第1章 第1話
船が岸を離れて数分後、エンジンのわずかな振動を背中に受けて、招待客10人はそれぞれ腰を下ろしている。出発してからは、誰もが揺れに慣れようとしていると同時に、互いの存在を探るような視線だけが行き交っていた。エンジンと波の音以外は何も聞こえなかった。やがて、沈黙を破ったのは原井場だった。
「しかしさぁ、こういう招待制のイベントって初めてだわ」
返事はない。原井場は構わず続けた。
「島を貸し切るなんて、小川さんって人も中々人脈あるよな」
「……小川さん?」
「招待した人」
細貝の問いに原井場は当然のように答えた。
「芸能関係者以外にも色々呼んでるみたいだし」
春山が小さく手を挙げた。
「えっと……私は小川さんって人からじゃないですよ?」
「え?」
「私は和田四織さんって方から」
船内が少し静かになる。可憐がおずおずと言う。
「私は江崎さんという方から……」
榊原も頷く。
「私も江崎君だ」
尺蛇がぼそりと呟く。
「お、俺は中村って人から届きました」
白石も続ける。
「俺も中村から」
真門は腕を組んだまま言う。
「ワシは野口から」
獅子谷が原井場を見た。
「私は小川さんです」
「俺と同じか」
原井場は少し驚いたように獅子谷を見る。
「……送り主、全員違うんですね」
中藤がタブレットから目を離さず答える。
「中藤さんは?」
「私は和田さんから。」
中藤は静かに答えた。白石が静かに言う。
「同じ島に呼ばれているのに、送り主が5人に分かれているのは妙だな」
白石の言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。送り主が違う。それは事実だった。しかし、その事実が何を意味するのかまでは誰にも分からない。
「まあ、どうでもええやろ」
真門が肩をすくめる。
「ワシは招待されたから来ただけや」
白石も深く追及することはしなかった。その時だった。操舵室の窓越しに、新庄が前方を指差した。
「見えてきやしたよ、あれが津伊世島でさあ。」
10人は反射的に窓の外へ目を向けた。波の向こうに、小さな黒い影が浮かんでいる。船が近づくにつれ、その輪郭はゆっくりと形を成していく。切り立った崖、その頂上付近にぽつんと建つ、大きな洋館。春山が思わず声を漏らした。
「わぁ……」
細貝も目を細める。
「思ってたより、小さい島なんですね」
白石は洋館から目を離さなかった。なぜか、歓迎されているというよりも島そのものに見下ろされているような感覚が、胸の奥に小さく引っかかった。新庄は続けた。
「昔ぁ観光客も結構来てたらしいですがね。流行病で客足が途絶えてからは、すっかり静かな島になっちまったそうで……」
「ん? 待ちたまえ。」
榊原が新庄の話を止めた。
「今、『らしい』や『そうで』と言ったな」
新庄は少し驚いたように榊原を見た。
「へえ、それが?」
「その頃の島を貴方自身は知らないということか?」
船内の視線が自然と榊原へ集まる。
「いやぁ、よく分かりやしたね」
新庄は帽子のつばを指先でなぞりながら照れくさそうに笑った。
「実は、あっしはこの島で働き始めてまだ1か月ほどなんでさぁ」
「1か月?」
「へえ。求人サイトで船頭の募集を見つけましてね。渡し船を操縦できる人間を探してるって話だったんです」
真門が(オッサンが求人サイトで船頭か……今はそんな時代なんやな……)と感心しているのも知らず、新庄が続けた。
「あっしも昔から船には乗ってましたんで応募したら、宇治山さんって人に雇ってもらいやした」
「その宇治山さんという方が、この島の所有者なんですか?」
細貝が尋ねる。
「へえ。島も屋敷も全部あの旦那のもんだそうで」
「また『そう』と言ったな。つまり、宇治山氏との面識は無いということか。」
榊原が再び反応する。新庄は苦笑した。
「おっしゃるとおりで。実は、その旦那ともまだ顔を合わせちゃいねえんですよ」
「雇われた時も、やり取りは全部メールでした。契約書なんかは郵送で届きましてね。船も『港に置いてあるから自由に使ってくれ』って話で」
「では、雇い主の顔も知らないまま働いている、と」
「そういうことになりやす」
新庄は肩をすくめた。
「まあ、給料はちゃんと振り込まれてますし、不自由もしちゃいねえんで、あっしはあまり気にしちゃいませんがね」
白石は腕を組み、少し考え込んだ。
「他に従業員や住人は?」
「へえ。霧坂さんって夫婦が屋敷の管理をしております。住人はその2人だけでさあ」
「その霧坂夫妻には?」
「2~3回ほど。食材やら家具やら運ぶのを手伝いました。もっとも、お2人も宇治山さんには会ったこたぁ無いそうですがね。皆さんは会ったことありますかい?」
返事は無い。細貝が苦笑する。
「じゃあ、この中で誰1人として主催者の宇治山さんには会ったことがないってことですか。」
新庄は「そうなりますかねえ」とあっさり答えた。
その言葉に、船内はしばし静まり返った。島へ招待された10人。その10人を迎える島の主も、使用人も、まだ誰1人として姿を見せていない。船は穏やかな波を切りながら、静かに津伊世島へ近づいていった。




