第2章 第6話
午後6時まで10分ほどになった頃、中藤は自室を出た。全員が集まれば職業や招待理由を確認できるかもしれない。しかし、それ以上に彼女は夕食が楽しみだった。階下から原井場の笑い声と、獅子谷の相槌が聞こえる。
「随分と楽しそうね」
階段へ向かいかけた中藤は、廊下の奥にある談話室の扉がわずかに開いていることに気づき、中へ入った。室内にはソファや椅子、本棚があり、丁寧に掃除されているものの、長く使われていないような静けさがあった。中央のテーブルには、チェス盤が置かれていた。盤上には黒い駒だけが初期配置のまま並び、白い駒は1つもない。部屋を見回しても見当たらなかった。
「何、これ」
誰かが白い駒だけを片づけたのか、それとも最初から黒だけを並べたのか。中藤は黒いポーンへ手を伸ばしたが、触れる直前で止めた。配置に意味がある可能性もある。スマートフォンで盤面を撮影したところで、柱時計が午後6時を告げた。
「考えるのは後ね」
中藤はスマートフォンをしまい、談話室を出た。
階段を下りると、玄関ホールには肉の焼ける香りが漂っていた。島に来る前に昼食を軽く済ませただけだった彼女は空腹を覚えたが、表情には出さず食堂へ向かった。白いクロスの敷かれた長テーブルには食器とグラスが並び、端には宇治山のものと思われる空席が用意されていた。
「中藤様、こちらへどうぞ」
俊夫に促され、中藤は全員を見渡しやすい中央付近へ座った。最初に来た可憐は、中藤の斜め向かいへ座った。続いて白石が入り、宇治山の空席と厨房を確かめてから少し離れた席へ座った。何も尋ねず、食器や時計へ静かに視線を移している。春山は食堂へ入るなり明るい声を上げた。
「わあ、すごいですね。めっちゃ豪華……可憐さん、隣いいですか?」
「ええ、もちろんです」
春山は可憐の隣へ座った。今のところ、最も扱いやすそうな相手だった。やがて原井場と獅子谷が話しながら入ってきた。2人とも真っ直ぐ歩いてはいるが、原井場の声は大きく、獅子谷の頬は赤い。その後ろを細貝が離れて歩いている。
「おお、ちゃんとしてるじゃん」
2人が隣同士に座ると、細貝はため息をついた。
「夕食前に飲むのはやめた方がいいと言ったんです」
「まだ言ってんのかよ」
「細貝くんが神経質なだけじゃない?」
細貝は言い返すのを諦め、2人から離れて座った。少し遅れて榊原が現れた。
「宇治山氏はまだ来ていないのかね」
「はい。到着の連絡はございません」
榊原は宇治山の席を避けつつ、全員を見渡せる上座近くへ座った。春山は、やはり仕切りたがるタイプだと内心で呆れた。
「すでに酒を飲んでいるようだな」
榊原が原井場を睨みながら言った。
「食前酒ですよ」
「初対面の者が集まる席だ。節度は保ちたまえ」
春山は、早速説教が始まったと思った。
「別に酔っぱらってませんよ」
原井場の軽口に獅子谷が笑い、細貝は呆れた。そこへ真門が腹をさすりながら入ってきた。
「ええ匂いやな。腹減ってしゃあないわ」
「皆様がおそろいになるまでお待ちください」
「まだ誰か来てへんのか?」
「尺蛇様です」
廊下では尺蛇が食堂を覗いていた。注目されるのを恐れ、春山と中藤の近くを見比べる。空席があった中藤の隣に座った。
「……す、すみません遅れて」
中藤は横目で見ただけで何も言わない。尺蛇は膝の上で手を組んだ。10人がそろうと、恵が牛肉のローストを運んできた。香ばしい匂いに中藤の視線が吸い寄せられる。
「お待たせいたしました」
俊夫がそれぞれの席に皿を運ぶ。中藤は平静に礼を言ったが、すぐに肉へ目を落とした。春山はその変化に気づき、意外と食いしん坊なのかと思う。
「それでは、お召し上がりくださいませ」
一同が食事を始める。
「おっ、うまいやん。姉ちゃん、料理上手やな」
「ありがとうございます」
真門に褒められた恵は、わずかに機嫌をよくした。
「このソース、おいしいね」
「高級店みたいな味だな」
原井場は知ったような口を利いたが、誰も相手にしなかった。中藤は肉を口へ運んだ。予想以上においしい。夢中だと思われないよう静かに食べたが、皿の肉は着実に減っていった。半分ほど食べ終えたところで、中藤はナイフを置いた。
「全員そろったところで、確認しておきたいことがあるわ」
「何や、いきなり」
