたい。達哉さんがどんな人で、今までどんな事をしてきたか。どうして小説家になろうとしているのか。だから私の事も訊いてください。なんでもどんな事でも……」


 彼女は勇気を振り絞って言ってくれたに違いない。その証拠に彼女の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。


 あの時、美野里に好きだと言った時の様にすぐに動けない。やはり少し年を取った性だろうか。


 「うん、ありがとう。沙織さんにそこまで言わせる俺ってやっぱかっこ悪いな。宮村がいたら怒られていたよ」


 彼女はくすっと笑い


 「そうよ、宮村さんにも、ナッキにも……」


 僕は苦笑いをした。


 「そろそろ出ようか」沙織さんは、はっとして


 「これ食べ終わってからでいい」その表情が子供の様でとっても可愛い。


 「はいどうぞ、ごゆっくり平らげて下さい。心行くまで」


  沙織さんは頬を膨らませながらも幸せそうにパフェを口に運んでいた。


 会計の時、沙織さんから割り勘にしようって降りなかったが、何とか頼み込んで僕が支払うことが出来た。


 帰り際、恵梨佳さんから「可愛い彼女ね」と言われお互いに顔を真っ赤にして店を出た。


 「あー美味しかった」


 「ご満足でしたかお嬢様」


 「はい、とっても」彼女も僕の口調に合わせて答える。 


 二人とも顔を見合わせて笑った。その手はしっかりと繋がれていた。


 あの公園の前に来た。時計を見ると8時にあと少しだった。僕は勇気を出して「アパートに来てみる」と言った。


 彼女は小さく頷く。この公園から近くであることも知っていた。


 それから少し歩いてアパートの前に着くと。沙織さんはそれを見て


 「アパートって言うからもっと古いのかと思ってた」と漏らした。


 木造2階建て、外壁やら室内のリフォームはされているが建物は古い。トイレバス付のいわゆるワンルームマンションと言ったところだ。だがところどこに見られる古さは否めない、だから格安物件でもある。


 扉の鍵を開け、部屋の電気をつける。


 すると沙織さんの口から「うわっ」と声が出る。


 「すっごい綺麗にしてる」きょろきょろ見回しながら感心していた。


 「沙織さん。適当に座ってて。飲み物コーヒーとビールどっちがいい。それとあんまり見ないでよ、ぼろが出るから」


 ハハハと笑いながら荷物を置いてテーブルの前にぺたんと座った。


 宮村とナッキそして僕ら2人と何度か宮村の知り合いの店に飲みに行ったことがある。意外にも沙織さんはお酒に強かった。それにビール好きだと言っていた「叔父さんみたいでしょ」と言っていたが、酒豪と言う訳でもなかった。ビールジョッキ2杯が限度らしい。その反面ナッキがお酒に弱かったのは意外だった。


 ビールをテーブルに置き、彼女の向かいに座った。


 そして「プシュッ」とプルタブを上げ、今日2回目の乾杯をした。「ごくっと」冷たいビールが心地いい。


 ふと沙織さんはテーブルの下にある灰皿を見つけて


 「達哉さんて煙草吸うんだ」と興味新々に訊いてきた。


 「ああ、ほんの少しね。1日に2,3本程度。タバコ嫌だったら灰皿片付けるよ」


 「ううん、大丈夫。私も気分落ち着かせるためにたまに吸うから」と鞄から一箱の煙草を取り出した。

 「意外?」と訊いてきたから、正直に意外と答えた。


 「私も意外、達哉さんが煙草吸うの」


 お互いに知らない事が少しづつ見えてきた。


 酔いが廻って来たのか沙織さんはペタンと座ったまま話し出してきた。



 「私ね……」



 それは彼女の中学の頃からの話だった。人見知りで、あんまり同じクラスの子たちと一緒に騒いだりする事がない子で、本を読む事はその辺りからはまりだしたと。やはり彼女も美野里ほどではなかったが好きな作家が何人かいて、新刊が出るといてもたっても居られなくて良く本屋に駆け寄ったようだ。


 「お小遣い殆ど本で使っていたなぁ」としみじみ語ってくれた。


 それから高校に入りナッキと出会った事。意外にもナッキと親しくなったのは、入学してから半年を過ぎてからだった。


 「ナッキって小さい頃からアーチェリーやってて、高校も選抜の特待生だったの。1年の頃はクラスも違ってて私部活やってなかったからナッキとの接点なかったんだけど」


 ある日沙織さんは寝坊をして大遅刻で学校に来た事があった。


 その日は先生に厳重注意をされ、クラスのみんなからはいいように言われ。その日を境にある女子グループから虐めを受けるようになった。


 放課後、校舎裏の人気のない場所に呼ばれ、鞄を奪い取られ外見を傷付けるとばれるからと「そんなに寝坊するくらい男とやってるんだろっ」彼女の制服を剥ぎ取り下着を脱がせて切り刻まれていた。


