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第三章:桐の木の下

 五ツ半(午前九時)ごろ、半七と亀吉はまた小石川へ出た。暁方の雨は上がって、空は洗ったように青い。けれども土は重く、草は濡れて、寺の裏山から吹きおろす風が冷たかった。門前へ来ると、地蔵堂は相変わらず塞がれている。だが、地面の具合が昨日とは違う。踏みしめた土がところどころ沈み、細い窪みが筋になって、墓地のほうへ引かれている。土の筋には草鞋の底が幾重にも重なり、子どもの小さな跡も混じって、見物の足がどれほど多かったかを物語っていた。


 門を入ると、花屋の定吉と納所なっしょの了哲が、鍬と鋤で土を寄せていた。二人とも肩に力が入って、余計なことは言いたくない顔である。


「なにをやっている」と半七が訊くと、了哲が渋い声で答えた。

「けさの雨で、ここらの土が窪みまして……」


「窪んだところを埋めているのか。えらく念が入ってるな」


 半七は足もとを見た。窪みは一か所や二か所ではない。門前から墓地へ、まるで道案内のように続いている。視線の先で、倒れた石塔が一つ、腹を見せていた。無縁仏の墓らしい。


 半七は、ふっと笑って見せた。

「もし、この墓は無縁かえ」


「……そうでございます」


 了哲の返事は短かった。定吉は吃り(どもり)で、顔を赤くしているが、言葉が出ない。半七はそのまま花屋の前へ回った。お住が奥から覗いていた。昨夜より顔色が悪い。


「おい、姐さん。ちょいと顔を貸してくれ」


 半七は、お住の袖を軽くつまんで、墓地のほうへ連れ出した。墓地のまん中には大きな桐の木が立っている。葉の裏に残った雫が、風に揺れてぽとぽと落ち、土の匂いが濃かった。


 半七は、いきなり訊いた。

「おい、お住。おめえの姉さんはどこにいる」


 お住は黙って、桐の根もとを見た。


「隠しちゃいけねえ。ひと月ほど前、おめえが姉さんと一緒に茗荷谷を歩いていたのを、おれは見ている。その姉さんはどこだ」


 嘘を混ぜた言い方である。だが、お住の肩が小さく震えた。


「姉さんは殺されて、地蔵さまに縛り付けられていたんだろう」


 お住は、はっと顔を上げた。眼が答えになっている。半七は一息に押した。


「下手人を知ってるんだろう。おれが仇を取ってやる。正直に言え。あの抜け道をこしらえて、地蔵を踊らせたのは誰だ。姉さんの色男は誰だ。俊乗か」


 お住は俯いたまま、唇を噛んだ。


「黙ってりゃ、お父っつぁんを縛るぞ。門前で正直者の看板を出していて、役人沙汰になりゃ、店も終いだ。おめえも判ってるはずだ」


 泣き声が喉まで出て、また引っこんだ。半七はさらに畳みかける。


「従兄弟同士の源右衛門はどうした。駈け落ちなんぞ嘘だ。抜け道の中で埋まって死んだんだろう。その死骸はどこへ隠した」


 お住は黙っている。だが、否定もしない。その沈黙が、いくつも頷いている。


「ここまで言っても黙ってるなら仕方がねえ。親父もおめえも、寺の連中も、まとめて引っ立てて、取り調べで吐かせる。さあ、来い」


 半七が袖を強く引いた刹那、背後で草を踏む音がした。振り向くと、石塔の陰から小坊主の智心が現れている。手に薪割りのなたを持ち、眼を剥いて、いきなり半七へ斬りかかった。


 半七は身をかわし、利き腕を掴んで鉈を奪いにかかった。ところが智心は年の割に力が強い。坊主の小僧と侮れぬ。もみ合ううちに、お住までが猛然と向かって来た。枯れ枝を振り回し、土を掴んで投げつける。眼へ入れば厄介だ。


