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プロローグ:集合

 浦市駅発の八重交通のバスが終点の「浦市みなとまち」に到着した。マスクをした男女数人が降りるとバスはさっさと帰っていった。停留所に残されたのは、どこか気まずい空気と潮の匂いを含んだ生暖かい風だけだった。空には雲ひとつなく、4月下旬の柔らかな日差しが港を穏やかに照らしている。沖には一隻の船が静かに係留されていた。まだ船頭や係員の姿は見えない。

「ここか……」

 白石は黒い中折れハットを軽く押さえ、周囲を見渡した。久々の海だったが、景色を楽しむ余裕はない。手元の招待状を一度確認すると、無言のまま待合室へ歩き始める。続いて降りた細貝は歩きながら腕時計に目を落とした。集合時間10分前。余裕を持って到着できた。「時間厳守か。悪くない」そう独りごちると、白石に話しかけた。

「どうも、あなたも招待されてきたんですか?」

 白石は振り返ると、ぶっきらぼうに返事をした。

「ええ、まあ」

 一言だけ返すと再び歩き出す。細貝もそれ以上は何も言わず、歩幅を合わせることなく自分のペースで待合室へ向かった。続いて獅子谷、可憐、中藤の順番で降りてきた。獅子谷は他の2人を見て不思議そうな表情をしたが特に何も言わなかった。

 最後にバスから出てきた榊原は階段をゆっくりと降りながら港の景色を見渡した。青いドレスシャツの袖口を整えると、胸元の招待状を軽く叩いて確認する。

「ふむ……ここが集合場所で間違いないようだな」

 誰に向けたわけでもない独り言を落とすと、他の招待客の後を追うように歩き出した。歩幅はゆっくりだが、迷いのない足取りだった。

 

 待合室の自動ドアが開くと、すでに数名が中で待っていた。原井場はスマホの画面を眺めているし、尺蛇は壁に貼られた案内図を見ているのか見ていないのか分からないほど固まって座っている。春山は椅子に腰掛け、スマホを鏡代わりに身だしなみを確認していた。5人が入ってきたことで、待合室の空気はわずかに動いたが、誰も声を発する者はいない。続けて入ってきた榊原もまた、静かに席を選び、背筋を伸ばして腰を下ろした。(まったく、最近の若者は社交性がないのかね……いや、時期を鑑みると致し方ないか……。)老婆心から口を開いた。

「君達も招待客かね?」

 全員が一斉に榊原を見た。数秒の沈黙が流れる。

 最初に口を開いたのは春山だった。

「はい、たぶん。招待状をもらって来ました」

 愛想よく微笑みながら答える。

「私もです」獅子谷が続ける。

「招待状には集合場所しか書いてありませんでしたので」

 細貝も軽くうなずいた。

「僕も同じです」

 白石と中藤は何も言わず、招待状を軽く見せるだけの返事をした。

「やっぱり全員そうなんですね」可憐が安心したように笑い、招待状が入った封筒を取り出した。

 尺蛇は皆の視線を気にするように身じろぎしたあと、小さな声で続ける。

「……俺も、そうです」それだけ言うと再び口を閉ざした。

 榊原は満足そうに一度うなずく。

「なるほど。どうやら私の勘違いではなかったようだ」

 そう言って椅子に深く腰掛ける。しかし、その場の空気は依然としてぎこちないままだった。

 

 「わ、私……春山尚香って言います」

 気まずさに耐え兼ねた春山が自己紹介をした。ぺこりと頭を下げると、場の空気がわずかに和らいだ。

「細貝隼人です」それに続いたのは細貝だった。

「IT系の会社員やってます。よろしくお願いします」簡潔そのものの自己紹介だった。

「中藤排奈です。よろしく」

「白石です」中藤と白石は短く名乗るだけで、それ以上は何も付け加えない。

「獅子乃……獅子谷和奈です」獅子谷は言い直すと胸を張って微笑む。

 榊原は名乗る前に咳払いをした。

「榊原茂男。元裁判官だ」落ち着いた口調で名乗ると、静かに襟を正した。

 可憐は背筋を正して名乗った。「可憐真由子と申します」

 原井場はようやくスマートフォンをポケットへしまった。

「原井場優太です」それだけ言うと、腕を組んで椅子にもたれかかった。

 皆の視線が残る一人へ集まる。「……」尺蛇は居心地悪そうに肩を縮める。

「しゃ、尺蛇……大仙です」消え入りそうな声で名乗ると、それ以上話すことなく俯いてしまった。互いの名前だけは分かった。だが、それ以上は何も誰も話さなかった。

 

