プロローグ:新富座の宗吾芝居
読者もご承知の通り、半七老人の話は、とかく芝居がかっている。むろん老人が芝居好きなのもあるが、江戸の探索というものは、いまのように帳場で書付ひとつ取って済む時代ではない。人の口を割らせ、噂の影を追い、相手の胸の内へ手を突っ込む――そういう商売には、どこか舞台の呼吸が要る。芝居の文句や浄瑠璃の節回しが、老人の血肉になっているのも無理はなかった。
日清戦争が突発するふた月ほど前、明治二十七年五月の二十日過ぎである。日曜日の朝から赤坂の宅へ推参すると、奥の老婢が新茶の香を立てて出してくれた。縁側の陽はもう初夏の色で、庭の青葉が風に鳴る。老人は火鉢の脇に煙草盆を置き、いつもの猫を膝のあたりへ呼び寄せながら、昨夜の見物話にすぐ口がほどけた。
「先生、きのう新富を見て来ました。佐倉宗吾でしてね」
「新富は佐倉宗吾でしたね」
「そうです、そうです。九蔵の宗吾が評判がいいので行きましたよ。九蔵の宗吾と光善、訥子の甚兵衛と幻長吉、みんな好うござんした。芝鶴が加役で宗吾の女房を勤めていましたが、あれも案外の出来で、なるほど達者な役者だと思いましたよ」
老人の劇評は、いったん出ると止まりにくい。役者の声の張り、見得の切れ、衣裳の色の効きまで、手を動かして語る。中幕に嵯峨や御室の浄瑠璃が挟まったこと、九蔵の光圀は「ほんのお付合い」という料簡で出ていること、多賀之丞の滝夜叉は散々だったこと――しまいには、喜猿の鷲沼太郎が名代を勤める始末では、まじめに見ていられない、と来る。
ひとしきりそれが済むと、老人は茶をすすり、猫の背を撫でた。
「先生、あの宗吾の芝居は、三代目瀬川如皐の作でしてね。嘉永四年、猿若町の中村座で出た時は、外題を『東山桜荘子』と云いました。あの頃は、ほんとの佐倉の一件をそのまま出すわけに行きませんから、世界を替えて足利時代の芝居にしてある。けれど、下総の佐倉のことだってのは、誰でも知っている。だから佐倉領のお百姓が見物に江戸へぞろぞろ出て来る。芝居の方も抜け目がなくて、座方の者がわざわざ佐倉まで参詣に出かけて、広告して来た。昔も今も、こういうところは変りません」
その「宗吾見物」に浮かれて江戸へ出た百姓の一組が、この話の端緒になる、と老人は云う。村の名は忘れたが、佐倉領の金右衛門と為吉という二人で、十五づれの連中と馬喰町の下総屋に宿を取り、江戸に着いた翌日はまず中村座、残りの二日は思い思いの江戸見物、それから一緒に帰国する約束だった。
「金右衛門は娘のおさんを、為吉は妹のお種を連れて来ていました。お話が判り易いように云っておきますと、金右衛門は三十八、娘は十六、為吉は二十一、妹が十七。双方は何かの遠縁で、来年はおさんを為吉の嫁にやる約束も出来ていた。云わば一家同然です」
二日目、金右衛門と為吉は四谷と青山に親類があるので、江戸へ出た以上、そこを尋ねる、と云い出した。女たちも連れ立ち、四人は四谷塩町の親類へ寄って昼の馳走になり、それから千駄ヶ谷谷町に住む親類の下総屋――米屋をしている――を目ざして歩いた。江戸の勝手を知らぬ田舎者が道を訊き、迷い、また訊きながらの徒歩きである。埒があかぬうちに八ツ半(午後三時)頃、青山六道の辻にさしかかった。
「六道の辻って云うと、先生、幽霊が出そうで凄いでしょう。けれど道の都合で四辻が二つ続いていて、東から二筋、西から二筋、それに南北の大通りを入れて六筋になる勘定で、いつの間にか六道なんて呼ぶようになったんです。小役人や御先手の組屋敷がある片側町で、辻の片側に少し店が並んでいる。荒物屋の前で、百姓らしい男が柿を売っていました」
その柿の実を買おうとして、大小に袴、若党風の男が値段の掛け引きをしているところへ、浪人風の男が来かかり、相手をひと目見るなり気色を変えた。
「おのれ盗賊、見付けたぞ」
返事がどうあったかは判らぬ。浪人は腰刀を抜いて飛びかかり、若党は逃げかかる。浪人はうしろから右の肩先へ斬りつけ、倒れたところをさらに斬った。若党はその場で息が絶えた。芝居の立廻りより生々しい、血の匂いがする。
金右衛門ら四人が蒼くなって立ちすくむと、浪人は血刀を鞘に納めて振り向いた。
「おまえたちには気の毒だが、来合せたのが時の不祥だ。この場の証人になってくれ」
忌も応もない。柿売りの男と荒物屋の女房も引き立てられ、浪人は近所の水野和泉守屋敷の辻番所へ出頭した。そこで浪人は、自分は中国なにがし藩の伊沢千右衛門で、父兵太夫は御金蔵番、相役の山路郡蔵が金蔵を破って金箱を盗み、口止めを頼むのに情けをかけた父を不意に斬り、金箱を抱えて逃げた――父は深手ながら言い残して死んだ――ゆえに郡蔵は主家の盗賊であり自分の親の仇、暇をもらって探索し、京大坂、東海道をさぐり、江戸へ下って一年余、今日この六道の辻で見付けたので討ち果した、と筋道立てて申立てた。
「辻番所でも疎略には扱いません。お手柄だって湯を飲ませる。先生、昔の番所は、こういうとき妙に親切なんです。ところが――」
ところが、である。事件の法としては、まず本人を番所に留め置き、主人の屋敷へ通知し、屋敷から裃を持った迎えが来て身元を証し、受け取って行くことになっている。千右衛門は備中松山五万石、板倉周防守藩中だと云うので、番所は外桜田の板倉家へ使を出した。その使の帰りを待つあいだに、千右衛門は便所を借りたいと云い、油断して出してやると、それきり帰らない。横手は大きな竹藪で、そこを潜って逃げたらしい。使が戻って来ると、板倉家ではそんな者は知らぬという返事――さては偽物だ、となった。
「偽物だとしたら、ずうずうしい奴です。白昼人殺しをしておいて、仇討だといつわって、自分から番所へ届け出る。けれど、いきなり声をかけて斬り付けたところを見ると、両方が見識り合いなのは間違いない。斬られた若党は三十四五で、どこの屋敷の者か判らない。ふところの紙入れに二両ほど金があったそうで、軽輩の若党にしちゃあ、妙に懐中が重い……。二両ってのは、町人なら一月二月の暮らしを支えるほどの金ですからね」
老人はそこまで云って、煙草の火を落とした。猫が膝から降り、縁側の端で伸びをする。庭の青葉がさっと揺れ、どこかで巡査の笛が短く鳴った。明治の世の音である。
「この噂を聞いて、百姓の連中も舌を巻きました。成程お江戸は恐ろしい、とね。……いや先生、これだけで済めばいいんですが、まだ恐ろしいことが続々出来したんです。まあ、お聴きください」




