第26話
白石たちがリビングへ戻ると、春山がすぐに立ち上がった。
「榊原さん、いました?」
「201号室にいると思う」
「思う?」
原井場が眉をひそめた。
「扉に鍵が掛かってる。何度呼んでも返事がない」
その言葉だけで、室内の空気が変わった。
「……まだ何も決まってない」
原井場が口を開く前に、白石は先回りして言った。
「3階と屋根裏も見たが、榊原さんはいなかった。本人が部屋に戻ると言っていたなら、201号室にいる可能性が一番高い」
「せやけど返事せえへんのやろ?」
真門が続ける。
「寝とるだけちゃうんか」
「この状況で?」
中藤が冷たく返した。
「本人は少し休むと言っていたんでしょう。眠っている可能性がないとは言わないけれど、あれだけ扉を叩いても返事がないのは不自然よ」
「ちょっと待ってよ」
獅子谷が不安そうに白石を見る。
「鍵掛かってるんだよね? それって尺蛇さんの時と同じじゃん」
誰も答えなかった。
原井場が落ち着かない様子で足を組み直す。
「だから1人になるなって言ったのに……」
「本人が大丈夫って言ったんでしょう」
「別に誰の責任とか言ってねえよ」
「今はやめろ」
白石の低い声に、2人は口を閉ざした。
「とにかく中を確認する」
「扉、また壊すんか?」
真門が尋ねる。
白石は少し考えた。
「そうしよう。榊原さんなら扉の前に椅子でも置いてるかもしれないからな」
「僕もその方がいいと思います」
細貝はすぐに同意した。
「また扉壊すの?」
獅子谷が呆れたように言った。
「ほかに方法があるなら聞く」
白石が返すと、獅子谷は口をつぐんだ。
「でも……」
春山が不安そうに階段へ目を向ける。
「本当に寝てるだけだったら、榊原さんめっちゃ怒りそうですね」
「怒らせて済むなら、その方がいい」
「全員で行く必要ある?」
原井場がソファから立ち上がろうともせずに尋ねた。
「ここで待ってちゃダメ?」
「1人で残りたいなら止めないわ」
中藤が冷たく言った。
「いや、そういう意味じゃねえよ」
原井場はすぐに立ち上がった。
「俊夫さん。合鍵の袋は?」
「食堂の棚に置いたままでございます。今朝、尺蛇様のお部屋を確認した際から触れておりません」
「なら、そのままにしておいてくれ」
「承知いたしました」
俊夫が頭を下げる。
「行こう」
白石が歩き出した。
全員がリビングを出て階段へ向かう。
先頭を歩く白石の後ろに細貝と中藤、その後ろを真門たちが続いた。
2階へ上がるにつれて、誰も口を開かなくなった。
革靴やスリッパが床を踏む音だけが廊下に響く。
201号室の前まで来ると、白石は立ち止まった。
先ほどと変わらず、扉は閉ざされたままだ。
「榊原さん」
白石が呼び掛ける。
「全員来た。今から扉を壊すぞ」
返事はなかった。
「……寝とるだけやったら、さすがに起きるわな」
「僕たちが最初に声を掛けてから、もう数分経っています。眠っているだけとは考えにくいです」
「そんな冷静に言わないでくださいよ……」
春山が両腕を抱く。
原井場は201号室から少し離れたところに立ったまま、落ち着きなく周囲を見回していた。
「なあ、本当にやるの?」
「ここまで来て何言ってるんだ」
白石が答える。
「いや、やるなとは言ってねえよ。ただ……」
原井場は扉へ視線を戻す。
「また開けたら死体があるとか、そういうのやめてくれよ」
「私たちに言われても困るんだけど」
獅子谷が顔をしかめる。
「分かってるよ!」
「静かにして」
白石は扉の前に立つと、肩を軽く回した。
「真門」
「……またワシかいな」
「嫌なら俺だけでやる」
「誰が嫌言うた」
真門は舌打ちしながら白石の隣へ並んだ。
「爺さん、起きとったら修理代自分で払えよ」
冗談を言いながらも、真門の表情は硬かった。
「他は下がってろ」
白石が告げると、一同が廊下の壁際まで離れる。
「榊原さん! 最後だ! 返事がないなら入るぞ!」
白石が声を張った。
沈黙。
白石は真門を見る。
「行くぞ」
「おう」
2人が同時に扉へ肩をぶつけた。
尺蛇の時と同じようにすぐには開かなかったが、何度か繰り返すうちに、ばきり、と乾いた音が響いた。
錠の周辺の木材が裂け、扉が内側へ勢いよく開く。
そのまま白石と真門が室内へ踏み込んだ。
「榊原さん!」
白石が叫ぶ。
返事はない。
「……あ?」
真門の声が漏れた。
部屋の中に榊原の姿はなかった。
ベッドは空いている。机の前にもいない。床にも倒れていない。
「おらんぞ」
「え?」
細貝が扉の外から室内を覗き込む。
「いないんですか?」
「いない」
白石は警戒しながら室内を見回した。
尺蛇の時のような血の匂いもしない。床に血痕もない。室内が荒らされた様子もなかった。
「ちょっと待てや」
真門が壊れた扉を振り返る。
「ほな、何で鍵掛かっとったんや?」
「自分で掛けて出ていったんじゃない?」