「招待者についてよ。送り主が5人いることは分かったけれど、誰がどんな理由で招待されたのかは共有していない」
「またその話かよ」
「必要な話よ」
真門がナイフを置いた。
「飯の席で面倒な話すんなや。せっかくうまいもん食うとるのに辛気臭なるやろ」
「私たちは、身元の分からない人間に交通手段のない島へ集められているのよ」
「何か起きてから話せばええやろ、せめて飯食い終わってからやれや」
「中藤さん、まずは落ち着いてお食事を……」
可憐が口を挟む。
「今が最も効率的です」
細貝が言うと、可憐はすぐに意見を変えた。
「まあ、確かに……全員が集まる機会も限られておりますものね」
「どっちやねん」
「皆さんが納得できる方法がよいと思って……」
「議論するなら、順序立てるべきだろう」
榊原が口元を拭い、場を仕切り始める。
「差出人、その人物との関係、招待状の内容……あと職業か。この順で1人ずつ話すとしよう」
「異論はないわ」
中藤が答えた。
「では、年長者である私から始めよう」
榊原は背筋を伸ばし、一同を見渡した。
「差出人は江崎……江崎栗五君。中部地方の裁判官で、退官の慰労を兼ね、司法関係者を集めた小旅行へ招待された。私の判事時代の経験について聞きたいとのことでね。先ほども言ったが、元裁判官だ」
「今までに面識は?」
中藤が尋ねる。
「いや……手紙でのやり取りだけだ。だが私の経歴を詳しく知っていた。無関係な人物ではあるまい」
「確認はしていないのね」
榊原は不快そうに口を閉じた。
「次は私でしょうか」
可憐が手を挙げる。
「私も江崎さんからです。教育関係者の集まりを兼ねた旅行で、私の意見を聞きたいと書かれておりました。八重県の教育委員を務めております」
「江崎さんとは面識があるんですか?」
細貝が尋ねる。
「いいえ。教師時代の活動を聞いたとありましたので、共通の知人がいるのかと……」
「確認はしていないんですね」
「ですが、榊原さんも同じ方から招待されておりますし……」
「俺たちだって2人とも小川さんから来てるんだけどな」
原井場が口を挟んだ。
「誰も、あなたたちだけが騙されたとは言っていません」
細貝が答える。
「江崎さんも小川さんも、本人確認が取れていない点では同じです」
「その言い方が感じ悪いんだよね」
頬を赤くした獅子谷がナイフを置く。
「人が話してる時に、いちいち間違いを探す必要ある?」
「事実を整理しているだけです」
「ほら、そういうところ」
「まあまあ、喧嘩すなや」
真門が笑った。
「白石君は?」
榊原が話を戻す。
「差出人は中村健二。昔、仕事で関わった後輩で、今はカウンセラーをしているらしい」
「確認は?」
中藤が尋ねる。
「していない。だが、俺の退職や当時の出来事を知っていた。職業は元警察官で、今はトラック運転手だ」
「警察辞めて運ちゃんか。えらい変わったな」
「色々あったんだよ」
白石が低く答えると、真門はそれ以上聞かなかった。
「お、俺も……中村って人からです」
尺蛇が小さく声を上げた。
「職業は?」
「工場で働いてました……今は求職中です」
「つまり無職ってことか?」
原井場が口を挟む。尺蛇はギロりと一睨みしたが、何も言い返さなかった。
「中村君とは知り合いなのか?」
白石が尋ねた。
「知らない。カウンセラーで、仕事を辞めた俺に静養を勧めてきた」
「俺を招待した中村と同じ人物かは分からないな」
話し終えた尺蛇は皿へ目を落とし、黙々と食べ進めた。
食事が半ばまで進む頃には、江崎と中村から招待された4人の話が終わっていた。
「次は僕ですね」
細貝が口元を拭う。
「差出人は和田四織。Z世代を集めた交流会を開くとのことでした。僕の前職まで知っていたので、無関係なスパムではないと判断しました。職業はITベンチャーの社員です」
「私も和田さんからです」
春山が明るく手を挙げた。
「元アイドルだったことを知っていて、同じ理由で今回の集まりに招待されました。今はコンカフェで働いてます」
「アイドルだったんですか?」
「地下ですけどね。全然売れてませんでした」
「こういう場所に呼ばれるなら、何か光るものがあったんでしょ」
原井場が言う。
「俺、見る目あるから。後でSNS教えてよ」
「今はあまり活動してないんで」
