些細な願いを
「あ、あ、あ……い、して、る」
その言葉に、フリーズするザクスだったが、腕の中のミラージュが、突如激しく震え出した。
「ミラージュ!」
異常だった。まるで、彼女の中で何かが暴れ回っているように奇妙な動きを繰り返したと思ったら、今度はザクスを拒絶するように突き飛ばす。
「どこへ行くんだ!? そっちは危険だ」
不安定な足取りで、ミラージュは崖の方へ歩き出す。
「ざ、ざ、ざく、す」
自らの名を呼んでいる。そう気付いたザクスは、彼女の肩を掴もうとした。それなのに、ミラージュはザクスを拒絶すると、苦しむように歪な動きを繰り返しながら、崖に向かって歩みを続ける。
「もしかして、ウィルスなのか?? ミラージュ!!」
ザクスは彼女の身に何が起こっているのか気付いたが、既に遅かった。彼女は何の躊躇いもなく、崖にその身を投げ出してしまう。
「ミラージュ!!」
手を伸ばすザクス。それは、彼がいつの日か大切なものを失わないため、必死に手を伸ばしたときと同じ気持ちだったかもしれない。ただ、そんなことなど知る由もなく、瑠璃はザクスと一緒にミラージュの落下を見届けるのだった。
「……助けに行かないの?」
瑠璃は崖の前で膝を付くザクスに問いかける。アンドロイドであれば、この高さから落ちても致命的なダメージを負うことなく、仲間を助けられる可能性は高いはずだ。しかし、ザクスはゆっくりと立ち上がり、瑠璃の方に振り返って言うのだった。
「私には、やることがあります。彼女と雪を見るまで、祈りを成就させるまで……退くわけにはいかない!」
「……あっそう!!」
瑠璃は魔力光線を放つが、やはりザクスは回避してみせる。反撃の魔力光線を躱しつつ、またも近接戦闘を仕掛けようとするザクスを待ち受けた。
「退いてくれ!!」
回し蹴りを放ちながら、ザクスは叫ぶ。
「私はもう帰るところもない! 願いを叶える以外に、何もないんだ!!」
「誰だって、帰る場所を守るために、自分の願いは心の奥底に秘めているものよ。願いのために、人と大地を傷つけた貴方は……報いを受けなければならない!」
瑠璃は攻撃を躱しながら、一瞬の隙を突いて、手の平をザクスの腹部に叩き付ける。魔力を込めた一撃は、彼のボディを後方へ突き飛ばした。そして、右手のグローブに青い光を集中させるが、そんな瑠璃を見て、ザクスが回避の姿勢を取った。
「ゴーラカム!!」
しかし、彼女が放った攻撃は、直線的な魔力光線ではない。手の平から青い球体を勢いよく放ったと思うと、瑠璃からそう離れていない位置で固定された。
「シャルヴァ!」
そして、改めて放たれた魔力光線が、青い球体に突き刺さる。
「プラキールナナム!」
そして、瑠璃の声に反応したかのように、青い球体が広範囲に爆散し、細かい粒となってザクスを飲み込もうとした。
「その程度で!」
ザクスは粉々になって押し寄せる球体から免れるため、高々と跳躍するが、それこそが瑠璃の狙いである。
「かかった! シャルヴァ!!」
「しまった……!!」
曇り空に向かって、青い閃光が走る。それは確かにザクスを貫き、彼の体を二つに引き裂いた。
ぐしゃり、と音を立てて、彼が地面に落下する。
絶命しただろうか、とザクスを凝視する瑠璃だったが……ザッと彼の頭が持ち上がった。
「も、もう少しなんだ……。もう少しで、雪が降る。彼女と一緒に、雪を!!」
両腕を使って、少しでも前へ進もうとするザクスの目は、とてもアンドロイドとは思えないほど、異様な執念が宿っていた。
「一目でいい! 一分……いや、十秒でいいんだ!! 愛すべき人と一緒にいたい。ただ一緒に降る雪を見るだけ。そんな些細な願いすら、ノモスは叶えてくれないのか!? だとしたら、なぜ祈りを捧げる対象として存在している! 何のために私は……!!」
とても正気とは思えないザクスの姿に、瑠璃が、止めの一撃を躊躇っていると、その視界に違和感を覚える。何か細かい粒子のようなものが、ふわりと舞ったような……。
「……雪だ」
ザクスが漏らした呟きに、瑠璃は空を見上げる。
「……これが、雪?」
伝説の気象現象。その名に違わぬ美しい風景が、空に広がっていた。白い結晶がゆっくりと舞い落ちる。瑠璃は思わず手を伸ばし、それを掴もうとしたが……手の中には何もなかった。
「やった……叶えてくれたんだ! パールヴァ様が! マーユリー様が!!」
ザクスは地を這い、魔女の工房があった瓦礫の山へ向かう。
「ソアラ、行こう。あの時みたいに、一緒に雪を見るんだ! 私たちの奇跡を、もう一度!!」
歓喜と共に背骨を引きずりながら進むザクスだったが、彼は何かを見た。いや、何かを見失い、その表情から笑顔も消える。
「ソアラが……いない?」
何が起こったのか、と瑠璃は彼の視線を追う。すると、氷塊の上に彼が置いた、銀色の球体がなくなっていた。
瑠璃の中で、あの球体とソアラという名が結びついた瞬間、遠方で激しい発光があり、思わず手の平で目元を覆うと、激しい揺れを感じた。
その衝撃に師の危機が頭に過り、瑠璃は呟く。
「……翡翠、負けるわけないわよね?」




