第53話 霜鉄の鎖――閉ざされる進軍路
第53話 霜鉄の鎖――閉ざされる進軍路
アシュレイ谷での大崩落から二日後。
王都軍の進軍は、ほぼ完全に止まっていた。
谷底に落ちた兵の救助は難航し、
後続部隊は足場が消えたことで迂回を余儀なくされ、
兵站は雪道で立ち往生している。
そして最も深刻なのは――
王都軍の士気が底から崩れ始めていたことだった。
「なんでこんな危険な谷を通ったんだよ!」
「魔術師団が“氷で固めれば問題ない”と言ったんだろ!」
「その魔術師団が一番後ろで震えてやがる!!」
兵たちの怒号が、次第に罵声へと変わっていく。
「俺たちを殺す気か!?」
「こんな作戦、まともじゃない!」
指揮官の怒鳴り声はもはや届かず、
軍の形は“軍”ではなく、ただの不満の塊になっていた。
そんな中、魔術師団の長が苛立ちを隠せず叫んだ。
「黙れ下賤ども!
氷結魔術が効かぬのは地形のせいだ!
我々の責任ではない!」
「なら前に出て戦え!」
「お前たちが言ったんだろうが!!」
兵たちの怒りは凍ったような空気の中で膨れ上がり――
ついに指揮官たちは感情を抑えきれず、言葉の刃を交わし始めた。
本来ならば侵攻の開始に湧くはずの陣営は、
雪の中で静かに腐り始めていた。
⸻
一方、グレンヴィル連合本陣。
山の稜線を越えて届いた密偵の報告に、
ゼノは低く呻いた。
「……本当に崩れ始めているな」
「予定より少し早いくらいですわ」
エレノアは淡々とした表情で返した。
その眼差しは冷静そのもの。
「谷での損害によって、兵站も士気も落ちています。
特に魔術師団と王家騎士団の衝突……
あれは、わたくしたちにとって願ってもない展開ですわ」
「敵が自滅していくのを、ただ眺めているわけにもいかんが……」
「もちろんです。
わたくしたちは“導く”のです」
エレノアは地図の上に置かれた黒鉄の駒を動かした。
「第二段階――“霜鉄の鎖”を完成させますわ」
ゼノは頷き、地図を覗き込んだ。
「……補給路を完全に塞ぐつもりだな」
「はい。
王都軍が迂回すればするほど、谷の反対側の補給路に負荷がかかります。
そこを――落とす」
エレノアの指先が、“雪崖の細い道”を軽く叩いた。
「補給を断たれた軍は、戦う前に死にます。
王都軍は、いずれ“撤退か降伏”しか選べなくなりますわ」
「まるで……軍を丸ごと氷の鎖で縛るようだな」
「ええ。それが“霜鉄の鎖”。
王都軍の喉元にかける鎖ですわ」
ゼノは横目で彼女を見た。
「……お前が敵じゃなくて本当に良かった」
「敵でしたら、ゼノ様ごと落としていますわ」
「怖いこと言うな」
だがどこか嬉しそうに笑い、ゼノは部下へ命令を送った。
⸻
夕暮れ。
前線へ向かう山道で、エレノアとゼノは馬を並べて走っていた。
冷たい空気の中で、エレノアの横顔は凛々しく輝く。
(追放された令嬢が……今はこんな場所で、
国の行方を決める戦略を握っているなんて)
ゼノは思わず、その事実に胸が熱くなる。
「エレノア」
「はい?」
「……誇らしいよ。
お前が、俺の隣にいることが」
「……あら。
そんなことを言われると、照れてしまいますわね」
エレノアの頬が、夕日の色でほんのり染まった。
ゼノはその顔を見て、ふっと息をもらすように笑った。
「お前が考えた“罠”が、まもなく王都軍を呑み込む。
ただの策じゃない。
お前自身の誇りそのものだ」
「わたくしは……ただ、奪われたものを取り戻したいだけですわ。
誇りも、信頼も、未来も」
「なら、取り戻すまで共に行こう」
「ええ。ゼノ様こそ、離れてはだめですわよ?」
「離れるか。
……絶対にな」
その言葉は、誓いにも似ていた。
⸻
その夜。
王都軍の補給路は静かに、しかし確実に崩れ始めた。
雪崖が小さく震え――
エレノアが描いた“霜鉄の鎖”が、音もなく締まり始める。
王都軍はまだ知らない。
彼らを飲み込む“真の罠”が、これからだということを。
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次話
第54話「雪崖の崩落――補給壊滅」




