第2話
船は速度を落とし、船着き場へゆっくりと近づいていった。エンジンの音が低くなり、船体が小さく揺れる。係留ロープが桟橋へ渡され、船が静かに接岸した。新庄がタラップを降ろす。
「着きやしたよ。足元に気を付けてくだせえ」
真門が先頭に立って船を降り、そのあとを榊原、細貝らが続いた。島へ足を踏み入れた瞬間、潮風に混じって木々の湿った匂いが鼻をかすめた。見渡しても、船着き場には人影がない。春山が辺りを見回した。
「……あれ?」
「誰もいませんね」
可憐も不安そうに港を見渡す。細貝が新庄へ尋ねた。
「ここから屋敷までは、どれくらいあるんですか」
新庄は桟橋の奥を指差した。
「あの坂道を上って20分ほどでさぁ」
「20分? 歩きですか?」
「へえ。この島ぁほとんど無人島みたいなモンなんでね。屋敷へ行くには歩くしかありゃせんのですわ。」
「また歩きかいな……」
港へ着くまでの一件を思い出したのか、真門が大きくため息をついた。
「荷物持って坂道を20分て、年寄りには堪えるで」
「私に言わせれば、君も十分若いがね」
「爺さんに若い言われてもな……しんどいもんはしんどいんや」
真門は肩を回しながらぼやいた。白石は島の奥へ続く一本道を見つめる。木々の間へ吸い込まれるように伸びる坂道の先は見えない。その先に、あの洋館が建っているはずだった。
「案内は?」
白石が静かに尋ねる。新庄は腕時計をちらりと見た。
「本当なら霧坂さんが迎えに来る段取りなんですがねぇ……」
そう言って港の奥へ目を向けた、その時だった。坂道の向こうから、燕尾服を着た1人の男が足早に駆け下りてきた。年齢は50代ほどだろうか。息を整えながら桟橋まで来ると、10人と新庄に向かって深々と頭を下げた。
「皆様、大変お待たせいたしました」
落ち着いた低い声だった。
「私、この屋敷で執事を務めております、霧坂俊夫と申します。本日は津伊世島へようこそお越しくださいました」
新庄が苦笑した。
「おっ、やっと来ましたかい」
「新庄さん、申し訳ありません。屋敷で少々準備が立て込んでおりまして」
俊夫は再び一礼する。
「本来であれば、こちらで皆様をお迎えする予定だったのですが、お待たせしてしまいました」
「使用人は2人だけと聞きましたが、もう1人の方は?」
「現在、皆様をお迎えする夕食の準備をしております。本日は人数も多いため、屋敷を空けることができませんでした」
俊夫は船着き場から屋敷へ続く坂道に向き直った。
「それでは、ご案内いたします。少々坂道が続きますので、お足元にはお気を付けください」
「やっぱり歩くんかいな……」
「島には車がございませんので、ご不便をおかけします」
白石は坂道の先を見つめた。木々の間へ吸い込まれるように続く一本道。その先には、船の上から見えた洋館の屋根が木立の隙間からわずかに覗いていた。
「それじゃあ、あっしはこの辺で……3日後にまた来やす」
新庄がそう言うと、何人かが顔を見合わせた。
「3日後?」
細貝が思わず聞き返す。
「はい。食料や日用品を運ぶんでさぁ。島には定期便なんてありませんからね」
「えっと……私たち、1週間くらい滞在する予定ですよね? 招待状にはそう書いてありました」
「はい。そのように宇治山様から伺っております」
「じゃあ、その間は船は来ないんですか?」
可憐が不安そうに尋ねると、新庄は申し訳なさそうに笑った。
「ええ。予定では3日後に荷物を運びに来るだけでさぁ。その次は皆さんをお迎えに来る日になりますね」
「帰りも新庄さんが?」
「もちろんでさぁ。この島へ渡る手段は、この船しかありませんから」
一瞬だけ、その場に沈黙が落ちた。船が唯一の交通手段。つまり、この船が来なければ島から出ることはできない。そんな当たり前の事実を、10人は今さらのように意識した。真門が鼻を鳴らす。
「まあ、1週間ぐらいすぐやろ」
その一言で、重くなりかけた空気がわずかに和らいだ。新庄は帽子を軽く持ち上げた。
「それじゃ、皆さん。また3日後に」
そう言い残すと桟橋へ戻り、船へ乗り込む。エンジンが低く唸り、白い船体はゆっくりと岸を離れていった。10人は誰とはなく、その姿を見送る。やがて船は小さくなり、水平線の向こうへ消えていった。島に残されたのは招待客と、屋敷の使用人である霧坂夫妻のみになった。
「では、参りましょう」
俊夫が先頭に立ち、10人は互いの様子を窺いながら、その後に続いた。ふと、最後尾の尺蛇が振り返ると、新庄の船はもういなくなっていた。