 毎日が嫌で毎日が怖かった事を。


 ある日、何時いつもの様にそのグループから虐めを受けていた時


 「こらあ、お前らなにやってんだぁって物凄い勢いでナッキが来たの。それであっと言う間にその3人の子たちを倒して」


 「お前らこれから沙織に指一本でも触れたら、俺が黙っちゃいないからな。覚えてけ」物凄い大声で叫んだ。


 自分の事俺って言ってまるで男の様だった。その声を訊きつけて近くにいた先生や生徒が駆け寄って来てその有様を目にした。それでこの事が表ざまになり、そのグループの3人は処分を食らったらしい。ただ、ナッキ事 美津那那月から入学当時からずっと気にしていたのに、今まで気が付かなかった事を詫びられた。


 ずっと気になっていた人がこんなに傷つくまで放って置いた事を涙ながらに詫びたそうだ。それからナッキはいつも沙織さんのそばに居るんだと。挙句の果てに自分の部活アーチェリー部のマネージャーにして片時も目を離さ無かった事を。


 そして沙織さんもナッキのあの想いを感じていた。


 僕は何時しかメモを取りながら沙織さんの話を訊いていた。それを見て沙織さんは


 「ごめんなさい。ここからはあまり残してほしくないな」


 「解った」一言、ペンを置いて彼女の話の続きを訊いた。


 そこからはナッキも交えての話になった。始めにナッキには話した事内緒にしてほしいことも付け加えて。


 「ナッキって自分ではああ言っているけど、物凄く男子に人気があったの。それにナッキの実家って神奈川でしょ、あの高校に通うには遠かったからマンションに一人暮で暮らしてるの」


 それはナッキが僕に勝手に話していたから知っていた。それにナッキが高校の時男子からもてていた事も訊いていた。確か3人位の人と付き合ったことがあると。


 「それでね、ナッキの所に遊びに行くと、良くナッキが付き合っていた彼がいるの。タイミングが悪いと」沙織さんはちょっと息を呑んで「SEXしていた」顔を俯かせる。



 「ナッキはいつも私の事見てくれて守ってくれた。でも当のナッキは彼と一緒にいた。そんなナッキを見ているのがいつの間にか息苦しくなったのね。彼女に内緒で部活の男子と付き合ったの。私はあの時のナッキが羨ましかった。だから彼が求めてきた時それを受け入れた。はじめは彼と抱き合う事がとても幸せだった。でもねある時彼からナッキの事を訊かれたの。問い詰めたら彼本当はナッキと付き合いたかったって、そして私がナッキの親友だからもしかしたら親しくなれるかもしれないから付き合ったことを」



 その事実を知り、彼と別れた沙織さんの様子をナッキは見逃がさなかった。ナッキは沙織さんを問い詰め罵倒した。そして沙織さんもナッキに対して溜まっていたものを吐き出し罵倒した。二人は大喧嘩をしたらしい。それから二人の間はしばらく疎遠状態だった。


 「そんな時、私倒れて入院したの……病……ううん」彼女は話をとぎらかせた。



 「物凄い偏頭痛で入院。そうしたら病院にナッキが駆け込んできて、沙織死ぬな沙織って何処でどう訊いてきたのかは解らないけど、あの時みたいに大声で必死になってやってきたの。後で看護師さんにすごく怒られたけどね。それでね、大泣きしたの病室で私が居ないと同仕様もないって、ナッキも寂しかったのね。もう、彼とも別れただから一緒に居てくれって。なんだかプロポーズされているみたいだった。それに私もナッキに謝りたかった。いつもナッキの事考えてとても苦しかった」



 お互いに自分を責て、仲直りする切掛を探していた。もう彼女たちの話を訊けばそれは恋愛そのもの様に感じる。恋愛、それは何も男女だけのことでは無いような、そして人を愛すると言うのは、相手を本当に想いやることじゃないのかと。僕はあの時、美野里を本当に想いやって上げることが出来ていたんだろうか。そんなことを考えさせられる。


