第3話
俊夫を先頭に、屋敷へ向かって歩き始めて10分ほど。屋敷までの坂道は舗装こそされているものの、ところどころに落ち葉が積もり、路肩には雑草が伸びていた。人が頻繁に通っている様子はなく、足音だけが静かな森に響いている。
「ほんま、えらい坂やな……」
真門が額の汗を手の甲で拭って言った。
「静かすぎるわホンマに」
ぼやきながらも真門は歩き続けた。その横で細貝はスマートフォンを取り出し、画面へ目を落とした。
「……あれ?」
通信状況を確認すると、画面には『圏外』の文字が表示されている。
「電波がありませんね」
後ろを歩いていた獅子谷も慌ててスマートフォンを確認する。
「ホントだ、圏外」
細貝は少し困ったように息をついた。
「困ったな。今日中に仕事の連絡を返そうと思ってたんですが」
俊夫が申し訳なさそうに振り返る。
「島内は携帯電話の電波が届きませんので、ご不便をお掛けいたします」
「Wi-Fiとかは?」
原井場が尋ねる。
「申し訳ございませんが、通信機器の類はご利用できないかと。」
「そうか……まあ、しょうがないね。」
細貝はスマートフォンをしまい、小さく肩をすくめた。
「宇治山さまは機械には疎いようで……屋敷にも通信設備は設けられておりません。『島では島の空気を楽しむべきだ』というお考えのようでして……」
「ああ、別にいいですよ。ちょっと気になっただけなので」
細貝はスマートフォンをしまい、苦笑しながら歩き出した。
「ご不便をおかけいたします」
俊夫が深々と一礼すると、一行は再び歩き出した。しばらく歩いたところで、榊原が俊夫へ声を掛けた。
「ひとつ伺いたい」
「何でしょう」
「宇治山氏は、すでに到着されているのかね」
俊夫は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐ穏やかな笑みに戻った。
「いえ。まだお見えになっておりません」
「まだ来ていないのか?」
「はい。しかし、早ければ夜には。遅くとも明日までにはお越しになる予定と伺っております」
榊原は静かに頷き、それ以上は何も言わなかった。代わりに細貝が首をかしげる。
「でも、新庄さんは3日後まで来ないって言ってましたよね」
「ええ。別の船で来るそうで」
俊夫は穏やかな表情のまま答える。
「宇治山様は、ご自身で船を手配されることもあると伺っております」
「自家用船ってことですか」
「私どもも詳しくは存じません。ただ、そのように聞いております」
細貝は「なるほど」と頷いたものの、どこか腑に落ちない表情を浮かべた。真門が後ろから「さっすが金持ちやなぁ……」と呟く声だけが残った。
やがて坂道の勾配が緩やかになり、木々の向こうに大きな洋館が姿を現した。灰色の石造りの外壁に赤茶色の屋根。3階建ての堂々とした建物で、正面には重厚な木製の扉がそびえ立っている。周囲を高い木々に囲まれているせいか、昼間にもかかわらずどこか薄暗い印象を受けた。俊夫は玄関前まで歩くと、扉の前で立ち止まった。
「皆様、お疲れ様でございました」
そう言って扉を3度ノックする。ほどなくして扉がゆっくりと開いた。中から現れたのは、黒いメイド服に白いエプロンを身につけた若い女性だった。髪はきちんと後ろでまとめられ、柔らかな笑みを浮かべている。
「皆様、ようこそ津伊世島へ」
女性は優雅に一礼した。
「私、霧坂恵と申します。皆様のお世話をさせていただきます。本日は遠いところ、お越しくださいまして誠にありがとうございます」
10人も軽く会釈を返した。俊夫が一歩前へ出る。
「皆様、お疲れでしょう。まずはお部屋へご案内いたします。荷物を置いてお休みいただいた後、ご夕食をご用意いたします」
「夕食は何時からですか?」
中藤が尋ねた。
「午後6時を予定しております。それまでは館内をご自由にご覧いただいて構いません。」
俊夫はそう言って玄関ホールへ足を進めた。
「あっ、私としたことが言い忘れておりました……」
振り返って告げた。
「当屋敷は3階建てですが、3階は立ち入りをご遠慮いただきたく思いますので、その点だけはお願いいたします」
館内へ入ると、ひんやりとした空気が10人を包む。磨き上げられた木の床には赤い絨毯が真っ直ぐ伸び、正面には2階へ続く幅広い階段。その両脇には重厚な扉がいくつも並び、壁には風景画や古い時計が静かに時を刻んでいた。
「すごい……ホテルみたい」
春山が辺りを見回しながら呟く。恵は穏やかに微笑んだ。
「築年数は古うございますが、皆様に快適にお過ごしいただけるよう手入れしております」
可憐は天井を見上げた。
「これだけ広かったら、掃除だけでも大変でしょう?」
「ええ、夫婦2人ではございますが、何とか維持しております」
俊夫は階段へ向かいながら振り返った。
「客室はすべて2階にございます。お部屋はあらかじめ決めさせていただいておりますので、お名前をお呼びいたします」
俊夫は胸元から名簿を取り出し、1人ずつ部屋番号を告げていく。
「榊原様は201号室、白石様は202号室、細貝様は203号室――」
10人はそれぞれ自分の部屋を確認した。
「——尺蛇様は210号室でございます、ごゆっくりお過ごしくださいませ。ご夕食の時間になりましたら、お呼びいたします。」
そう告げると、俊夫と恵は再び一礼した。それぞれが自室へ向かって歩き始める。静かな廊下には、革靴やヒールの足音だけがゆっくりと響いていた。




