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二人の元婚約者

本日も2話更新します。よろしくお願いします。

 政府主催の園遊会は、王都の北庭園で開かれていた。

 朝から雲が低く垂れこめ、雨の気配が漂う。庭園には来客のための天幕がいくつも張られ、芝の上には軽食の卓が用意されていた。


 アリーネはエドモン・ヴァルノー男爵の半歩後ろを歩きながら、静かに周囲を見渡した。


 季節の花を集めた花壇の向こうに、色とりどりの衣装の人々がゆるやかな輪をつくっている。貴族だけでなく、官吏やその家族の姿も多い。昼の催しらしい、ややくつろいだ雰囲気だった。


「思ったより人が多いですね」


 アリーネが言うと、男爵は頷いた。


「天気を懸念しているのでしょう。本格的に崩れる前にと予定を前倒しにする人も多そうだ」


 彼はグラスを受け取りながら、周囲に軽く会釈を返す。その所作には、長年社交界に身を置いてきた者の余裕があった。


 アリーネもまた、自然な笑みで挨拶をした。男爵の知り合いともすっかり顔なじみになったが、礼節を欠くことはしない。


 しばらく男爵と共に数人と言葉を交わしていると、ふとかん高い声が耳に入る。


 庭園の奥、低木の並ぶあたりで、誰かが強い調子で話しているらしい。

 男爵が見やった方向にアリーネも目を向けた。


「あれは……」


 遠巻きに人々の耳目を集めていたのはイアンだった。


 彼は黒の礼装姿で、数歩離れた位置に一人の女性が立っている。年頃はイアンよりはいくらか若い。濃い色のドレスを握りしめ、強い口調で言葉を続けていた。


「八年ですわ。八年も婚約していたのです。なのに、あの程度の慰謝料で終わりだなんて──」


 周囲の人々は、無粋な一幕を遠目に見ながら何事かをささやき合っている。


 アリーネは視線を逸らした。

 自身との五年よりも長い婚約期間だ。彼女の振る舞いはともかく、やり場のない思いには覚えがあった。


「女性側が前伯爵を嫌って祝言を延ばしていた、という話は聞いたが」


 男爵の小さな呟きに意識を向ける。


「ハイモンドのやり方を考えれば、無理もない。だが私にはもちろん、貴女にも関係のない話です」


 関係のない話。そのとおりだ。

 彼の家のことは彼が対処していく。第三者が理不尽を感じたところで、何が変わるわけでもない。それは誰よりもアリーネ自身がよく知ることだった。



「ああ、降り出した。行きましょう」


 男爵の声に空を確かめるまでもなく、芝が見る間に濡れていくのが目に入る。庭園の人の流れに押されるように、アリーネたちも近くの天幕へと向かった。



 人々は分散したのか、思いのほかその天幕の下にはゆとりがあった。

 アリーネたちは卓につき、男爵の肩についた水滴を素早くハンカチで押さえていく。


 すると先ほどまで遠くにあった声が、アリーネのすぐ近くで聞こえた。


「イアン様は、私もあのような商売女になれとおっしゃるの?」


 庭園の奥にいた二人だった。同じ天幕に来たらしい。


「私にはとても真似できませんわ。でもあなたはご父君と同じように人の人生などどうとも思わないのでしょうね」


 人目を気にせず、むしろこちらに聞こえるように高く大きな声で話している。

 イアンは固い顔で女性の話を聞き、言葉が途切れた瞬間、口を開いた。

 

 しかし、割り込む声のほうが早かった。


「そちらのか弱きお嬢様。お話し中失礼いたしますわ」


 アリーネは話しながらゆったりと立ち上がった。目は先ほどから周囲に構わず騒ぎ立てる女性を見据えている。


「前ハイモンド伯爵については、私もあなた様と同様の印象を持っておりますわ」


 話しながら近づくアリーネを、女性はちらと一瞥し、すぐに興味をなくしたように目線をはずした。

 アリーネは構わずに歩を続ける。


「ですが、前伯爵とその方は違います。顔も、気質も、責任の取り方も」


 歩み寄ったアリーネは女性の顔が見える位置で立ち止まると、目を見つめて微笑んだ。


「八年も婚約なさっていて、そんなこともご存じありませんの?」


 短い沈黙が落ち、アリーネの目の前で女性の顔が朱に染まる。



「ごきげんよう」


 その言葉と同時に踵を返す。

 視界の隅で一瞬、イアンが小さく頭を下げているのが見えた。




 いくらか小さくなった雨粒が、馬車の屋根を静かに打っていた。

 しばらく黙っていた男爵が、ふいに口を開く。


「貴女は彼を許すのですか」


 心配の色を含んだ優しい声だった。

 アリーネは窓の方を向いて、景色を目で追うことなく答える。


「元より恨んではいません」


 アリーネの脳裏には、十一年前の記憶が遠い水面のように浮かんでいた。


「彼の決断を尊重するなら、受け入れる以外の選択肢はありませんでした」


 言葉にすると、心の奥底が軽くなるのがわかった。重石から解放された心に悲壮感はなく、あの胸の痛みさえも懐かしい気持ちで振り返ることができた。


 男爵はしばらく黙り込み、やがて微かに笑った。


「……なるほど」


 そして、穏やかな声で言った。


「貴女に必要なのは、庇護ではないのですね」


 馬車は雨の街を静かに進んでいく。

 小さな雨音が心地よかった。

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