表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
364/427

プロローグ:団子坂の菊人形

 「幽霊の観世物」の話が一段落すると、半七老人は煙草盆の灰を小さくならして、縁側の猫を片手で撫でました。猫は眼を細めて喉を鳴らし、明治の家の障子越しに、秋の光がうすく滲んでいます。


 その日は九月の末で、赤坂の場末にも、夕方になると冷えた風が路地を通って来ました。昼間はまだ汗ばむほどでも、日が落ちると途端に肌が粟立つ。近ごろは電燈が増えて夜道が明るくなったぶん、闇にまぎれていたものまで白日のもとへ引きずり出されるようで、僕などは便利の陰で、なにか落ち着かぬ気分になることがあります。


 老人は急に、思い出したように言いました。


「先生、観世物つづきで、まだもう一つ、団子坂の菊人形の話があります。いまでも繁昌しておりますが、あれは江戸でも旧いものじゃございません。――もっとも、わたしが物識りぶるわけじゃありませんよ」


 団子坂の菊人形といえば、新聞の三面にも季節の話題として載ることがある。菊でこしらえた武者や姫君が、舞台の上で芝居の一場面を演じているように見える、あれである。けれど、老人が言うには、あの菊細工の起こりは文化九年、巣鴨の染井の植木屋が思いついて大当たりを取ったのが始まりで、評判に釣られて方々が真似をしたのだそうです。明治になってからは、いつの間にか団子坂が一手に引き受けたような形になって、菊細工といえば団子坂、と決まってしまった。


「――けれど先生、団子坂が最初から菊人形の本場だったわけじゃございません。あっちでまとまって見せるようになったのは、安政の半ば……ごろからだと聞いております。江戸という町は、面白いものでしてね。流行の芽が出ると、植木屋がそれを育て、見世物師が匂いをつけ、茶屋が焚きつけ、岡場所あたりの女たちが上手に口へ乗せる。すると、たちまち“昔からそこ”だったような顔をして、土地の名までも塗り替えてしまう。菊細工も、まさにそんな按配でございましてね。」


「団子坂って名も、もとは汐見坂しおみざかだそうです。坂の中途に団子屋がありましてね、それで団子坂と云い慣わして、江戸のおしまいのころの絵図にもダンゴ坂と書いてあるくらいです」


 老人の語り口は、昔の地名や風俗を、まるで昨日のことのように扱う。僕が帳面を膝に置くと、老人は「先生、そんなに急がなくても」と笑いながら、なおも続けました。


「この話は文久元年の九月です。西暦で云うと一八六一年――幕末ももう、風が荒くなって来た頃でしてね。その年の団子坂は、忠臣蔵の菊人形が大評判で、植梅という植木屋がこしらえたのが当たったと覚えています。ほかの植木屋も、思い思いの人形を出しました」


 いまの団子坂のあたりを僕はよく知らないが、老人の話の団子坂は、坂の両側に町屋が並んでいても、裏へ回れば武家屋敷や寺や畑ばかりで、ふだんは田舎のように寂しい所だったという。ところが菊人形の時節だけは江戸じゅうの人が押し掛けて、臨時の休み茶屋や食い物店が並び、柿や栗、すすき木兎みみずく――枯芒を束ねて作る土産のふくろうである――そんなものまで売り出して、まるで別の町のような賑わいになった。


 その賑わいのまん中で、事件が起きた。


「九月二十四日、昼八ツ――いまの時計で午後二時頃でしょう。三人づれの外国人が、菊人形を見物に来たんです。あの頃はみんな異人と云っていましたが、横浜の居留地の英国商人で、男が二人、女が一人。用向きも兼ねて江戸見物に出て来て、前の晩は高輪の東禅寺にある英国仮領事館に泊まり、きょうは上野から団子坂へ廻って来た」


 異人が江戸の往来を独り歩きできる時代ではない。幕府が東禅寺に張りつかせている別手組べつてぐみの侍が、警固と案内を兼ねて付き添った。異人三人も別手組二人も、みな騎馬だったという。


「ところが先生、根津から団子坂へかかると、道幅が狭い上に人が渦を巻いている。馬では通れません。で、坂下の空地をさがして、五匹の馬を立木につないで置いた。馬丁ばていを連れていないので、別手組の一人が馬の番をして、もう一人が異人たちを連れて坂を昇ったんです」


 異人が珍しい時代である。人々は立ち止まり、後ろからぞろぞろ付いて行く者まで出た。その折に、女が一人、男の異人にすれ違う拍子に、素早くポケットの紙入れを抜き取った。だが異人のほうも油断していなかったらしく、すぐに女を取り押さえた。


「女は、取った覚えがないと云い張る。袂も内ぶところも帯の間も探しても、紙入れが出ない。異人は取ったと云う。女は取らないと云う。持っていないんだから女が強い。仕舞いには泣き声で、異人が云いがかりをつけて泥坊の濡衣ぬれぎぬを着せる、皆さん加勢をしてくれ、って大声を出した」


 その一声で火がついた。異人嫌いの空気が、弥次馬の胸にたまっていたものを、いっぺんに噴き出させたのでしょう。二、三人が飛びかかって異人を殴ると、あとは早い。弥次馬が群れて、三人の異人を袋叩きにし、石まで投げる者が出た。男の異人の一人は頬を石で打たれて血を流した。


「別手組が一人で制しても、とても鎮まりません。刀を抜いて斬り払うわけにも行かない。多勢に無勢で、異人たちは真っ蒼になって坂下へ逃げ、弥次馬は閧ときの声をあげて追った。帽子もステッキも、買物の包みもみんな抛り出して、散らし髪で血だらけ――いや、飛んだ災難でした」


 逃げる途中、馬をつないだ空地へ戻ろうにも、人垣に遮られて近づけない。結局、命からがら池の端まで逃げた。追手が倦きたのか途中で散って、池の端へ来る頃には誰も付いて来なかったが、ここで困ったのが馬である。捨てて帰るわけにも行かない。しかし怖くて戻れぬ異人をなだめ、別手組二人が空地へ引き返してみると――五匹のうち二匹が消えていた。誰かがこの騒ぎにまぎれて盗んだに違いない。しかも一匹は異人の馬、もう一匹は別手組の侍、市川又太郎という男の馬だった。


「異人は三匹の馬で先へ帰しまして、別手組は徒歩で帰った。これで済んだようで、相手が異人ですから面倒になりました。乱暴者を処分して今後を戒めろ、と東禅寺のほうから掛け合いが来る。けれど弥次馬の誰が何をしたか判りません。捨て置けないのは、どさくさの馬泥坊です。異人の馬だけじゃなく、日本の侍の馬まで盗んだ。こいつは何とかして探し出さなきゃならない」


 老人は、茶碗の残り茶をすすって、ふっと肩を落としました。


「八丁堀の同心、丹沢五郎治さんの屋敷へ呼ばれましてね。半七、御苦労だが働いてくれ――そういうご命令です。まあ、仕方がありません。かしこまりました、と請け合って帰りました。……考えてみると先生、世の中には、いろいろ絶えないものでございますね」


 僕は帳面の端を押さえながら、団子坂の秋草の匂いと、弥次馬の熱気と、そして馬の蹄の音まで、老人の言葉の向こうに聞いた気がしました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