 細貝は疑問に思っていた。(特急に乗ってた時から思ってたけど、この爺さんやっぱり招待客だったのか。けど、どう見てもZ世代には見えないな。)周りを見渡すと、Z世代っぽいのは春山と原井場と中藤ぐらいだ。尺蛇と白石はこの中だと比較的まだ若い方の部類に入るかもしれないが、獅子谷と可憐はZ世代に見えないな、オバサンだし。細貝は原井場の近くの椅子に座った。

「どうも、原井場さんでしたっけ?人違いでなければSNSで見かけたことありますよ」

 年も近そうだし、仲良くなっておいて損はなさそうだ。原井場は嬉しそうに答えた。

「おー!俺のこと知ってくれてるのか! 嬉しいねぇ!」

 こういう手合いは褒めておくとすぐ調子に乗るから扱いやすいったらない。原井場は聞いてもいないのにあれやこれやと自分の活動内容について話し始めた。フォロワーが何人いるだの、案件のDMが毎日届くだの……。船が出発するまではマシンガントークに付き合わされる羽目になりそうだ。細貝は肩をすくめて原井場の話を聞くことにした。

 

 原井場の声が待合室に響く中、春山はその喧しさに少し眉をひそめた。スマホをいじる手を止め、周囲を見渡すと、隣の席に座った榊原と目が合った。榊原は背筋を伸ばし、落ち着いた表情で春山を見ていた。春山は一瞬だけ(面倒くさそうなタイプだな)と思ったが、外面の笑顔を崩さずに口を開いた。

「えっと……榊原さんでしたよね? 遠いところから来たんですか?」榊原はわずかに顎を引き、丁寧な口調で答えた。

「いや、さほど遠くはないよ。だが、こうして若い方々と同じ場に呼ばれるとは……少々意外だった」春山は笑顔を保ったまま、内心で(何言ってんだこのジジイ)と毒づいた。しかし表では柔らかい声を出す。

「そうなんですね〜。でも、呼ばれたってことは何か共通点があるんじゃないですか?私たち。」榊原は腕を組み、少し考えるように視線を落とした。

「貴女も招待状が届いたのだろう? おそらく、我々には同じ場所に集められる理由があるのだろうね」

 春山はその言い回しに、どこか説教臭さを感じた。だが、表情は崩さない。

「なるほどー。私、そういうのあんまり分かんないんですけど……まあ、島に行けば分かるってことですかね?」

 榊原は静かにうなずいた。「焦らずとも、島に行けばそのうち分かる」

 春山は笑顔のまま、心の中で毒づいた。(出たよ……説教ジジイ。こういうタイプ、ほんと苦手)軽く相槌を打って会話を終わらせた。周囲の誰も会話をしていないこの状況で、黙っているのは気まずいが、年寄りの説教臭い話し方を聞くのは春山にとって耐えがたいストレスだった。待合室には、原井場のマシンガントーク、細貝の相槌、獅子谷のため息、尺蛇の落ち着かない視線が混ざり合い、奇妙な静けさが漂っていた。

 

 数秒後、静寂を破るように待合室の外から怒鳴り声が響いた。「だから何回言わせるんや!」

 突然の大声に、室内の全員が反射的に窓の方へ目を向ける。「ワシは客や言うとるやろ! 船に乗るために来とるんや!」

 ガラス越しに見ると、待合室からやや離れた駐車場でグレーのスーツ姿の男……真門が警備員に詰め寄っている姿が見えた。警備員は何度も頭を下げながら何かを説明しているが、男の勢いは収まる気配がない。