獅子谷が廊下から言った。
「どうやって? 合鍵は俊夫さんが管理してるんですよ?」
細貝が聞き返す。
「ああ、そうか」
獅子谷は納得したように頷く。
「とりあえず、部屋の中を確認しましょう。荷物も含めて」
細貝はそう言うと室内へ入り、ユニットバスを確認した。
「いませんね」
「榊原さん!」
もう一度大きな声で呼ぶが当然、返事はない。
「ほんまにどこ行ったんや、あの爺さん」
真門が室内へ入りながら呟いた。
「1人で勝手に動くな言うたんは自分やろ」
細貝が机の周囲を確認していた、その時だった。
風が吹き、白いカーテンがゆっくりと膨らんだ。
「……窓、開いてる?」
春山が気づいた。
全員の視線が部屋の奥へ向いた。
窓が半分ほど開いている。
外から入り込んだ風が、カーテンを静かに揺らしていた。
「榊原さんが開けたんじゃない?」
獅子谷が言う。
「空気の入れ替えしたかったとか」
「そんなことはどうでもいい」
白石は窓へ近づき、窓枠のそばで立ち止まった。
窓の向こうには、屋敷を囲む木々が見えた。
2階とはいえ、それなりに高さがある。
白石は窓枠へ触れないよう身体を傾け、下を覗き込んだ。
「…………」
動きが止まった。
「白石さん?」
細貝が声を掛けたが返事がない。
「何や?」
真門が近づこうとする。
「来るな」
白石の声が低くなった。
その一言だけで、廊下にいた者たちの表情が変わる。
「白石さん」
細貝がもう一度呼ぶ。
白石はゆっくりと窓から離れた。
顔色が、先ほどまでとは明らかに違っていた。
「下にいる」
「下? 榊原さんが?」
細貝の問いに、白石は頷いた。
「窓の真下に倒れてる」
「……は? 倒れてるって、何だよ」
原井場が聞き返す。
「そのままの意味だ」
「いや、だから……」
原井場の声が上ずる。
「落ちたってこと?」
「まだ分からない」
白石は扉へ向かった。
「白石さん?」
春山が呼び掛けるが、白石は答えなかった。
そのまま壊れた扉を跨ぎ、廊下へ出る。
「ちょ、どこ行くんだよ」
原井場の声にも反応しない。
足早に階段へ向かう。
「……下や」
真門が呟いた。
「榊原のとこ行く気や」
白石の姿が階段の向こうへ消える。
「待てや、白石!」
真門が慌てて後を追った。
白石は階段を駆け下りていた。
頭の中には、先ほど見た光景だけが焼き付いていた。
灰色の服。地面に横たわる人影。
顔までは確認できていない。
まだ榊原だと決まったわけじゃない。
そう考えようとしても、身体はすでに答えを知っているように動いていた。
階段を下りきり、そのまま玄関へ向かう。
「白石!」
後ろから真門の声が聞こえたが、白石は振り返らなかった。
玄関の扉を開けると、外の空気が一気に流れ込んできた。
「待て言うとるやろ!」
真門も遅れて外へ出る。
白石は答えないまま壁沿いを進み、建物の角を曲がる。
そこで足が止まった。
先ほど2階から見えた人影が、はっきりと見えた。
地面に男が倒れている。
グレーのジャケットに青いドレスシャツ。
白石は何も言わなかった。
後ろから追いついた真門も、人影を見るなり立ち止まった。
「……爺さん」
先ほどまでの大声が嘘のような、小さな声だった。
白石は再び歩き出した。
「お、おい」
足元へ視線を落としながら、榊原へ近づいていく。
近づくほど、倒れている男が榊原であることを否定できなくなっていった。
身体は不自然な姿勢で横たわっていた。
片腕が身体の下へ入り込み、もう片方の腕は投げ出されている。
頭のそばには赤黒い血が広がっていた。
「…………」
白石は榊原の傍らまで来ると、ゆっくり膝をつき、榊原の首筋へ指を当てた。
真門は少し離れた場所から動かなかった。
「……どうや?」
真門が恐る恐る尋ねるが、白石は答えない。
白石は目を伏せていた。
「白石」
真門がもう一度呼ぶ。
白石はようやく榊原の首筋から指を離した。
「……死んでる」
短く告げると真門の顔が強張った。
「ホンマか?」
「ああ」
「せやけど……」
真門は榊原へ目を向ける。
「さっきまで普通に喋っとったやろ」
白石は何も答えなかった。
真門もそれ以上言えず、口を閉ざす。
しばらく、風に揺れる木々の音だけが続いた。
白石は立ち上がると、榊原の遺体には触れず、衣服や血痕、周囲の地面へ視線を巡らせた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
2階の201号室。
開いた窓から、白いカーテンが風に揺れていた。
真門も白石の視線を追う。
「……あそこから落ちたんか」
白石は答えなかった。
窓を見上げたまま、眉間に深く皺を寄せる。
鍵の掛かっていた201号室。開いた窓。その真下に倒れている榊原。
自分で落ちたのか。誰かに落とされたのか。まだ何も分からない。
分かっているのは、3人目の死者が出たということだけだった。




