広がる汚染
アナトの作業は三十分ほどで終わった。黒い煙がどんどん上がり、もうダメではないかと思われたが、手の平に収まる程度の薄い金属板をアナトが取り出すと、全員の息が漏れた。
同時に、天気予報は小さな爆発を起こす。消火するほどの炎ではなく、すぐに煙すら出なくなり、天気予報は完全に失われてしまうのだった。
「ありがとうございます」
ザクスはソアラのメモリを両手で握りながら、自らの胸に当てた。
「これから、私は中央で罪を償うことになるのでしょう。村にも帰れないと思います。だけど、彼女が傍にいてくれると思えば……生きていけます」
決して、コミュニケーションを取ることはできないだろうが、それでも、彼にとって、彼女が生きて傍にいるということが、何よりも大切なのだろう。
「瑠璃、もう大丈夫みたいだよ」
地上の様子を見に行っていた、翡翠が戻ってくる。
「ありがとう。じゃあ……帰りましょうか」
五人は地上へ出た。空はまだ厚い雲に覆われているが、雪は降っていない。ザクスとソアラが同時に雪を目にしたら、祈りが成就される恐れがあるため、止むまで待っていたのだ。翡翠に引きずられながら、ザクスは呟く。
「ソアラに……雪を見せてあげられなかったのですね」
瑠璃は前を見ながら、決してザクスに視線を落とすことなく言った。
「貴方にとっては大事な思い出かもしれないけれど、他人を巻き込んで叶える願いではないわ。自分の想いさえ叶えれば他人はどうなってもいい。そう言っているようなものでしょう」
「はい、その通りです。……実際、私はソアラの願いを叶えられるなら、コーラルが滅んでも良いと思っていましたから」
「だから、正しくない祈りなのよ」
「分かっています。けど、邪教に身を落としても……それでも願いを叶えたかったのです」
瑠璃は考える。世界を犠牲にしてまで、叶える願いがあるのだろうか、と。
「願いはかなえられなかったけど、本当に大切なものは守れた。そうなんでしょ?」
その言葉に、満足そうに頷くザクス。想い出は、確かに尊いものに感じるだろう。だが、重要なのは誰と一緒にいられるか、ではないか。愛する二人が寄り添えば、新しい想い出も増えていくのだから。そう思うと、彼に握り締められたソアラのメモリも、幸福を感じているように見えるのだった。
ザクスを中央に引き渡し、数日もしないうちに、コーラルの空はいつものような清々しい青色を取り戻していた。
「雪は綺麗だったけど……やっぱり、暖かい方がいいわ」
トラックを運転しながら、瑠璃は溜め息を吐くと、隣で翡翠が同意した。
「私もそうだなぁー。もう氷漬けは勘弁してほしいよ」
雪は瑠璃たちが戦っていた場所の周辺で、ほんの少しの間だけ降ったらしく、コーラルに住む多くの人は、それを目にすることはなかったそうだ。
そのため、作物に与えた影響は最低限に食い止められたわけだが、忘れてはならないのは、正しくない祈りによる大地の汚染である。瑠璃たちは汚染の状況を確認のため、トラックを走らせている。
「……おかしい」
瑠璃は大地の調子を確かめて呟く。
「どうしたんだ?」
別の場所を確認していたアナトが、瑠璃の困惑に気付いて声をかけてきた。瑠璃はもう一度大地を踏み付けてから答える。
「汚染されている。パールヴァの工房周辺も、アパラも汚染はなかったのに……」
最後の調査場所であったウッタラだけは、汚染が見られたのだ。
「やはり、雪が降ってしまったからなのか?」
アナトの言う通り、部分的に祈りが成就してしまった場合、軽度な汚染が広がることはある。しかし、これはそのレベルではない。
「分からないけど……この調子だと、汚染は広がってしまうかもしれない。ウッタラの人たちは、移動した方がいいかもね」
村一つを飲み込むほどの汚染は、住まいを失うことと同じだ。慣れた土地から右も左も分からない場所で一からやり直す。その苦しさが、どれだけのものか。
そもそも、コーラルの居住可能な地域は限られている。受け入れ先を見つけることも難しいだろう。そんなことを考えつつ、大地を踏むたびに、コーラルの悲痛な叫びが聞こえる気がして、瑠璃は思わず目を伏せるのだった。
「瑠璃」
翡翠の声に顔を上げる。
「私たちはやれることをやった。自分を責めても仕方ないよ」
「分かっている。村の代表にこの事実を伝えないと」
移動の途中、アナトは再び瑠璃に尋ねる。
「今回は……どうすればよかったんだ?」
「翡翠の言う通りよ。やれることはやった。そもそも……祈りと汚染の関係は完全に解明されているわけじゃないから。私たちがどれだけやっても、思わぬ事態で汚染が広がることもあるわ」
瑠璃は一人考える。これだけ汚染が広がった原因は何か、と。ザクスの祈りは、ソアラと一緒に雪を見ること。確かに雪は降ったけど、二人が並んでその様子を見ることはなかった。
ならば、なぜ……。
知らないうちに祈りが成就されていた?
それはあり得ない。
いや、自分が把握していない、ザクスの祈りがあったとしたら……?
「瑠璃さま!」
瑠璃の思考が何かを掴もうとした瞬間、聞きなれぬ声に呼び止められた。振り返ると、今回の事件について詳しい情報をもたらしてくれた、ミシマという男だった。
「ザクスは……中央に?」
「ええ。でも、罪は認めているし、積極的に償いに取り組むそうだから、早めに解放されるかもしれない」
「……そうですか。どっちにしても、村には戻れないのでしょうね」
村を守ってくれたヒーローが罪人になってしまい、ショックを受けるミシマだったが、それ以上、瑠璃は何も言えなかった。村に戻るも何も……村そのものがなくなってしまうなんて。だが、ミシマの話はこれで終わりではなかった。
「ミラージュには会えましたか?? やはり、彼女も戻らなかったのです」
「……彼女は戻れそうにないわ」
肩を落として去って行くミシマの背中を眺めながら、瑠璃は思い出す。ウィルスに侵されながら、必死にザクスを守ろうとしたミラージュの姿を。
崖から落ちたとき、彼女は何を思っただろう。愛する人のためなら、どのような姿になっても構わない。そんな感じだろうか。
瑠璃は北の方角を眺めながら、ミラージュの願いに想いを馳せるのだった。