 「私その時、ナッキをわざと許しやらなかった。本当はこうなったのも私が悪いんだけど」


 「どうして」



 「あの時私がナッキを許していたら、それは私が悪かった事を自分でも許してしまうから。ナッキは自分が好きでいた人と一緒にいただけなのに、それを妬んだのは私だからそんな自分がどうしよもなく許せなかった。あんな結果になっちゃったけど、始め私も好きだと思う人と一緒にいてその気持ち感じたの。想える人と一緒にいる事がどんなに安らぐかって、だからナッキに言ってやった。貴方は宝塚の男優にはなれないわって、もし本当にナッキが私の事本当に好きだったら私の事心の底から嫌いになって。それが出来るのなら私は仲直りしてあげるって」


  

 「あ、あのぉ。それって無茶苦茶じゃないですか」



 「そ、無茶苦茶。でね、彼女どうしたと思う」



 「うーん。ちょっと想像できないな。お互い許したがっているのに片方は自分が全て悪かったって言ってきてるし、片方は自分のこと許せないけど彼女のことは許してあげたい。でもそれには自分の事を心の底から嫌いになれと言ってるし」


 彼女はもったいぶらせながら


 「それじゃ達哉さんがもし、ナッキだとしたら達哉さんはどうしていた」


 「え、それはちょっと意地悪な質問だな。もし僕がナッキの立場だとしたら……僕は……多分君を心の底から嫌いになる事は……出来ないと思う。でも自分を、自分の中にいる自分を嫌いになろうとするかもしれない。僕にはそれしか出来ない」


 沙織さんは俯いて


 「達哉さんもナッキも本当に優しいね」涙を流し始めた。


 「あれはナッキに向けた言葉じゃない。私に向けた言葉なの。あの時ナッキも今の達哉さんと同じ事を言ったわ」


 「…………」



 「だから、私は彼女に返した。私も貴方の事、心の底から嫌いになりたいって」



 もう沙織さんからの出る涙を止めることが出来なかった。


 前にナッキが言っていた「でも、私は正真正銘の女。この体が証明している」この言葉が沙織さんの言った事の答えだったなのかも知れない。


 「それでね、ナッキも解ったって頷いてくれた。だから今でも私もナッキも心の底から大嫌いなの」泣きながら微笑んで彼女の事を想う沙織さんの姿があった。


 そしてちょっと諦めたように


 「はぁ、でもね私はあんまり干渉しないけど。ナッキは性欲の権化ごんげだったて事。なんだか大学に入ってから解ったんだけど、そう言う相手が2,3人居るって、特に生理前になるととてつもなくしたくなるんだって。解らない訳じゃないけど、節度ってあると思いません?このまま教員になったらナッキの生徒餌食になりかねないでしょ。それにこの前だって私を押し倒して、もう少しで逝きそう……ご、ごめんなさい私変な事まで言って……」


