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プロローグ:喜多院の桜

 四月の、日曜と祭日が続いて二日休みになった。近ごろは洋風の暦がすっかり板につき、役所も新聞社も、日曜には帳面を閉じる。僕はその休暇を利用して、友達と二人連れで川越の喜多院へ桜を見に行った。


 四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換え、所沢や入間川の方を回ってゆく道順である。煤けむりを吐く機関車に揺られていると、窓の外はまだ冬の名残りを帯びた畑地がつづき、ところどころの雑木林が、淡い芽吹きをほの白く見せていた。川越は城下町だけに、江戸のころから蔵造りが多いと言うが、表通りの土蔵の並びにも、電線の影が斜めに渡っているのが、いかにも明治の景色であった。


 それから一週間ほど過ぎて、僕は赤坂の場末に隠居している半七老人をたずねた。坂の下の路地は、雨上がりの土がまだ湿っていて、昼の光が浅く反射している。老人の家の格子戸をあけると、老婢が奥から出て来て、声をひそめて「先生、いま猫が膝におりますから」と笑った。


 六畳の座敷へ通されると、半七老人は火鉢の前に坐り、膝の上の猫の背を撫でていた。白髪はあるが、目の光だけは若いころのまま残っている。僕が川越の土産話をしようと口を開くより早く、老人はむしろ昔を掘り起こすように言った。


「はあ、川越へお出ででしたか。わたしも江戸時代に二度行ったことがあります。今はどんなに変わりましたかねえ。川越という土地は、松平大和守の十七万石の城下で、昔からなかなか繁昌の町でした。江戸からは相当に離れていて、十三里と覚えていますが、薩摩芋で名が通っているばかりじゃありません。江戸との往来が頻繁で、武州川越といえば女子供でも名を知っているくらいでした」


 老人は「先生はどういう道順で」と訊き、僕が甲武鉄道の話をすると、眉を上げて感心した。


「なるほど、おかを行くとそういう事になりましょう。江戸時代に川越へ行くには、大抵は船路でした。浅草の花川戸から船に乗って、隅田川から荒川をのぼって、川越の新河岸へ着く。これが一昼夜とかかりませんから、陸を行くよりは遙かに便利で、足弱の女や子供でも、寝ながら行かれるというわけです。そんな関係からでしょうか、江戸の人で川越に親類があるというのは随分ありました」


 老人の口調は、昔の川の流れのように、ゆるやかで、切れ目がない。黒船騒ぎで「今にも江戸でいくさが始まる」と町が浮き足だった時、町家が年寄りや女子供を川越へ立退たちのかせた話も出た。半七老人自身も、世話になっている家の荷物の宰領として一緒に行き、喜多院や三芳野天神へ参詣したという。石原町に宿屋が並び、馬喰町のような姿だった、と、細かい町の匂いまで持ち出して話すので、僕らが何気なく通り過ぎた川越が、急に奥行きを持って迫って来る。


 やがて老人は、ふっと話を切り替えた。猫が膝の上で小さく欠伸をし、火鉢の炭がぱちりと鳴った。


「いや、この川越については、ひとつお話があります。先生は書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、江戸城大玄関先きの一件……川越次郎兵衛の騒ぎです。あれも、いろいろ評判になったものでした」


「川越次郎兵衛……何者です」


「御承知ありませんか。普通は次郎兵衛と云い伝えていますが、ほんとうはくめ次郎という人間で……」


 僕はその名を知らなかった。記録を読んだ覚えもない。老人は笑い、明治の新聞記者が「知らない」と言うのを、むしろ面白がるようにした。


「なにしろ幕府は秘密主義で、見す見す世間に知れていることでも、なるべく伏せて置く癖がありましたから、表向きの書き物に残っていないのかも知れません。いつぞや『金の蝋燭』の話をしたでしょう。江戸の御金蔵破り――あれは安政二年三月六日の夜で、藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が共謀して、城内へ忍び込み、小判四千両をぬすみ出した。城中が大騒ぎで、内々に罪人を詮議している最中、その翌日――三月七日の昼八ツ(午後二時)頃でした。どこをどう通ったものか、ひとりの男が本丸の表玄関前に、飄然と現われましてね」