 「……元気な人ですね」春山が苦笑混じりにつぶやくと、白石は静かにその様子を見つめていた。「元気というより、焦っているように見えるな」春山はスマホを持つ手を止め、横目で白石を見た。白石は帽子のつばを軽く押さえながら続ける。「怒鳴る人間は、たいてい自分の都合がうまくいかなくて焦っている」春山は「へぇ〜」と相槌を打ったが、内心では(説教ジジイの次は分析おじさんまで出てきた……)とげんなりしていた。しかし白石の声は静かで、榊原のような説教臭さはない。「……すぐには収まりそうにないな」白石は立ち上がると待合室を出て駐車場に向かった。他の招待客は思わずガラスの方に近寄り、どうなるかと外の様子を眺めていた。ガラス越しには、真門が警備員に詰め寄る姿がはっきりと見える。

 

 白石が近づいていくと、真門は怒鳴りながら振り返った。「なんや! 見せもんちゃうぞ!」

 白石は立ち止まり、静かな声で言った。「アンタも招待客か?」真門は一瞬だけ言葉に詰まり、しかしすぐに怒りの矛先を変えるように警備員へ向き直った「ほら見てみぃ! 他の客も来とるやろ! なんでワシだけアカンねん!」初老の警備員は何度も頭を下げながら、必死に説明を続けていた。「ですから、こちらの駐車場は、港の会社の関係者と、荷物の搬入車専用でして……一般のお客様は——」

 「一般客やない言うとるやろが!」真門は声を張り上げ、警備員の言葉を遮った。「ワシは招待されとるんや! 津伊世島に行くんやぞ! なんで停められへんねん!」警備員は困ったように両手を広げ、しかし説明をやめない。「招待のお客様でも……こちらには車での乗り入れはできない決まりでして。そもそも現在は高速船の営業は中止しております。もし駐車をご希望でしたら、あちらの第二駐車場に停めていただく必要が——」

「第二駐車場ってどこやねん! そんなもん聞いてへんわ!」白石は静かに一歩、真門へ近づいた。怒鳴り声の渦中にありながら、その足取りは驚くほど落ち着いていた。

「なあ、お兄さん。アンタ名前は?」低く、しかしよく通る声だった。

 真門は振り返り、怒りのまま白石を睨みつける。

「真門、真門吉金や。なんやアンタは」

「俺は白石弾正。アンタと同じ招待客だよ」白石は努めて冷静に話しかけたが、真門は興奮していた。

「それがなんやねん!」

 真門は怒鳴り返し、白石へ一歩詰め寄った。スーツの裾が揺れ、肩で息をしている。白石はその圧に動じることなく、静かに言葉を続けた。「アンタが悪いと言ってるんじゃない。ただ、ここで怒鳴っても状況は変わらないだろ」

 真門は「はぁ?」と眉をひそめる。「車を停められないのは、アンタのせいじゃない。規則でそうなっているだけだ。だから怒鳴る必要はない」真門は口を開きかけたが、白石の落ち着いた声に押されるように言葉を飲み込んだ。

 「第二駐車場までどれくらいだ?」白石が尋ねると、警備員は申し訳なさそうに言った。「本当に申し訳ないのですが……第二駐車場は、こちらの通りをまっすぐ進んでいただいて、信号を越えた先にございます。徒歩ですと5分ほどで……」

 「5分!? 遅れそうやのにそんなとこまで歩かせる気か! ワシは客やぞ!」白石が真門をなだめる。「真門さん落ち着け」白石は警備員の説明を確認するように真門に視線を向けて言った。「5分なら、まだ間に合う。船はすぐには出ない。集合時間が近づいて焦っているのは分かるが、ここで揉めている時間のほうが、よほど無駄だ」真門はしばらく白石を睨んでいたが、その目の奥の苛立ちは少しずつ弱まっていった。白石の声は不思議と、怒りの熱を吸い取るような静けさを持っていた。

 警備員も恐る恐る口を開く。

「……本当に申し訳ありません。第二駐車場なら、すぐに停められますので……」

 真門は深く息を吐いた。「……チッ。分かったわ。行ったらええんやろ」

 怒鳴り声ではなく、しぶしぶとした声だった。白石は軽く会釈した。

「急がなくていい。船の係には少し遅れると言っておく。行ってきてくれ」真門は舌打ちしながらも、車へ向かって歩き出した。その背中はまだ苛立ちを残していたが、先ほどのような爆発的な怒りは消えていた。港には、海風と波の音だけが戻ってきた。集合時間まで、あと5分。

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