エピローグ:心の闇
「……まあ、こういう訳なんでござんす」
半七老人は、すっかり冷たくなった番茶をすすった。鉄瓶の音だけが、静かな部屋に響いている。
「しかし……犬を、ですか。お紺も、恐ろしいことを考えたものですね」
僕は、背筋に冷たいものが走るのを覚えていた。
「へえ。わたくしも、最初はとんと見当が付きやせんでした。ですが、あの観音様での鶏騒ぎ。あれで、どうも鶏と鬼娘が、どこかで繋がってるに違いねえと睨んだんでさあ」
老人は、火鉢の灰を静かに掻き混ぜた。
「お紺が捕まってからは、江戸中が大騒ぎでね。『犬神使いだ』『鬼が犬に化けていたんだ』と、まあ尾ひれがついて。それだけ、世間様が怯えていたんでしょう」
「今日ならば、死骸の疵口を検めれば、人間の仕業か、獣の仕業か、すぐに判るでしょうがね。昔はそれが、どうにも判然としなかった。それだけに、探索も難儀いたしやした」
老人は、ふう、と息を吐き、火鉢の縁に手をかざした。
「ですがね、先生。昔はそういう、今じゃあ考えもつかねえような悪党が、確かにおりやした。それに比べりゃ、今の世の中は……いや」
老人は、そこで言葉を切り、薄く笑った。
「どうでしょうかな。やり口がちっとばかり変わっただけで、人の心の闇に棲む鬼は、今も昔も、そう変わらねえのかもしれやせんね」
赤坂の隠居所には、静かな時間が流れていた。
火鉢のほのかな暖気だけが、明治の夜の冷え込みを、わずかに和らげてくれているようであった。