 真っ赤になって弁解しまくっていた。


 あまり弁解するもんだから「解ったから、解ったから」と宥めるのが大変だった。


 僕は冷蔵庫からビールを取って沙織さんに「もう一本飲む」と訊いてみた。しかし時計はもう9時半を廻っていた。


 「沙織さん、もう9時半過ぎたけど門限大丈夫」流石に彼女も実家に居るのだから門限はあるだろう。それが厳しいのかどうなのかは解らないが。


 沙織さんは自分の腕時計を見て、「あっ」と言ったが


 「うち、門限11時なの。今はそんなに厳しくないんだけどお父さんが心配症で……」


 「そっかぁ、それじゃ今日は帰らないと駅まで送るよ」


 「うん」と沙織さんは頷いたがその体は動こうとしない。


 「どうしたの。足でもしびれた」それでも沙織さんは俯いたまま動こうとしない。


 そして「達哉さんビールもう一本もらってもいい」小さな声で言った。


 僕はそれを訊いて


 「そっかぁ、いいよ。それじゃ遅くなる事家に連絡しないと」



 彼女にかがんでビールを渡した時、床にビールの缶が転がった。



 いきなりだった。彼女が沙織さんが僕に抱きついてきた。



 僕は膝を床に付け沙織さんを支えた。


 「どうしたの。どこか具合が悪い」


 訊くが彼女は首を横に何度も振った。


 「どうしたの」不意に沙織さんはまた泣いた。彼女の涙が僕の着るシャツに染みるほど。



 「私、わたし、私は……」



 何かを僕の肩の上で呟いていた。小さな声で、たまらず出てくる嗚咽に苛まれながら。


 そんな彼女をそっと抱きかかえた。僕の腕で、僕の胸の中に。


 そのまま時間が過ぎ去っていく。ただ黙って過ぎ去っていく。


 彼女の優しく甘い香りが次第に僕を包み込む。それを感じる毎に僕の鼓動も次第に高鳴る。


 それと裏腹に彼女のこわばりが少しづつ解き放たれていった。


 そっと彼女の体を放し、俯いた彼女の顔を覗き込んだ。涙でぐちゃぐちゃな顔を。嗚咽がまだ止まらない。


 顔に手の甲を充て静かに涙を拭う。彼女の頬を伝わる涙を。


 沙織さんは僕を見つめている、とても愛おしそうに。


 僕もその瞳を見つめ続ける。



 そして静かに唇が触れ合った。



 目を丸くした、でも次第に目を細め瞼を閉じた。そして彼女の腕が僕の背中を包み込む。



 微かに唇を小擦れ合いながら僕らはキスをした。



 ゆっくりと離れ沙織さんの華奢な肩に手をやり僕の胸に引き寄せた。さっきよりも強く、今よりも強く彼女を抱きしめた。


 もう自分の気持ちを募らせる事は止めよう。出会ってからまだ一ヶ月も経っていないでも、初めての僕の読者、そして僕の小説の理解者。自分の事を描いてもいいと言ってくれた人。己をさらけ出してくれた。もしかしたら、この想いは僕の勝手な感情かも知れない。でも伝えないと前には進んでいけない。たとえ断られても……一目惚れしてしまったんだから。



 そしてそのまま僕は彼女に言った「好きだ」と。



 また時間が流れ出す。彼女の体が僕から離れゆっくりと僕の顔を見つめて頷いた。そして小さな声で「やっと言ってくれた」と呟いた。


 また彼女は言う少し大きな声で訊こえるように「やっと言ってくれた」と。


 その顔は泣き腫らした瞼を隠すような、無邪気なそして柔らかく暖かい表情の顔だった。


 もう、10時を過ぎていた。今からでは門限には間に合わない。


 僕は沙織さんに


 「僕も一緒に行って謝るよ。沙織さんを引き留めた事を」


 でも彼女は少し恥ずかしそうに


 「ううん、いいの。初めから、ここに来る時から決めていたの。それに達哉さんの事まだ訊いていないし……」 

 「うん、それでも家には電話しよう。ちゃんと説明すれば解ってもらえるよ」


 「うん、ちゃんとする。でも今日はナッキのところに泊まったことにすればいいよ」


 「え、でもそれじゃ……」彼女ははキスをして僕の言葉を遮った。


 「それに私、そんなにいい子じゃないから。幻滅した?」と彼女が訊いたから僕も「うん、幻滅した。でも嬉しい」と返してやった。


 すると「うむ、君は素直でよろしい」と、どこかの学長の真似をして沙織さんが言い放った。


 その表情がとても大学の学長に似ていたから思わず笑ってしまった。そして照れながら彼女もつられて笑った。夜も遅い、二人共息を殺しておなかを抱え苦しみながら笑った。


 沙織さんがナッキに電話すると驚いた様に


 「え、ほんと。今晩亜咲君とこに泊まるの。ええ、ほんとまじ、ええ」と驚いていたが「それじゃ今晩亜咲君とえー、沙織がねぇ。それでそれで、告白されたの好きだって。そうよねぇ順番から言ったら告白が先よねぇ。それじゃ告白されてすぐベットインふぁーやるねぇ亜咲君も沙織もぉ」


 「ちょとぉ、ナッキはすぐそっちに持って行く。それより今晩あなたのところに泊まった事に合わせてよ」


 「ハイハイ、解りました。いつも悪いのは私でございます。あ、そこに亜咲君いるんでしょ代わってよ」


 「ナッキが代わってて」沙織さんからスマホを受け取り耳に当てると


 「あーざーきーくーんー」とだみ声で僕の名を呼んで


 「沙織優しくしてよ、経験少ないんだから。初めに行っとく沙織バージンじゃないから。終わってから幻滅しない様に。ま、余計なお世話か」


 僕はハハハ、と笑うしかなかった。そしていつものトーンで


 「これ、沙織に訊かれない様にして」


 少し彼女からスマホを遠ざけて


 「大丈夫?あのね。前に亜咲君に言ったよね。私がもし男だったら沙織の事彼女にしたいって、あれ沙織には絶対言わないでね。まだそんな事想っているのって沙織に怒られちゃうから、それだけはお願い」「解ってるよ」