春山は笑顔でかわした。
「私も和田四織からよ。同じようにZ世代の交流会と書かれてた。以前は出入国管理庁にいて、現在は外務省への採用が決まっているわ」
中藤が告げた。
「外交官ですか?」
春山が尋ねる。
「研修と配属を経ればね」
「えらいエリートやないか」
真門が感心する。
「なるほど。偉そうなのも納得だな」
原井場に、中藤は冷たい視線を向けた。
「あなたの肩書よりは明確だと思うけど」
「へえ? 肩書だけ立派でも、影響力がなきゃ意味ないと思うけどね?」
「職業の優劣を論じる場ではない」
榊原が制する。
「獅子谷さんと原井場くんの話を聞こう」
「私と原井場くんは小川三緒さんからです」
獅子谷は胸を張った。
「芸能事務所の社長で、私の配信やコスプレを見ていたそうです。活動名は獅子乃タテガミ。バーチャル配信者とコスプレイヤーをしています」
原井場が椅子へ座り直す。
「影響力と事業に注目してるってことで、芸能関係者や経営者の集まりに招待されました。ネットワークビジネス中心に、商品のプロモーションとかやってます」
「具体的には何をしているの?」
中藤が尋ねる。
「だから、商品の良さを広めたり、販売する人を育てたりですよ。今の時代、ただ広告を出せば売れるってもんじゃないんで」
「つまり、勧誘が中心なのね」
「勧誘って言い方やめてもらえます? 俺は人脈を作って、成功する方法を教えてるんですよ」
「言い換えただけでしょう」
「何も知らないくせに、勝手に決めつけんなよ」
「2人とも、よしたまえ」
「話を脱線させたのは、あの女ですよ」
「私の名前は中藤よ」
「はいはい、中藤さんね。言われなくたって知ってますよ」
ローストの皿に冷めた脂が浮き始めていた頃には、中藤と原井場の間にも冷えた空気が漂っていた。
「最後はワシか」
真門が食事の手を止める。
「差出人は野口六斗。昔の知り合いで、10年ほど会っとらん」
「どのような知り合いですの?」
「昔の仕事仲間や」
「具体的には?」
中藤が尋ねると、真門は舌打ちした。
「昔、ワシが世話しとった若い衆や。もう関係あらへん」
「暴力団関係者ということかね」
榊原の言葉に、食卓が静まる。
「元や。ワシも野口も今はカタギや。ワシは不動産会社の社長やっとる」
「野口は何のためにアンタを呼んだんだ?」
白石が尋ねる。
「昔の事件について話したいことがある、とだけ書いとった」
「事件?」
「お前らには関係あらへん」
「全員を集めた理由と関係する可能性があります」
「あるわけないやろ。野口はワシだけに手紙を寄越したんや」
「今は無理に話させなくていい」
白石が細貝を制した。
「ただ、思い出したことがあれば教えてくれ」
「おう、気が向いたらな」
10人の説明が終わると、中藤がまとめた。
「招待者は5人。中村、江崎、小川、和田は複数人を招待し、野口だけが真門さん1人。しかも、それぞれ説明されている集まりの目的が違う」
「それでも全員が同じ日に、この島へ呼ばれた」
白石が言う。
「5人が共同で企画したんじゃないですか?」
「相手ごとに、来そうな理由を用意したとか」
「それが自然ですわね」
可憐が同意する。
「共同企画なら、使用人に招待者の名前を隠す理由がありません。それに宇治山さんも姿を見せていない」
細貝が否定した。
「サプライズなんじゃない?」
獅子谷が呑気に言った。
「こういうイベントって、最初は情報を隠すものでしょ」
「誘拐犯も同じことをするわ」
「何で怖い方向に持ってくの?」
「可能性を述べただけよ」
「もうよしたまえ」
榊原が声を強めた。
「今は材料が少ない。宇治山氏が到着すれば説明されるだろう」
「来れば、ね」
その時、食堂の扉が開いた。俊夫が、デザートを載せたワゴンを押して入ってくる。
「お話し中、失礼いたします。食後のデザートでございます」
皿にはガトーショコラと果物が添えられていた。中藤の視線がケーキへ向く。
「中藤さん、甘いもの好きなんですか?」
「嫌いではないわ」
「反応が早かったですよ」
「何の話?」
中藤は平然と答えながら、皿が置かれるとすぐにフォークを手に取った。張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。




