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もう一つの事件

「瑠璃さまー!」



 スフィアは三十代の男で、いつものように白いローブを着込んでいる。これは彼が熱心なニルヴァナ教徒である証拠なのだが、彼は瑠璃の姿を認めると、目を大きくした。



「おやおや。珍しい格好ですね。これはまた麗しいお姿だ」



 パチパチと瞬きするスフィアに、アナトも「確かに似合っている」と同意している。



「そんなことより、どうしたの?」



 見られていることが恥ずかしく、瑠璃は瞬時にスフィアの要件を聞くことにした。



「貴方がやってくるってことは、コーラルの魔女が必要な事件があったんでしょ?」


「そうでしたそうでした! 実はですね、アパラが大変なことになっているのですよ。私も命からがら逃げ出してきて……!!」


「アパラが? 一体何があったの??」



 アパラ村はクシェトラとウッタラの間に位置する、邪教徒の活動も目立たない平和な村だ。それが命をかけて脱出しないとならないほどの危機に陥っているとは。


 考えにくい、と頭をひねる瑠璃の後ろでは、翡翠がダウンジャケットを着こんで「ねぇ、私も似合うよね??」とアナトに確認する、緊張感のないやり取りが行われていたが、スフィアはそんなもの見えていないと言った深刻な顔で説明する。



「それがですね、数日前から若い者たちが中心になって、妙な主張を繰り返すようになって……。最初は若者だけで流行っている合言葉のようなものだろうか、と問題視するものもいなかったのですが、急に若者たちが武装を始め、村人たち捕らえて一か所に集めては、順に処刑すると言い出したのです」


「しょ、処刑??」


「はい。私が逃げ出した時点では、今日の昼に処刑が開始される、とのことでしたので、その前に何とか瑠璃さまにお伝えしなければ、と一か八かで逃げ出してきたのです」



 スフィアは追いかけてくる若者たちの姿を思い出したのか、それとも単純にこの寒さのせいなのか、ぶるぶると震え出した。



「で、若者たちの主張というのは何なの??」


「それが……よく分からなくて。とにかく、彼らが口にしているのは、コーラルを人間の支配から解放すべし、ということです」


「うーん……。正しくない教えの臭いがプンプンする」



 偏った思想はもちろん、そんなスローガンらしいものまで掲げているのであれば、何者かが歪んだ考えを広めたのかもしれない。正しくない教えは、やがて正しくない祈りを生み、最終的にはコーラルの汚染を招く。コーラルの魔女と呼ばれる瑠璃にしてみると、何としても早めに解消したい自体と言えた。



「確かに気になるけれど、私はちょっと立て込んでいて対応できそうにないわ。昨日から異常に寒いでしょ? もしかしたら、汚染犯が関わっているかもしれなくて」


「そ、そんなぁ」



 この世に救いはないのか、と肩を落とすスフィアだが、彼も分かっている。この寒さがより強まれば、コーラルの畑が全滅する恐れもあり、下手すれば人類滅亡につながってしまう。アパラの若者が暴走しているとは言え、放っておける異常ではないのだ、と。



「そうだ、翡翠!」



 そこで、瑠璃は頼りになる相棒の方に振り返る。



「貴方がアパラに行って、ちょちょいと解決してきてよ」


「えー? 全員ぶっ殺していいの?」



 しかし、翡翠は面倒だと言わんばかりに物騒な解決方法を提示してきた。



「ダメに決まっているでしょう。平和的にアパラの人たちを収めてきて。ね、スフィアもそれでいいでしょう?」



 翡翠は乗り気ではなさそうだが、彼女ならば若者たちの暴走くらい簡単に止められるはず。瑠璃としても、この上ない提案だと思っていたのだが、スフィアの表情も翡翠に負けず、どこか不満そうである。



「ええ、まぁ……瑠璃さまがそう言うのであれば」


「そ、そう?」



 何が不満なのか分からないが、こっちも余裕はない。翡翠に何とかしてもらうしかないだろう。



「ねぇ、翡翠。頼んだわよ!」


「えー、いいけどさぁ。瑠璃と一緒じゃないのかぁ」



 翡翠も翡翠で子どもみたいなところがある。一人で仕事を受けたがらないのだ。どうにか乗り気にさせられないか、と思案していると、翡翠が明るい表情を見せた。



「そうだ、アナトくんが手伝ってよ!」


「僕が?」


「そうそう。二人なら楽しいだろうし、私もやる気が出ちゃうなぁー! お願いだよー」



 二人のやり取りを眺めながら瑠璃は思った。たぶん、アナトは断るだろう。あいつは変に真面目なところがあるから、最初の用事を優先するはず。それに、暴力も苦手だから、この手の事件は関わろうとしないはずだ。しかし……。



「分かった。翡翠の役に立てるなら、僕も手伝うよ」


「ほんとー!?」



 呆気なく、彼は了承してしまった。……分からない。出会ったときから、アナトはよく分からない男だったが、共に大きな事件に巻き込まれたことで、少しはその性質を理解したつもりだった。それなのに……やっぱり、分からないやつだ!



「はいはい! そうと決まったら行きましょう、スフィアさん! この翡翠さんに任せれば、大船に乗ってなんちゃらってやつよ!」


「はぁ……」


「じゃあ、アパラへ出発!」



 そして、翡翠を先頭にして三人は立ち去ってしまった。あっという間に瑠璃は一人である。


 遠ざかるアナトの後ろ姿を見て、なぜかむしゃくしゃしながら、彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らして踵を返すのだった。

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