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エピローグ:縛られ地蔵のあと

 話が「俊乗が裏山の桜に首をくくった」というところまで来ると、半七老人は、長く息を吐いて、湯のみを取り上げた。渋い番茶の湯気が、火鉢の灰の匂いにまじって、狭い座敷の天井へ淡くのぼってゆく。縁側の障子の向こうでは、飼い猫が眠りから醒めたのか、爪とぎをする音がかすかに聞こえた。


「お話は、まずここらでお仕舞いでしょう」と老人は言った。「事件はちょいと面白いのですが、わたしどもの捕物から申せば、たいして面倒な事もありませんでした。筋は、あの通り、みんな自分で穴へ這い込んで、抜けられなくなったようなもので」


 僕は膝の上の手帳を押さえた。新聞の種を拾うつもりで来たのだが、話の形そのものが、すでに出来ている。地蔵が踊り、縛られた娘が息を吹き返し、坊主が縊れる。これに役者が揃えば芝居にもなる、と、そんな考えが、つい先に立つ。


「少し手を入れれば、まったく小説になりますね」と僕が言うと、老人は口の端を上げた。


「先生、小説のように都合よく行かないのが実録です。こうすれば面白くなるだろうと思っても、まさか嘘をまぜる訳にも行きません。……いや、まだ少し云い残したことがあります。あのお歌のことです」


 僕も、それを聞こうとしていた。あれほどの女なら、息を吹き返したあとで、また何かしでかすに決まっている。ところが老人は、肩をすくめるように言った。


「お歌が、そのあとひと働きしてくれると、先生の仰しゃる芝居にもなりますが……そこが実録で。お歌は、それからしばらく姿を見せませんでした。ところが翌年の五月、つまらない小ゆすりで挙げられて、それから旧悪が次々にあらわれて、結局、遠島になりました」


 遠島というのは、島流しである。江戸でいえば伊豆七島などが多い。罪の重い者を、土地の縁も頼りもない島へ送って、二度と戻れぬ身にする。奉行所の掟としては古くからあるが、当人にとっては生きながらの別れであった。


「わたしが捕ったのじゃないので、詳しいことは知りません。ただ、あの女は懐に俊乗の数珠を持っていたそうで……よほど俊乗のことを思っていたに相違ありません。色のごうというのは、ああいうものです。憎みながら離れられない」


 僕は、あの晩の裏山の闇を思った。脅しに使った地蔵の秘密より、数珠のほうが、よほど重い証しになる。


「寺のほうは、どう裁かれたんです」


「遠島といえば、高源寺の住職も遠島。ほかは追放で、この一件も落着しました。住職も弟子たちも、みんな悪い人間ではなかったんです。けれど、一度、悪い方へ踏み込むと、もう抜き差しが出来なくなって、だんだん深みに落ちて行く。取り分けて俊乗などは……いい寺にいたら、相当の出世が出来たかも知れません。それを思うと、可哀そうでもあります」


 老人は、そこまで言ってから、火鉢の炭を箸でそっと寄せた。赤い火が一つ、呼吸するように明るくなる。


「石屋の松蔵は?」と僕が促すと、老人は少し笑った。


「高源寺の噂を聞くと、あいつはすぐ影を隠しました。草鞋を穿いて追っかけるほどの兇状でもないので、まあそのままに捨て置きましたが……あとで聞くと、木更津の方で変死したそうです。石屋を頼って行って、そこで働いているうちに、大きい石地蔵をこしらえる時、どうした訳か、その地蔵が不意に倒れて、頭を打たれて死んだと云うんです。因縁話みたいで、嘘か本当か、わたしにも判りませんが」


 畳の目に落ちた炭の粉が、黒い小さな影になっている。僕は、それを眺めながら、地蔵を踊らせた手が、結局は地蔵に押しつぶされた、と勝手に筋をつけてしまいそうになるのを、こらえた。老人の言う通り、都合よく片づけてはいけない。


「高源寺は、今もありますか」


「廃寺になって、跡方もなくなりました。けれど一方の林泉寺の縛られ地蔵は、昔のままに残っています。明治になってから堂を取り払って、雨ざらしのようになっていますが、相変らず花や線香は絶えないようです。縛られる地蔵は、縛られる地蔵で、まあ……繁昌しているうちは、年百年じゅう縛られっぱなしですから、仏も楽じゃありません」


 そう言って老人は、こちらを見て、また目を細くした。


「先生に出逢うと、こっちが縛られ地蔵になってしまいそうで。あははは」


 僕は苦笑して、手帳を懐へしまった。外へ出ると、赤坂の路地に電燈が点り、秋の夜気が頬を撫でた。江戸の噂は明治の街灯の下へ持ち出されても、どこか湿り気を失わない。僕は、茗荷谷の丘の上に立つという石地蔵を、いつか自分の眼で確かめてみようと思いながら、停車場の方へ歩き出した。



文京区林泉寺の縛られ地蔵尊:林泉寺の縛られ地蔵は、まだ現存(もうもろくなって触れないそうですが、見ることは出来るそうです)しているので、ご興味がある方は是非。

なお、今は、四代目の縛られ地蔵さんが、縛られてくださるそうです。

東京都文京区小日向4丁目7-2

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