運命に引き裂かれた恋人たち
本日2話投稿いたします。よろしくお願いします。
翌週、アリーネはヴァルノー男爵に同伴し夜会に参加した。
それは以前から予定されていた仕事であり、それ以上の意味は何も存在しないはずだった。
会場で、彼に会うまでは。
いつものように契約者の隣に立ち、アリーネは職務をこなす。男爵は様々な人と挨拶を交わし、アリーネのことも必要に応じて紹介した。皆たいてい「お噂はかねがね」と言う程度で、悪意ある人はいないのがありがたかった。
やがて音楽がゆるやかに切り替わった頃。
アリーネは給仕からグラスを受け取り、人と話し終えたところの男爵に手渡した。
そのままグラスを口に運ぼうとした男爵は、ふと動きを止める。
視線の先をたどると、イアンが立っていた。
ほんの数歩先、人の流れの向こうでこちらを見る彼と、しばらく見つめ合う。
男爵は陽気にグラスを揺らし、場に流れたかすかな緊張を無遠慮に散らした。
「これはハイモンド伯爵。今宵はいかがお過ごしですかな」
「ヴァルノー男爵、先日はどうも。彼女と書物の話はできましたか?」
イアンが近づき、言葉を返す。柔らかな声に先日の硬さはない。
男爵は問いに首肯して、体をイアンの方に向けながら半歩アリーネに身を寄せる。エスコートの腕はアリーネの背後にまわり、腰に軽く添えられる気配がした。
「アリーネ嬢とは読み物の好みも同じでしてね。そのうえ私が普段は読まないような分野に関しても彼女は造詣が深いのです。勧めてもらわない道理はありません」
「愛書家の男爵がお読みにならない分野、ですか?」
イアンが何気なしに聞いた内容に、男爵は深く頷いた。
「ええ、一般的には興味がある男性のほうが少ないのでしょうが、読んでみるとこれがなかなか面白いものでして」
そこまで言うと男爵はアリーネの方に頭を寄せて「言ってもいいかね?」と問いかけた。
それはいかにも親密さに満ちた仕草だった。
アリーネが微笑んで男爵に頷くのを、イアンは笑みを消さずに見ていた。その瞳に映るものは、アリーネからは推し測ることができない。
「恋愛小説ですよ。伯爵はご存じでしたか?」
「あ……何を、でしょうか」
一瞬、イアンの口が小さく動き、かすれた音が耳に届いた。それはかつて彼だけが呼んだ自身の愛称。アリーネはせり上がる熱を喉の奥に押しとどめ、目元の微笑を深くした。
男爵は構うことなく話を続けた。
「恋愛小説と一口に言っても、その内容は千差万別で実に興味深い。少女の淡い恋から、大人の男女の心理劇。それに」
男爵は一度言葉を止め、イアンの目の奥を探るように見据える。
「運命に引き裂かれた、悲劇の恋人たちの話」
イアンの肩がかすかに跳ねた。
アリーネはいつものように場を取りなすことができない。喉が詰まるような感覚がさらに大きくなって声が出なかった。
誰も言葉を発さず、華やかな夜会の音だけが通り過ぎる。
いくばくかの後、男爵が明るい声を出した。
「まあ私からすれば、どのような形であれ終わったことはすべて過去です。大切なのは今でありこれからだと、そういう気づきを得た物語でした」
「ああ……物語は読んでいませんが、私も常々そう思っていますよ、ヴァルノー男爵」
イアンの笑みは崩れない。けれどその声は真剣で、表情ほどに友好的なものではなかった。
「ヴァルノー男爵」
帰りの馬車で、アリーネが静かに切り出した。
「なぜあのようなことを?」
アリーネは男爵に問われていくつかの恋愛小説を勧めたが、そのなかに男爵が言うような内容のものはなかった。
男爵は穏やかに答える。
「少しばかり悪趣味でしたか。しかしその後に言ったことは本心であり真理です。現に、貴女はもうずっと前だけを見ている」
男爵の顔に浮かぶのは、庇護者の笑み。そこに妬心や悪意の色は見えない。
自身の足元が善意で塗り固められていく。
アリーネは礼の姿勢に紛れて息を吐いたが、喉の詰まりは消えなかった。




