プロローグ② 一言あっても
「まぁ、足手まといになるかもしれませんが……」
藍田は本当に何もなかったかのように、改めてアナトの同行を勧める。
「それも貴方にとっても彼にとっても、いい経験になるはずです。特にアナトくんはもっとコーラルを知るべきでしょう?」
言いたいことは分かる。アナトは異常にモノを知らないため、こういった経験を通して、世間を理解すべきかもしれない。しかし、ここで「じゃあ、連れて行く」と言ったら、藍田にどう思われるか……。
「何を言われても、私は一人で行くから。何かあったらサポートよろしく」
結局、藍田の意見を突っぱねて、瑠璃は分析室から出て行ってしまった。
一人になった藍田は、モニターを眺めながら、口を滑らせてしまったことを反省する。
「ごめんなさい、アナトくん。悪気はなかったんです。でも……」
アナトが瑠璃に対し、恋心を抱いている。それはどこで聞いた話だっただろうか。そうだ、確かゾルから聞いたものだ。ゾルはアナトの気持ちについて、どのように話していただろう。
「好きと言うよりは、いいやつ……だったかな。恋心については、私がゾルにアドバイスしただけだったかも」
思い出そうとするが、記憶が曖昧だ。
「でも、いいか。若いし、何か誤解があっても、自分たちで何とかするでしょう」
無責任なことに藍田は考えることをやめてしまうのだった。
調査に出る準備のため、自分のテントに戻る瑠璃。時刻は朝食の時間が迫っているが、隣のテントからアナトが出てくる様子はない。
「……これだけ寒いのに、よく眠るわね」
装備を整える最中も、少しだけ隣のテントに意識を傾けてしまうが、一向に起きてくる気配がない。どれだけ寝るのだ、とイライラしながら瑠璃はテントを出た。
「別に……待ってたわけじゃないし」
一人呟いてから、テントから離れる瑠璃だが、頭の中には数々の雑念が流れて行く。
(朝食の時間なのに、まだ起きないわけ? 生徒たちはもう準備を始めるころなのに)
常識がない、とは思っていたが、ここまで協調性がないとは思わなかった。
(……起こしてやった方がいいんじゃない? 村に受け入れた人間の責任として、ルールを守るように注意するべきよね。うん、そうだ。その通りよ、瑠璃)
くるり、と踵を返して、またテントの方へ戻る。
(……一緒に調査するつもりはないからね。ただ、起こすだけ。それで、あっちから一緒に行きたいって言うなら、考えてあげてもいい)
きっと、テントの中を覗く瑠璃に彼は言うだろう。
――どこへ行くんだ、一条。
そしたら、事情を説明してやってもいい。事情を説明したら、あいつはきっとこう言う。
――僕も手伝うよ。一人で調査するのも大変だろう。
二度か三度か断って……いや、一度か二度断って、どうしても手伝いたいと言うのなら。
(うん、あくまで、向こうが手伝いって言うならね)
瑠璃は強く頷いてから、アナトのテントの前に立った。
「アナトくん、起きなさい。もう朝食の時間よ。準備の手伝いしないと」
数秒返事を待つが、まったくと言っていいほど反応がない。ただ立ち尽くしていると、冷たい風に撫でられる。
(まさか……凍死してる??)
この程度の寒さでそれはあり得ないが、そんな疑いを持つほど、アナトのテントは静かなものだった。
「アナトくん、開けるわよ??」
死なれていては、後味が悪いではないか。ざっとテントを開けてみるが……。
「……あれ??」
そこには、アナトの姿などなかった。先生の家に行っている間にスクールへ向かったのだろうか。
「なんだ……」
心配してやって損した、と瑠璃は食堂の方へ向かう。給食担当の三枝か屋島に、サンドウィッチを作ってもらって、食べながらウッタラに向かおうと、考えたのだ。
(そこで、あいつと顔を合わせたら……)
彼は何を言うだろう。たぶん、先程と頭の中で想像した会話と、大きくは逸れていないはず。
(うん、大丈夫だ。……いや、何が大丈夫なの?)
邪念を振り払い、食事処に顔を出すと、子どもたちの挨拶を浴びて、自然と笑顔がこぼれた。
「佐枝さーん」
近くにいた佐枝に声をかけると、食事を準備する彼女がわざわざ手を止めて、こちらに寄ってくれた。
「忙しいのにごめん。悪いんだけど、私の分の朝食、パンに挟んでもらえないかな? これから仕事なんだ」
「はいはい。ちょっと待ってね」
よくある注文だ、と佐枝は奥へ戻って瑠璃の朝食を拵えてくれる。その間、アナトの姿を探すが……。
「あ、瑠璃。異常気象の件、どうだった??」
さっき別れたばかりのゾルに声をかけられる。
「今から調査よ。すぐに片付けてくるから、ゾルは勉強頑張ってね」
頭を撫でてやると、意欲が出てきたのか、ゾルは強く頷いて見せたが、瑠璃は彼のモチベーションを下げる一言を発してしまう。
「ねぇ、ゾル。アナトくん見なかった??」
さっきまで、コーラルの明るい未来を象徴するようだった、ゾルの笑顔が砕かれる。一瞬固まった後、ゾルは項垂れながらも親切に答えるのだった。
「あいつなら……ここ数日は早朝から出かけているよ」
「はぁ??」
そう言えば……最近の瑠璃は朝が遅かった。てっきり、アナトは早めに食べ終えているから、顔を合わせる機会がなかったとばかり思っていたのだが、出かけているとは初耳だ。
「出かけているって……どこに??」
「アキーバだよ」
「えええ??」
アキーバは、ここから歩いて二時間もかかる街だ。昨日も一昨日も、夜はアナトの姿を見かけているから、いつも徒歩で往復していることになる。そこまでして、彼は何をしているのだろうか。
「普通、私に何か一言あるものでしょ!」
プライバシーってものがあるかもしれない。彼も子どもではないのだから、一人で判断してもいいはずだ。しかし、アナトは瑠璃の許可があって、クシェトラに住んでいる身。そして、常識知らずなのだから、何か行動を起こすのなら、まず自分に相談するべきではないか。
落ち込むゾルの表情に気付くことなく、素直に憤りを顔に出す瑠璃だったが、佐枝が戻ってきた。
「はいよ、サンドウィッチ。特別にチーズを二枚挟んでおいたから」
紙袋を渡され、何とか笑顔を取り繕って礼を言うが、佐枝は不安のようだった。
「瑠璃が調査に出るってことは……この寒さ、もしかして祈りが関係しているのかい?」
「うん、かもしれない。畑に影響が出ないよう、早めに解決してくるから!」
「頼んだよ。最近は畑も弱ってきているし、他の村から仕入れるにも物価が高い。これ以上、状況が悪化したらお手上げだよ。子どもたちを痩せさせるわけにはいかないのに」
「分かってる。任せておいて!」
期待を向ける佐枝、それから肩を落としたままのゾルに見送られたながら、瑠璃は調査のためにクシェトラを出るのだった。




