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第25話

 木々の隙間から海が見え始めた。

「やっと着いたんか……」

 真門が額の汗を拭う。

 屋敷を出てから20分ほど。坂道を下りきると、見覚えのある船着き場が姿を現した。

 島へ来た時と変わらない。

 海に突き出した桟橋と、その周囲に広がる静かな水面。

 ただし、そこに新庄の船はなかった。

「……やっぱりないな」

 白石が桟橋へ向かう。

「何もせんわけにいかんやろ。どっかに別の船とかないんか?」

 真門は周囲を見回した。

「少なくとも、ここから見える範囲にはないわ」

 中藤が言った。

「分かっとるわ。いちいち言わんでええねん」

「じゃあ聞かないで」

「お前はホンマに……」

「喧嘩しに来たんじゃない。手分けして確認するぞ」

 真門は舌打ちしたが、それ以上は言わなかった。

 

 白石は桟橋を進み、中藤はその周辺を調べ始める。

 細貝はスマートフォンを取り出し、船着き場を何枚か撮影した。

「何もないとこ撮ってどうすんねん」

「何もなかったことも記録ですよ」

 細貝は淡々と答え、別の角度からもう一枚撮った。

 白石は桟橋の先まで進み、海を見渡す。

 島の周囲には穏やかな水面が広がっているだけだった。

 船影はない。

「船以外に何か使えそうなものはないの?」

「探してる」

 白石は桟橋から戻り、周囲へ視線を走らせる。

 しかし、目につくものはない。

 新庄が船で迎えに来るための場所。それ以上でもそれ以下でもなかった。

 細貝も一通り確認を終えたのか、スマートフォンを下ろした。

「少なくとも、すぐに島を出られるようなものはなさそうですね」

「クソが!」

 真門が近くの地面を蹴った。

「何しに来たんや! 20分も歩いて、結局何もありませんでしたってか!」

「船があるかもしれないと期待し続けるよりは有意義よ」

「ハァ……どうすんねん白石。はよ帰ろうや」

 白石は腕時計を見る。

「もう少しだけ確認する」

「まだやるんか?」

「せっかくここまで来たんだ。見落としがないようにする」

「僕もそれでいいと思います」

 細貝は再び周囲へ目を向けた。

「戻ってから『あそこを見ておけばよかった』ってなるのが一番無駄ですから」

「……好きにせえ、ワシは疲れた。座っとくからな」

 真門は桟橋の近くへ腰を下ろした。

 波が岸に当たる音だけが、静かな船着き場に響いていた。


 ——————————————————————


「何度言えば分かるんだ!」

 机を叩く音が部屋に響いた。

 正面に立つ息子が肩を震わせる。18歳にもなって、情けない。

 榊原は机の上に置かれた紙を指で叩いた。また同じことだった。

 何度説明しても理解しない。都合が悪くなると俯き、黙り込む。

 榊原には、その態度が何より腹立たしかった。

「顔を上げなさい」

 息子はゆっくりと顔を上げた。

 目の周りが赤い。また泣いていたのか。

 榊原はため息をついた。

「泣けば許してもらえると思っているなら大間違いだぞ」

 榊原は椅子から立ち上がった。

 息子がわずかに後ずさる。

 その動きが気に障った。

「何だ、その態度は。私はお前のためを思って言っているんだぞ」

 返事はない。

「世の中へ出れば、もっと理不尽なことはいくらでもある。嫌だからやめます、苦しいから逃げます。それで済むと思っているのか?」

 このままでは社会に出て通用しない。

 だから自分が直してやらなければならない。

 父親として当然の責任だった。

 榊原は息子の腕を掴み、元の位置へ戻そうとした。

 息子の顔が苦痛に歪むが、榊原は手を離さなかった。

 息子が抵抗するように腕を引いた。

 その態度に腹が立った。

 頬を叩く。

 乾いた音が響き、息子の身体がよろめいた。

 頬を押さえたまま、こちらを見る。

 その目が気に入らない。

 まるで自分が悪いことをしているかのような目だった。

 榊原には理解できなかった。

「誰のためにここまでしていると思っている!」

 自分は、この子が社会で生きていけるよう教えているだけだった。

 ところが息子は、再び顔を背けた。

「なぜ言う通りにできない!」

 また自分の弱さから目を逸らす。

 だから駄目なのだ。

 榊原はもう一度手を上げた。

 息子が反射的に頭を庇う。

 その姿を見ても、榊原は自分が間違っているとは思わなかった。

 むしろ、情けなさが増しただけだった。

 こんなことで、この先どうやって生きていくつもりなのか。

 もっと厳しく教えなければならない。

 榊原は、そう信じていた。

 その記憶は、10年経った今も榊原の中では変わっていなかった。

 

 ——————————————————————


「結局、何もなしかい!」

 真門の声が森の中に響いた。

「最初から船はない可能性の方が高かったわ」

 中藤が前を歩きながら答える。

「ほな行かんでもよかったやろ!」

「あなたが一番行きたがってたんじゃない」

「もういい。歩きながら喧嘩するな」

 真門は不満そうに舌打ちした。

 

