プロローグ:蟹の彫りもの
九月も末の夕方で、赤坂の場末へ降りる坂道には、どこか土の冷たさが混じりはじめていた。昼のあいだはまだ汗ばむのに、日が翳ると風が急に利いてくる。電燈の白い光が路地の石ころを浮かせ、屋台の焼き芋の甘い匂いが、鼻の奥へしみ込んだ。
僕が半七老人の家へ通うようになってから、もう幾年になるだろう。格子戸の中には、例の猫が丸くなって、僕の足音を聞くと、面倒そうに片眼だけを開ける。老人は縁側に坐って煙草盆の灰をならし、細い指で猫の背を撫でていた。奥では老婢が、湯呑みを温める音を立てている。火鉢の炭はまだ早い季節だが、茶の湯気が立つだけで、部屋の空気は少し落ち着く。
「先生、前の話が、菊人形で途切れましたねえ」
老人はそう云って、にこりとした。さきほどまで、団子坂の菊人形が、江戸の昔からあるようでいて、実はそれほど古いものでもない、といった筋を語ってくれた。芝居でいえば、幕の内が終わって、次の場へ移るところである。
団子坂――いまも本郷の坂道は人通りが絶えないが、あのあたりは昔、上野の山と根津の谷の間を抜ける要の道で、秋になると菊細工の見世物が出て、江戸っ子の目を惹いた。菊の花は、武家の紋にもなっているせいか、ただの草花では済まない。花を見て、世の移り変わりまで思うのは、江戸の人間の癖である。
「その団子坂で、異人の馬を盗んだ一件がありました。馬丁の平吉という男を召し捕って、ひとまず落着はしたんですが……。関わった女が一人、早く姿をくらまして、行方が知れなくなった」
老人は盃を手に取るような仕草をして、しかし酒は口へ運ばず、かわりに湯呑みを啜った。下戸だと云いながら、こういうところが、いかにも昔かたぎである。
「その女が、蟹のお角というんです。だんだん調べてみると、札付の莫連でね。腕に蟹の彫りものがあるという噂は聞いていましたが、両腕ばかりじゃない。胸のほうにも彫ってある」
老人の声は静かだが、その一語一語が、僕の胸へ落ちた。入墨というものを、近ごろは見世物のように語る者もいるが、江戸では、火消や鳶の粋や意地として彫る一方で、罪人の印として入れられる「入墨刑」もあった。だから肌に墨があるというだけで、世間の目が一段と冷たくなる。女ならなおさらで、奉公口も、住む長屋も、狭くなる。
「普通は背中へ彫るものでしょう。胸まで彫るのは、痛い。筋彫りだけで止めてしまう者も多いのに、女のくせに、乳のあたりへ蟹を仕上げたんですから……。それを見せつけて、相手をぎょっとさせ、嚇しにかかる。男より始末が悪い、というわけです」
猫が、ふっと尻尾を動かした。障子の外では、どこかで子どもの声がして、すぐ消えた。明治の東京には、もう江戸の闇はない、と人は云う。だが、闇が薄くなるほど、かえって人の影が濃く見えることもある。
「昔は、奉行所の白洲へ出て、さんざ不貞腐って係り役人を手古摺らせる悪い女が、幾らもいました。今はどうだか知りませんが……。お角も、その口です」
老人はそう云って、ふっと笑った。しかし笑いの底に、どこか苦いものがある。
「文久元年九月の団子坂の一件は、間もなく片づきました。お角は馬を盗んだ本人じゃない。手伝いをした、というだけで、罪も軽い方だった。だから、どこまでも跡を追って詮議するほどの事でもなかったんですがね……。結局、こういう女は無事に世を送れません。いつか必ず、お上にお手数をかけることになる」
僕は、湯呑みを置いた。老人の言葉は、芝居の台詞のようにきれいに運ぶのに、聞き終えると、胸の奥がざらつく。新聞記者の仕事は、出来事を新しい順に並べて書くだけではない。古い出来事の底から、人の業が、ふいに顔を出す。
「さて先生、これからがお話です」
老人は姿勢を正した。
「文久二年――その翌年の夏から秋にかけて、麻疹がたいへんに流行しました。安政のコロリに負けず劣らず、江戸じゅうが怯えた。七夕も盂蘭盆も、なにもめちゃめちゃでした。日本橋の上を通る葬いの早桶が、毎日二百も続いた、と云えば、お察しがつきましょう」
老人がそこまで云ったところで、僕は思わず息を呑んだ。葬列が二百――それは数字ではなく、町の匂いである。
「それでも達者で生きている者は、中元の礼も欠かせません。わたしの子分の多吉というのが、本所の番場まで砂糖袋をさげて行って、その帰りに両国のほうへぶらぶら歩いて来た。大川端は、片側が武家屋敷、片側が川。暮れると往来の少ないところでね」
老人は、僕の顔を見た。
「その多吉が、横網の河岸あたりで、向こうから二人の男が来るのに逢ったんです。二人は、早桶を差荷にして担いでいる。提灯も持たずに……」
電燈の下で、老人の眼だけが、行燈のように静かに光っていた。