「この野郎……」


 半七が一瞬ひるんだところへ、亀吉が駈けて来た。亀吉はまずお住を突き倒し、次に智心の襟首を掴んで引き剥がした。二人がかりで捻じ伏せると、智心は獣のように喘いだ。


「縛りましょうか」と亀吉が言う。

「縄をかけろ。こいつは何をするか判らねえ」


 捕縄がかかると、智心はやっと大人しくなった。お住は土まみれで起き上がり、唇を噛み切るほど噛んで、血が滲んでいた。


 半七は息を整え、了哲も呼び寄せて本堂へ向かった。廊下を渡ると、古い板の軋む音がして、線香の香が鼻を刺す。仏前では住職の祥慶が経を読んでいた。半七らが踏み込むと、祥慶は静かに向き直った。逃げる気配がない。むしろ待っていた顔である。


「昨日といい今日といい、御役の方々、御苦労に存じます。大方こうであろうと察しまして、今朝は読経して、皆さまのお出でをお待ち申しておりました」


 半七は、礼を崩さずに言った。

「詳しい詮議は役所でやる。だが、ここで筋だけ聞かせてもらう。まず、地蔵さまの一件だ。お上人も承知だな」


「承知しております」


 祥慶は悪びれない。だが、その声には疲れが混じっている。


 祥慶は、十四年前にこの寺へ入ったと語った。寺は由緒もあるが、先代から借財が残り、火災もあって再建に苦労し、檀家も減った。寺の体面を保つにも銭が要る。そこで役僧の延光が、茗荷谷の縛られ地蔵にならって門前に地蔵を祀り、参詣を集めようと言い出した。


「心よからぬこととは存じながら、手もと不如意の苦しさに、万事を延光に任せました」


 延光は深川の石屋に頼み、地蔵を作らせ、墓地の大銀杏の根もとへ二年あまり埋め、夢枕のお告げを仕立てて掘り出した。はじめは当たり、賽銭も入った。だが延光は昨年二月、病で死に、俊乗があとを継いだ。


 半七は、そこまで聞いてから訊いた。

「踊りの仕掛けは、誰の工夫だ」


「寺の者ではございません。石屋の松兵衛のせがれで、松蔵という者が……」


 松蔵は博奕に耽る、ごろつきのような男である。地蔵の秘密を盾に、寺へ金を無心しに来た。弱味がある以上、断れない。祥慶は数珠を繰りながら、ぽつりと言った。


「松蔵のような悪い者にこまれましたのも、仏罰でござりましょう」


 そして、祥慶はさらに言った。

「そこへ、もう一人――悪い者があらわれまして、いよいよ困り果てました」


 半七は、ふとお住の横顔を見た。お住は震えている。

「その悪い者は……女かえ」


「はい。お歌と申す女で……」


 お歌は花屋の定吉の姉娘で、十余年も前に家を飛び出し、近国を流れ歩いていた。年は二十四、五のはずだが、若作りが巧く、田舎娘の身なりで十八、九に見せる。男の油断を誘うためである。去年の暮れごろ、ふいに江戸へ戻って来て、高源寺へ忍び込んだ。定吉が追い払おうとすると、お歌は門前の地蔵を指して笑った。


 口を開けば、寺も、定吉も、ただでは済まぬ――そう言って脅したのである。


 しかも、お歌は松蔵と心安くしていた。秘密の出どころも、それで判った。祥慶は迷惑を承知で口留めの金を渡し、追い返そうとした。ところが、お歌は金は要らぬと言う。出入りを許せ、と言う。寺へ女が出入りするだけでも難儀であるのに、その目が俊乗へ向いているのを、祥慶は見て取った。


「金でも慾でもなく、色情で……。お歌は、どうしてか俊乗に恋慕して居ったのでござります」


 半七は、胸の奥が冷えた。地蔵の仕掛けは、まだ子ども騙しで済む。だが、恐喝と色が絡めば、人は平気で人を殺す。お住の沈黙と、智心の鉈が、その入口を見せている。


 半七は一歩、仏前へ進んだ。

「……その先を聞かせてくれ。今夜のことは、ここからだ」



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