プロローグ:出発
白石が待合室に戻って間もなく、ハンチング帽を被った中年の男が入ってきた。無口そうな顔つきだが、仕事には慣れている雰囲気があった。
「招待のお客様ですかい? 出発の準備ができやしたので、船の中でお待ちいただけやすよ……あー、申し遅れやした。船頭の新庄と申しやす。」新庄と名乗る男は軽く一礼して待合室の中を見渡した。
「ひとり来てねえようですが……まぁいいでしょう。こちらにどうぞ」
新庄は簡潔にそう告げると、9人を手で促した。それぞれが船へ向かう途中、白石は新庄の横に歩み寄った。
「1人、少し遅れます。駐車場の案内で手間取っていて……真門さんという方です」
新庄は「ああ」と短く返し、眉をひそめた。
「さっき外で騒いでた人か……まあ、乗る予定なら待ちやすさ。貸し切り便だし、時間に厳密ってわけでもねえですから」
白石は軽く頭を下げた。新庄は頷き、白石を船へ案内した。船は小型の旅客船で、漁船よりやや小さいほどだった。小さい甲板の上には潮の匂いが漂い、エンジンの低い唸りが聞こえている。9人は船内へ入り、それぞれ空いている座席に腰を下ろした。白石は入口近くの席に腰を下ろすことにした。新庄は船の外から振り返り、軽く声をかけた。
「真門さん来たら出ますんで。しばらく座って待っててください」しばらくすると、港の外からかすかに怒鳴り声が聞こえた。真門の声だ。
「なんであんな遠いとこ停めさせんねん! ほんま腹立つわ!」その声は次第に近づき、やがて姿が見えてきた。真門が、黄土色のネクタイを揺らしながら歩いてくる。肩で息をし、額には汗がにじんでいた。「……ったく、なんでワシがこんな歩かされなあかんねん……!」
文句を言いながらも、足取りは急いでいる。怒りの熱はまだ残っているものの、先ほどのような爆発的な勢いはなかった。新庄がタラップ前で腕を組み、真門を見下ろした。
「お疲れさん。乗るなら早めにしてくださいよ」
「分かっとるわ! これでも急いどんねん!」真門は舌打ちしながらも、急ぎ足で船内へ入った。
「全員そろいましたかね。じゃあ改めまして、津伊世島までの渡し船を担当しておりやす。船頭の新庄と申しやす」
新庄は少し色あせたハンチング帽を軽く押さえながら、乗り込んだ10人を見渡した。
「これから津伊世島まで向かいやす。天気は良いですが、風が少し強いんでね。揺れるかもしれやせん。気分が悪くなったら、遠慮なく言ってくだせえ」新庄は続けた。
「島までは1時間ほどで着きやす。途中で立ち歩くと危ないんで、座ったままでお願いしやす。荷物は足元に置いといてくだせえ」
そう言って一度だけ軽く会釈すると、操舵室へ入り、ドアを閉めた。
真門はまだ文句を飲み込めずに口を開いた。
「ほんま疲れたわ……なんで客がこんな歩かされなあかんねん……」
細貝が真門の方を向き、淡々とした声で言った。
「まあまあ。島に着いたらゆっくりできますから。今は座ってましょうよ」
真門は「チッ……」と舌打ちしながらも、それ以上は言わなかった。エンジンの唸りが少し大きくなり、船体がわずかに揺れる。
「では、出発します……」
船はゆっくりと岸を離れ、津伊世島へ向けて動き出した。海面がきらきらと光を反射し、潮風が船体を撫でていく。こうして、招待された9人と1人の首謀者を乗せた船は静かに島へ向かっていった。