 しばらくは、落ち葉を踏む音だけが続いた。

「……少し、聞いてもいいですか?」

 最後尾を歩いていた細貝が口を開く。

「なんや」

「昨日の録音のことです」

 真門が振り返った。

「僕たち12人全員が罪人だって言ってましたよね」

 白石の歩みがわずかに遅くなる。

「尺蛇さんと可憐さんには、実際に過去のことが書かれた紙が残されていた。内容が全部事実なのかは別として、犯人は2人について何かを知っていたことになります」

「それがどうしたんや」

「このまま同じことが続くなら、次に誰かが殺された時にも、その人の過去が書かれた紙が残される可能性が高い」

「縁起でもないこと言うなや」

「でも、考えておく必要はあるでしょう」

 細貝は真門を見た。

「真門さんは、何か心当たりありませんか?」

 真門の眉が動いた。

「あるわけないやろ」

 答えは早かった。

「本当に?」

「なんやその聞き方。ワシが何かやっとるって決めつけとんのか?」

「決めつけてません。ただ、心当たりがあるなら先に共有しておいた方が――」

「ない言うとるやろ」

 真門は前を向いた。

「生きとったら誰かて人に言えんことの1つや2つあるわ。そんなんと人殺しされるような罪は別やろ」

「……まあ、それはそうですね」

 細貝はそれ以上追及しなかった。

 数歩進んでから、今度は中藤を見る。

「中藤さんは? 何か心当たりあります?」

「ないわ」

 真門と同じ答えだった。

「即答ですね」

「真門さんの言うようなことがあったとして、それを本人が罪だと思っているかどうかは別よ」

「犯人が罪だと思えば十分です」

「だから厄介なのよ」

 中藤の声は淡々としていた。

「だからといって、自分の過去を全部ここで話すつもりはないわ」

 中藤は振り返らない。

「昨日会ったばかりの人たちに、わざわざ自分の不利益になる情報を渡す理由がないもの」

「犯人を探すためでも?」

「それが本当に犯人探しに役立つと分かれば考えるわ」

 細貝は小さく息を吐いた。

「やっぱり、そうなりますよね」

「当たり前やろ」

 真門が言った。

「お前かて自分だけ何も喋っとらんやないか」

「僕も聞かれたら答えますよ」

「ほな聞いたるわ。お前は何したんや?」

 細貝は一瞬黙った。

「……特に、思い当たることはないです」

「なんやそれ! ワシと同じやないか!」

「だから皆さんの気持ちは分かります」

「分かっとらんやろ!」

 細貝は少し間を置いてから、白石の背中を見る。

「白石さんは?」

 白石は答えなかった。

「何かありますか?」

「……ない」

 しばらくして返ってきたのは、それだけだった。

「元警察官なら、恨まれることも多そうですけど」

 白石の足が止まった。細貝も足を止める。

「細貝……今、それを話す必要があるのか?」

「必要になるかもしれないと思っただけです」

「なら、その時に話す」

「……分かりました」

 白石は再び歩き始めた。細貝もその後を追う。

 結局、誰も何も話そうとはしなかった。

 当然なのかもしれない。

 尺蛇と可憐は、死んだ後に過去を暴かれた。

 自分から過去をさらそうと思う者など、そうはいない。

「でも、犯人だけは知ってるんですよね」

 誰も返事をしなかった。

「僕たちが話したくないことを、犯人は知ってる」

 木々の間を風が抜け、枝葉がざわめいた。

「それって、かなり気持ち悪くないですか?」

「今さらやろ」

 真門が吐き捨てるように言った。

 白石は何も言わず、屋敷へ続く道を歩き続けた。

 

