第9話
部長に促され、廊下へ出る。
極限の緊張で、再び額に汗が滲み出て来る。
……バレ…た?
そういえば部長、見た目と話し方の緩さで忘れそうになるけど、内面は世界一の優良企業の部長を任される人間。
穏やかな笑顔の裏側は、間違いなく有能な狸親父だった。
部長:「…やっぱり、体調悪そうだと思ったんだ。
朝のミーティングから表情も硬いし、今もだけど、席に戻ったあとぐらいから汗までかいちゃってるでしょ。
ラット実験の資料にも汗が垂れてたし。
そもそも君が資料提出前に、セルフチェックで誤字を見落として来たことなんて、新人時代から一度もなかったんだから。
そんな状態の君にこれ以上仕事はさせられません。
局さんに健康管理室までの付き添いをお願いするから、昼まで寝ていなさい。
午後から綱くんに家まで送ってもらうよう、向こうの部長には僕から頼んでおくし、研修でのラット実験の説明も、局さんに代わってもらおう。
君が担当になるまで、あの人がやってたんだから問題ないよ。
その代わりに、お礼も兼ねて今度局さんには、告白の時のこととか教えてあげてね。
あの人、君を教え始めた頃から2人の仲を応援してくれてたんだから」
部長が局さんを呼び、静も荷物を簡単にまとめ、局さんに連れられて健康管理室のベッドに入った。
局さんからは、「明日から土日だけど、彼氏が出来たからって遊びに行かずにちゃんと休んでね」と念を押されてしまった。
午後
綱が健康管理室に迎えに来て、自動運転のタクシーで静の家へ向かう。
これって、私の家に上がる…ってことだよね。
片付けてはあるけど、何か変なもの無かったかな…。
今晩も居酒屋に行くと思ってたから、身だしなみは……大丈夫。
横でソワソワしている静に、綱が話しかける。
綱:「送っていくようには言われたが、体調が安定して来たなら、俺の部屋にするか?」
…!
気を使われた!
家にあげたくない何かがあると思われてる!
静:「だ、大丈夫!
私も一人暮らしだから家族の目もないし、2人だけで話も出来るから」
綱:「にしても、部屋に入るのは初めてだな。
送っていったことはあっても、駐車場までだったし」
静:「そうだよね。
私も綱の部屋は知っていても、中は見たことないし。
みんなで誰かの家に集まったのなんて、源さんの家か坂田の家に招かれたぐらいだよね。
……あっ!ちょっと待ってて」
静は慌ててARデバイスで操作を始める。
筋肉バカの家で見た、家族写真が何枚も並んだ光景を思い浮かべなきゃアウトだった!
そういえばフォトフレーム、四天王の集合写真をツーショット写真みたいにズームしたやつだった!
慌ててARで部屋のフォトフレームを開き、全員が見える引きの状態に戻す。
静:「あっ!そこのエントランスに停めて」
マンションのエントランスで、Ωコア由来のAIが運転するタクシーを降り、エレベーターに乗り込む。
綱:「そういえば、お互いにまだ名前も知らなかった頃、一緒にエレベーターに閉じ込められたことがあったな」
静:「あったよね。
あの時は他に2人知らない人がいたけど、映画館の隣の席に続いて、またこの人とだって、ちょっとドキドキしちゃってた」
綱:「これは運命だって思って声をかけようと思ってたら、2分ぐらいで復旧するし、ドアが開いたら静は足早にどっかに消えていくし」
静:「あれ、そんなに短かったの!?
もっと長い間閉じ込められてるかと思ってた。
それに……緊張して顔が赤くなってたから、顔を見られるわけにはいかなかったのよ。
それに、綱だったら私がどんなに人混みに紛れても見つけ出し……そう…」
静は急に黙り込む。
横で綱が何かを言っているのも、全く頭に入って来なかった。
…あれって、そういうことなの?
静の部屋に着き、お茶だけ出すと、ラット実験資料の裏側をブラックライトで照らしながら、綱が用意してくれた紙に大まかに記憶した内容を、それらしい体裁を持たせて書き込んでいく。
綱はそれを覗き込むでもなく、集中の妨げにならないような距離を取り、時間を潰している。
ずっと鈍感だと思っていたけれど、距離を保つことをやめた本来の私の彼氏は、気が使える男だったんだな。
フォトフレームの内容を修正していなければ、集中も出来なかったけど…。
でも、四天王と源さんの5人で写っているとはいえ、綱と自分が写った写真を飾っているのを見られるのは、良く考えたら普段からずっと執着していたと思われるのでは?
でも、そんな焦りすらも、資料の後半の内容に対する気づきの前では小さいことのように思える。
全体を把握したあとに、要点や数値を書き留めたメモ。
断片的なメモから思い出せる内容と、医療関係の方との繋がりで得た仕事の知識をつなぎ合わせて、資料の大まかな復元が完了した。
それを真剣な表情で綱が読んでいる。
綱:「さっきの態度は、最後の内容が、俺達のことを言っているのではないかと考えた。
そういうことなんだな?」
静は黙って頷いた。




