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第四章:穴熊の手妻

 祥慶は、仏前の薄暗がりで数珠をゆるく繰りながら、声を落として語りつづけた。堂の外では、風に乾いた葉がこすれ、秋の虫がまだ名残りを鳴いている。


 お歌が寺へ出入りする約束は「月に一度」であった。だが、女は約束を守らぬ。夜更けにひそりと潜り込み、台所口の戸を叩く。定吉は門前の花屋で、寺の草取りや水撒きまで手伝う身である。姉娘を無下に追い返せば、口が軽くなりかねぬ。結局、寺も花屋も、女に首根っこを押さえられた形になった。


 俊乗は、根がまじめで気が弱い。祥慶が「出家にあるまじき色のわずらい」と言っても、俊乗は涙をこぼし、師の袂にすがるばかりであったという。お歌は金を欲しがらぬ。そのかわりに男を欲しがる。恋慕といえば聞こえはよいが、脅しに混ぜてくる色は、刃物より始末が悪い。


 そのうち、松蔵がまた鼻を利かせた。深川の石屋松兵衛の倅で、親の顔に泥を塗るごろつきである。博奕で首が回らぬと、寺へ押しかけて来る。縛られ地蔵の秘密を知っていると吹っかける以上、追い返すことも出来ない。俊乗が「もう賽銭さいせんも昔とは違う」と断れば、松蔵は薄笑いを浮かべて言うのだ。


 ――ならば、もうひと工夫だ。地蔵を踊らせろ。コロリ除けだと言い触らせば、人はまた集まる。


 安政五年の大コロリは、町を空にした。誰も彼も、腹の底に冷えた恐れを残している。翌年になって病がぶり返す気配が出れば、石の地蔵が揺れるだけでも、神仏の利生りしょうだと信じたくなる。寺社方が耳をそばだてるのも、そのあたりを見越した時節である。


いやだと申せば、秘密をあばくと脅されます。俊乗もわたくしも、気が強いほうではござりません。毒を食う以上は皿までというように……いえ、よんどころなく、度胸を据えることになりました」


 松蔵が据えた仕掛けは、賽の目を動かす「穴熊」の手妻てづまであった。穴熊とは、床下に仲間が潜り、畳越しに針や糸を使って賽を踊らせる、いかさまの古い手である。松蔵はそれを応用して、地蔵の台石の下へ潜り込み、石像をゆすって見せようとした。


 墓地にある無縁の石塔を倒し、その下から地蔵堂へ通じる横穴を掘る。掘り役は寺男の源右衛門と納所の了哲であった。愚直な二人は、師と役僧に言いつけられれば、黙って鍬を振るう。やがて横穴が通じると、松蔵が先に這い込み、舌なめずりして戻って来た。


 ――穴熊がうまくいった。


 地蔵を踊らせる役は源右衛門になった。智心も面白半分に手伝うことがあったという。日が暮れるころ、参詣人のざわめきが引いた隙に、源右衛門が穴へ入り、土の下から像をがたつかせる。堂の中の薄闇で石が揺れれば、待ちくたびれた人間は、それを踊りと呼ぶ。線香の煙が揺れ、念仏が早くなり、賽銭箱へ銭が落ちる音が増える。寺は再び潤った。


 だが、うまい話は長く続かぬ。寺社方の沙汰が気がかりになり、そろそろ潮時と思っていたところへ、八月十二日から十三日にかけての大風雨が来た。地面がゆるむほどの雨である。十四日の夕暮れ、源右衛門はいつものように穴へ潜った。ところが、その夜に限って地蔵は踊らなかった。参詣人は月明かりの道を、口々に不思議がりながら帰って行った。


 源右衛門は、戻って来なかった。


 不審に思って智心を這わせると、横穴は途中で土が落ち、行き止まりになっていた。二日つづきの風雨で、土が源右衛門の上へ崩れ落ちたのである。了哲と定吉が手伝い、穴を広げて引きずり出したが、男はすでに窒息していた。


 表向きに出来ぬ。祥慶は「駈け落ち」と言い触らせ、死骸は墓地の奥へ埋めた。地蔵はそれきり踊らなくなった。抜け道を始末せねばと思いながらも、手が回らぬまま、今朝の大雨で土がまた沈み、通り道が窪みになってあらわれた。半七が門前で見た筋の窪みは、その名残りであった。


 ここまで聞くと、半七は小さく鼻で息を吐いた。からくりの筋は通っている。だが、もう一つ、女の筋が残る。


「地蔵に縛られていた女は、お歌だな。で、絞めたのは誰だ」


 祥慶は、うつむき加減に言った。


「智心でござります」


 智心は十の時から寺に拾われた孤児で、生まれつき鈍く、経文もろくに覚えぬ。それでも手はよく動き、俊乗によく懐いていた。だからこそ、お歌を憎んだ。夜叉羅刹だと、口にしたこともあったという。


 二十三日の晩、お歌は俊乗を裏山へ誘い出した。いつもと違う気配に、智心がそっと尾けた。森の中で、お歌は言った。寺にいては思うように逢えぬ、還俗して一緒に逃げろ、と。俊乗はかぬ。言い争ううちに、お歌は声を荒らげ、縛られ地蔵の秘密を訴え出る、死罪か遠島だ、と脅した。


 その瞬間、智心が飛びかかり、両手で喉を絞めた。年の割に力がある。女はがっくり倒れた。


 ここまでは、半七も想像がついた。だが、祥慶の次の言葉が、筋をねじった。


 俊乗は泣いたという。女が憎いはずなのに、眼の前で倒れられると、気の弱い男は泣く。医者を呼べば露見する。死骸を隠すにも、松蔵のことがある。俊乗はふと、狂気じみたことを思いついた。縛られ地蔵へ願を掛ければ叶うのなら、女そのものを縛って祈れば、蘇生するのではないか。


 俊乗は智心に命じ、二人でお歌の死骸を地蔵堂へ運び込み、石像の背に凭れさせ、荒縄で厳重に縛り付けた。地蔵の前で、ふた刻近く、一心不乱に祈ったという。夜明け前、俊乗はいったん部屋へ戻り、疲れでうとうとした。


 朝早く、中間が地蔵堂を覗き、死骸が見つかった。検視が済み、役人が引き上げたあと、死骸は庫裏の土間へ移された。すると、半刻も経たぬうちに、お歌が息を吹き返した。祥慶も驚き、俊乗は泣いて喜んだ。薬を飲ませて介抱し、表向きは「死骸紛失」として届けを出させた。


「夕方には気分もよくなったと申しますので、裏山づたいに帰してやりました。今度は俊乗にも自由に逢わせると約束して、無理になだめて……しかし、このままでは済むまいと覚悟して居りました」


 祥慶がそこまで言い終えた時、障子が荒々しく開いた。了哲が、土のついた手のまま転げ込んで来た。顔色が変わり、声が裏返っている。


「俊乗さんが……俊乗さんが死にました」


 半七は、膝を浮かせた。


「どうして死んだ」


「裏山の桜の木に……首をくくって……」


 くびられたお歌は生き返り、いま、俊乗が縊れた。堂の外で虫が鳴いていたが、その声が遠く、紙一枚隔てた向こうへ退いて行くように聞こえた。


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