 しばらく歩くと、木々の間から灰色の石造りの屋敷が見えてきた。

「やっとか……」

 真門が大きく息を吐いた。

 玄関まで近づくと、白石が扉を開けた。

「戻ったぞ」

 返事はすぐにあった。

「どうでした?」

 リビングの方から春山が姿を見せる。

「駄目だ。船はなかった」

「そうですか……」

 後ろから原井場と獅子谷も出てきた。

「マジで何もなかったの?」

「ああ」

「だから言ったじゃん。行くだけ無駄だって」

「お前は何もしてへんやろが」

 真門が睨む。

「はいはい。お疲れ」

「腹立つなコイツ……」

 白石はリビングを見回した。

 春山。原井場。獅子谷。

 厨房からは霧坂夫妻の声が聞こえている。

 そこまで確認して、視線が止まる。

「榊原さんは?」

「あ……」

 春山が2階へ続く階段を見る。

「部屋です。少し休むって」

「1人でか?」

「止めたんですけど……」

 原井場が口を挟む。

「本人が大丈夫って言って聞かなかったんだよ」

「いつ行った?」

 白石の声が低くなる。

「白石さんたちが出て……20分くらいしてからだと思います」

 春山が答えた。

 白石は腕時計を見る。

「ずっと部屋に?」

「多分そうです。私たちはずっとここにいたので、見に行ってないですけど……」

 春山が困ったように答える。

「榊原さん、何かあったら叫ぶって言ってたし」

「声は?」

「俺らずっとここにいたけど、特に何も」

 白石はしばらく黙って2階を見上げた。

「……確認する」

「私も行くわ」

 中藤がすぐに続いた。

「真門と細貝は3階を見てきてくれ」

「3階?」

 真門が眉をひそめる。

「榊原さんが部屋にいない可能性もある。念のためだ」

「分かりました。真門さん、行きましょう」

「なんでワシがお前と……まあええわ」

 2人が階段へ向かう。

「留守番組はここにいてくれ。リビングから出るな」

「またかよ」

「今度こそだ。誰か1人でも勝手に動けば、どこにいたか分からなくなる」

「……分かったよ」

 白石は厨房へ顔を向けた。

「俊夫さん、恵さん」

「はい」

 2人が厨房から出てくる。

「悪いが、2人もリビングに来てくれ」

「ですが、まだ片づけが――」

「後でいい。俺たちが戻るまで、ここから出ないでくれ」

 俊夫と恵は顔を見合わせた。

「承知いたしました」

「全員、俺たちが戻るまでリビングにいてくれ。トイレに行くなら誰かに声を掛けて、できれば2人で動いてほしい」

「そこまでせなあかんのか?」

 階段へ向かいかけていた真門が振り返る。

「榊原さんが本当に1人で部屋にいるなら、何もないに越したことはない。でも、もし何か起きてたら……」

 白石はそこで言葉を止めた。

 春山の表情が曇る。

「……また、ですか?」

「まだ何も決まってない」

 白石の声には、いつもの確信がなかった。

「行くぞ」

 白石と中藤は2階に上がった。

 続いて真門と細貝の足音が3階へ遠ざかっていく。


 ——————————————————————


「真門さん、そこの脚立取ってください」

「これハシゴちゃうんか?」

「どっちでもいいですよ……もっと本質を見ましょうよ」

「…………」

 細貝と真門は3階を探していた。

 廊下と開いている物置を一通り確認し、残るは屋根裏だけだった。

 細貝は真門から脚立を受け取ると、その真下へ運んだ。

「そこまで見る必要あるんか?」

「念のためです」

「爺さんがわざわざ天井裏に登った言うんか?」

「思ってませんよ」

「ほな見んでええやろ」

「思ってないことと、確認しなくていいことは別です」

 細貝は脚立を開いた。

「お前、ホンマめんどくさい性格しとるな」

「よく言われます」

 気にした様子もなく、細貝は脚立へ足を掛けた。

「押さえててもらえます?」

「自分で何とかせえや」

「倒れて怪我したら、白石さんに説明するの真門さんですよ」

「……チッ」

 真門は渋々脚立を押さえた。

 細貝は上まで登ると、天井の板を持ち上げる。

 暗い空間が現れた。

「何か見えるか?」

「暗くてよく見えません」

 スマートフォンのライトを点け、中を照らす。

 人の姿はない。

「いませんね」

「そらそうやろ。爺さんが何しに天井裏登んねん」

「もし榊原さんが殺されていたら、犯人が遺体を屋根裏に隠している可能性もあると思っただけです」

「縁起悪いこと言うなや……」

 細貝は天井の板を閉じ、脚立を下りた。

「嫌ですね」

「あ?」

「こういう状況になると、何も起きてない方がおかしい気がしてくる」

 真門の表情が僅かに曇った。

「まあ、こんぐらいでええやろ。早よ戻るで」

 真門が階段へ向かった。その時だった。

「榊原さん!」

 強いノック音と共に下の階から声が響いた。

 2人の足が止まる。

「……白石か?」

 真門が振り返った。

 もう一度、声がする。

「榊原さん! 聞こえてるなら返事をしてくれ!」

 先ほどまでの面倒そうな表情が、真門の顔から消えた。

 細貝はスマートフォンをポケットへしまう。

「行きましょう」

「言われんでも分かっとる」

 2人は急いで階段を下りた。

 

 2階へ着くと、201号室の前に白石と中藤が立っていた。

「どうでした?」

 細貝が尋ねた。

「返事がない」

 白石は扉から目を離さなかった。

「3階は?」

「いません。開いている部屋と屋根裏まで確認しました。そっちは?」

 細貝が扉を見る。

「鍵が掛かってるわ」

 中藤が答えた。

 細貝の視線がドアノブへ移る。

「中から?」

「まだ分からない」

 白石が言う。

「ただ、ノックしても返事がない」

「寝とるだけちゃうんか?」

 真門が言った。

「こんなに呼んでいるのにか?」

 白石の問いかけに真門は口を閉ざした。

「……合鍵、使います?」

 白石はすぐには答えなかった。

「とりあえず、1階に戻るぞ」

 4人は1階へ向かった。

 階段を下りながら、細貝は一度だけ201号室を振り返った。

 閉じた扉。

 返事のない部屋。

 嫌な既視感だけが、頭から離れなかった。

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