 男は手織縞の綿入れに脚絆草鞋、菅笠を手に持っていた。年のころ三十前後、国者らしい。番の役人に向かって、夢に東照宮のお告げがあった、今日じゅうに天下を拙者へ引き渡せ、さもなくば天下の大変出来しゅったいを起こす、と、まじめな顔で呶鳴ったという。


「誰が考えても乱心者です。しかし相手が気違いとなれば、扱いも違います。本気の者ならすぐ取り押さえて縄をかけますが、仮にも東照宮のお使と名乗る者を、手荒くするわけにも行かない。なだめても賺しても肯かない。力も強い。とうとう大勢で押さえ付けて縄をかけました。すると、その笠の裏に武州川越次郎兵衛と書いてあった」


 そこで川越藩へ通知し、藩邸が引き取ることになった。ところが問題は、その男がどうして御玄関先きまで、あまりに易々と通り抜けたかである。途中の番人にとがが及べば、怪我人が出る。そこで――と、半七老人は、さらりと言った。


「次郎兵衛は天から落ちて来たことになりました。いや、笑っちゃいけない。昔の人は巧いことを考えたものです。天狗にさらわれて、川越から江戸まで宙を飛んで来て、お城の中へ落とされた――そういう理屈です。こうなれば誰にも落ち度は無い。天狗を相手に詮議も出来ませんから、うやむやに済む」


 ところが川越藩邸は、今度は本人を突き戻すと言って来た。笠には川越次郎兵衛とあるが、調べてみると、身に着けている臍緒書ほぞのおがきには、野州宇都宮在、粂蔵の長男・粂次郎と記してある。笠は取り違えも借り物もあり得るが、臍緒書を他人のものと取り替えるのは滅多にない。結局、身許がはっきりするまで、こちらで預かることになった。


「その日の夕六ツ頃、町奉行所の指図で八丁堀同心の坂部治助――『大森の鶏』でお馴染の人です――この坂部さんが、住吉町の竜蔵の子分二人を連れて、川越藩の中屋敷へ受け取りに行った。ところが帰り途で暴れ出しましてね。取り鎮めようとしていると、俄かに旋風つむじがどっと吹いて来て、あたりが真っ暗、そのあいだに次郎兵衛の姿が見えなくなった、と言うんです」


 半七老人は、そこで一度言葉を切った。僕が顔を上げると、老人は苦笑した。


「先生、これは縄抜けでしょう。油断してやられた。ところが縄抜けでは自分の落ち度になる。前が天狗で、後が旋風――これなら、何とか申し訳が立つ。今から思えば、面白い世の中でした」


 話はそれで終わらない。江戸城の表玄関に立ち、天下を渡せと呶鳴った椿事である。噂は隠しようもなく町へ洩れ、尾鰭がついて広がった。御金蔵破りの同類だの、白昼に城内へ忍び込もうとしたのだの、勝手な口が勝手に言う。受け取った以上、取り逃がした坂部治助の不首尾は消えない。表向きは旋風で片づいても、内所では顔が立たぬ。坂部は半七老人を呼び、次郎兵衛の行方を探し出してくれと頼み込んだという。


「坂部さんは、どこまでも旋風に巻き込まれたように話す。わたしの方でも察しはつきますが、野暮な詮議はしません。さて、どこから手を着けていいか見当が付かない。笠の川越次郎兵衛、臍緒書の粂次郎――この二つの身許を探るのが近道ですが、今と違って汽車は無し、十里以上も離れた土地になると探索が不便です。そのうえ、御用は次から次へ湧く。旅へ出る暇もない。もう一つ、気違いらしい人間を苦労して見つけたところで、張り合いがない……そう思って、一日延ばしになってしまった」


 老人は火鉢の上で手をかざし、猫の耳を軽くつまんで笑った。


「ところが先生、世の中というものは不思議でしてね。その次郎兵衛とわたしとは、どこまでも縁が離れないのでした」


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