第8話
綱は明日静が使用する、MRデバイスに繋がるインターフェイスをテーブルの上に置く。
綱:「まず、これの見た目は静が普段業務で使用しているMRデバイスのインターフェイスと同じにしてある。
最大の違いは、スイッチで不正アクセスモードと通常モードが入れ替えられる所だ。
そこに付いているボタンを押せば、部長が卓上のデバイスの電源を入れてログインしている間、半径2m以内にいる時に限り、部長のアカウントが使用出来る。
今までの部長のログを見たところ、短時間だけ居室にいる時は基本的にメールのチェックのみだ。
静が資料を見ている間もメールソフトしか開いていないなら、二重に資料を検索しているという不自然さは回避出来る。
ということで大変だが、部長が通常業務をしない、短時間だけ居室にいるタイミングを狙わなければいけない」
静:「短時間で覚えるの?
保存や印刷をするのはダメなの?」
綱:「全てのデバイスは、ネットに繋がった瞬間からΩコアに繋がる。
保存も印刷もΩコアにバレるし、そもそも今更紙での保管をしない医療部門の居室に、コピー機なんてないだろ?」
静:「それじゃあ、短いっていう、その時間はどれぐらいあるの?」
綱:「15分程度だ。
偶然にも明日、全ての条件が揃う。
部長は朝から来客に対応することになっていて、それが終わったらそのまま病院関係の打ち合わせで外へ出る。
来客の来る時間を考えれば、居室にいるのは朝のミーティング後、15分程度だ。
そして──」
静:「ちょっと待って。
15分で数百文字を覚えろっていうの?
筆記っていっても、ネットワークに接続されているから、MR画面に書き込むのはダメなんでしょ?
紙にペンで書き込むなんて目立つし、書いた内容も他の人にも見えるのよ?」
綱:「お前が仕事で使っているスタイラスペンに似せた、実際に書けるペンを用意した。
そしてインクは、ブラックライトでないと見えないインクだから、直接書いても見えない。
それに、明日は午後から研修でラット実験の説明をするお前が、当時の紙資料も確認したくて印刷を頼んだのは、職場のみんなが知っている。
デスクの上に紙があってもおかしくないだろ?」
静:「たしかに、あの資料はもう不要だし、あとから資料室のシュレッダーにかけてあっても、不要になった私が捨てに来ただけだから誰も疑わない」
綱:「全てを写し切るのはさすがに無理だろうから、そこは静の暗記しやすいやり方で上手くやってくれとしか言えない。
そして大事なことなんだが、その資料は1度しか開けないと思ってくれ。
部長が偶然見かけて開いてみた体にするには、2度目があればΩコアの疑いの目が向けられる可能性がある。
チャンスは1度きりだ」
静はゆっくりと息を飲む。
翌日、医療部門居室の朝のミーティング後。
静は席に戻り、メガネ型のMRデバイスに繋がるインターフェイスを、通常モードで起動する。
遅れて部長が席につき、インターフェイスを起動するのを確認し、静は不正アクセスモードに切り替える。
心音が自分でも聞こえるぐらいに高まるのを感じる。
綱に教えられていた資料の保管場所を開いていき、その資料を発見した。
意を決して資料を開くと、2ページ程度の研究資料だった。
最初に全体に目を通す。
"特定タンパク質"と資料内で称されている、発表されていない特殊なタンパク質に関する資料だった。
筆記に入ろうとした時、部長のデバイスからメールの通知音が鳴り、静は心臓が口から出そうな程の動揺を、必死で隠す。
部長:「ごめんね。音を切り忘れちゃったよ。
…あの人、もう来ちゃったのか。
悪いけど僕、今日はこれで抜けちゃうから、静くんも午後頑張ってね」
部長がインターフェイスの電源に手をかける。
まだダメ!さすがに覚えきれてない。
静:「…部長、今数分でいいので、書類の確認をお願いしてもいいですか?」
部長:「今日は戻って来られないし、早く来すぎたのは向こうだから…少しぐらい待たせておけばいいか。
いいよ。僕の所に送って」
部長がインターフェイスの電源ボタンから手を離す。
静は耳から外していたARの方のインターフェイスを、ポケットの中で見えないように起動する。
コンタクトに映るそちらの方から、前日に作成し、まだ提出前のセルフチェックが終わっていない医療現場からの意見集約の書類を送付した。
部長が書類を確認し始めるのと同時に、静はラット実験の紙資料の裏側に、綱から渡されたペンで筆記を始める。
要点だけでも書くつもりでいたが、恐らく時間は、あって2〜3分。
到底間に合わない。
思い出す鍵となる言葉と、実験結果の数字だけを書き込んでいく。
出来るだけいつもと変わらない様子を心がけるが、汗が数滴資料にこぼれ落ちる。
部長:「確認したよ。
内容はこれでいいんだけど、1箇所誤字があったよ。
君が誤字を見逃すなんて珍しいね。
いつも完璧な君のミスぐらい、僕の方で直して承認しておくから、このまま受け取っておくよ。
じゃあ、これで本当に行っちゃうから、みんな、何かあれば課長を頼ってね」
部長がデスク上のインターフェイスの電源を落とす前に、静は不正アクセスモードから、通常モードへ切り替える。
部長が席を立ち、静のデスクの後ろを通る際、デスク上にある、何も書かれていない紙資料の裏側に視線を落とす。
そして部長がドアを開けたあと、急に立ち止まる。
部長:「静くん、ちょっといいかな」
ミッションを達成して気を抜いた静の鼓動が、一気に跳ね上がった。