 「ありがとう。しかしてる女は罪だねぇ。それじゃ沙織に代わって」


 「もうナッキ達哉さんに何言ってたの。それより泊まる事お願いね」


 「はいはい、早く家に電話掛けな、お父さんそろそろ落ち着かなくなってる頃だし」


 「うん解った、ありがとう。それじゃ」


 「うんそれじゃ」ナッキと回線が切れた。そしてすぐに沙織さんは家に電話を掛けた。


 電話に出たのは何と沙織さんの弟君だった。


 「ね、お母さんかお父さんに代わってよ」


 「あー、お袋は今手が離せないって、だから俺が出たんじゃん。それに親父は今日は定例の飲み会。確か明日休みだし帰りは午前様じゃないんか。それより姉貴今何処にいるんだぁこんな時間によ。もしかして男んとこかぁ」「ちょっと誰ぇ」少し離れた所からお母さんの声がした。


 「あん、姉貴からぁ」言い放つ弟の声がする。


 「ちょっとあんまり変な事言わないでよ。お母さん心配するでしょ。それより今晩お酒飲んじゃったからナッキのところに泊まるってお母さんに伝えてよ」


 「ほー、またナッキ姉ちゃんのとこか。ナッキ姉ちゃんも大変だねぇ。いつも姉貴の御守でさぁ」


 「いいから変な事言わないで早くお母さんに伝えてよ」


 「へいへいぃ」弟君は大きな声で「姉貴、今晩ナッキ姉ちゃんとこ泊まるってさぁ」


 やっぱり離れた所から「そうぉ、解ったて言っておいて」


 「姉貴、お袋解ったって」


 「ありがとう」



 「あ、そうだ。姉貴この前やった奴ちゃんと使えよな。高校生で叔父さんて呼ばれるのはちょいきついからさ。避妊たのんまっせ姉貴様。それに俺の部屋からコンドーム何個か持って行ってんの知ってるんだからな。隠れて取ったつもりなんだろうけどバレバレなんだよ姉貴は、だから分けてやったんだ。ちゃんと有効に使えよな気持ちよくなるだけじゃなくよ。そんじゃな」



 「ちょっと何よ、あんた何いって……」回線は途切れていた。


 完璧にばれていた様だった。弟君は一枚も二枚も上手の小生意気な感じの子だなと思った。


 顔を赤くして頬をぷうと膨らませたその顔、やっぱいい。


 「コンビニ行くか」そう言って沙織さんの頭をクシャッとしてやった。告白して直ぐなのに


 沙織さんはそれを何故かしみじみと自分の心に刻みこむような表情をして「ありがとう」と言いながら僕とコンビニに向かった。


 ビールに冷たい紅茶のペット。それにちょっとしたつまみ、沙織さんも何かを観ていた様子だったが「達哉さん先にお店出てて」そう言ったので会計を済ませて店の外に出た。


 少ししてから、袋を手に持ち店から出てきた。



 「冷たぁ」沙織さんが僕の頬にアイスバーを押し付けた。



 「これ、やってみたかったんだぁ。ほら、よく小説で彼女がいきなり彼氏の頬にアイス付けて彼氏が冷たいって叫ぶの」


 沙織さんはアイスを放し僕に手渡した。口に頬張るとソーダ味が口いっぱいに広がる。


 「よくあるね、そんな場面。アイスでもジュースでも」



 「あ、ジュースってのもあった」気が付いたように



 「おいおい」


 「でもね。こんな事実際には馬鹿ばかしい事なんだけど、こうやって一つひとつ小さな事でも一緒に思い出作れたらいいなぁって。私の細やかな願望。それに達哉さんの小説にも使えるんじゃない。私とこうしているところ」


 「うん、ありがとう」そう言ってまた彼女の頭をクシャッとした。


 沙織さんは足を止めた。


 「あ、ごめん。今の嫌だった、すぐで馴れ馴れしかった。謝るごめん」


 沙織さんはそのまま軽く首を横に振る。



 「ううん、これも私が憧れていた事。彼氏の彼女にする何気ない動作。恋人、想い人だから出来る事だと私は感じている」



 「恋人かぁ。僕らも?」



 彼女は僕の顔を見て



 「あれ、告白してくれたんでしょ。好きだって、なら恋人じゃないの。ねぇ、ねぇ……」



 「あ、はい告白しました。はい、しました。そうです恋人です」



 沙織さんは僕の顔を見てクスッと笑い、軽く腕を掴みながら寄り添ってきた。


 そんな彼女と歩きながら、さっき初めて好きだと彼女に言った事が遠い昔の様に思えてきた。僕らは既にずっと前から恋人同士だったと。


 「ずっと、ずっと続くといいね」彼女が言う、そして僕も


 「ずっと続くさ」そう言って返した。彼女はまた涙ぐんでいた。


 僕らはゆっくりとした足取りでアパートへ向かった。



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