第四章:獣使いお紺
灯の明るい往来へ引きずり出されたのは、二十歳過ぎの女であった。
白地の浴衣は薄汚れ、顔は白粉で塗りたくられている。その目のふちをわざと青黒くぼかし、口唇には歯齦まで届くほど紅を濃く塗りつけ、物凄い形相を作り上げていた。
「とんだ芝居をする奴だ」
半七は、吐き捨てるように言った。
自身番へ引っ立てられた女――お紺は、狂女を装い、訳の判らぬことをわめき立てた。
だが、そこへ庄太と例の男が、息の絶えた大きな黒犬の死骸を引きずって現れると、お紺の狂言はぴたりと止まった。
お紺は、もと獣使いであった。 子供の頃から熊や狼を操る芸を仕込まれ、両国の見世物小屋や、方々の寺社の縁日で芸を披露していた。 腕は確かだったが、どうにもならぬ悪癖があった。大酒飲みであることと、手癖が悪いことだ。 金品はもとより、櫛、簪から煙草入れまで、手当たり次第に盗んだ。 これが度重なり、お紺は香具師の仲間から「構われ者」――武家風に言えば「奉公構い」つまり、追放の烙印を押され、どこの小屋にも出られなくなった。
流れ者となったお紺は、吉原の妓夫と一緒になり、堤下の孔雀長屋に流れ着いた。
孔雀長屋というのは、吉原の遊郭で働く最下層の者たちが住む、いわばスラムであった。日当たりも悪く、いつも湿っぽい匂いが立ち込めている。
亭主も素行の良くない男だったが、お紺も大酒をやめず、暮らしは困窮を極めた。洗い替えの浴衣すら持たぬ有り様だ。
こうなると、お紺の盗癖はいよいよひどくなる。
だが、店先で品物を掻っさらい、袋叩きに遭うという苦い経験から、お紺は己れの芸当を思い出した。
「味方」を作ることにしたのだ。
性質の獰猛な野良犬を二匹拾い集め、獣使いの技で仕込んだ。
暴れ熊を操るお紺にとって、犬を仕込むのは赤子の手をひねるより容易かった。犬は、主人の命令に絶対服従する忠実な僕となった。
そして、あの奇怪な化粧だ。
人を脅し、万一の時は狂女を装って逃れるための、お紺なりの知恵であった。
白地の浴衣、手拭い、跣足、そして物凄い化粧。
その背後には、常に影のように、獰猛な犬が一匹、従っていた。
鼻緒屋のお捨は、往来であったために脅されただけですんだ。
だが、酒屋のお伝は違った。お紺が物置に忍び込もうとしたところを、お伝に見咎められ、取り押さえられそうになった。その瞬間、犬がお伝の喉笛に飛びかかったのだ。犬は、敵の急所である喉笛を狙うよう、徹底的に仕込まれていた。
小間物屋の女房も、同じ運命であった。
そして、お作。
この時は、見咎められたお紺が、そのまま立ち去ればよかった。
だが、行水中のお作の、湯に濡れた白い肌を見たお紺は、一種の残酷な衝動に駆られた。血に飢えた犬を嗾け、その様を眺めていたのである。
浅草界隈で鶏を盗んでいたのも、お紺の仕業であった。
最初は犬が偶然、鶏を咬んだのを見た。それ以来、犬を使って鶏を捕らせ、千住あたりの鳥屋に売り捌いていた。
観音様で捕まったあの中間は、まったくの「人身御供」であったわけだ。
お紺は、三人も殺めてはいるが、いずれも自分の手は下していない。すべて犬を使った犯行であるという、その前代未聞の手口は、江戸中の評判となった。
お紺は引き回しの上、千住の小塚原で獄門にかけられた。
この時、捕物の際に生き残っていた、もう一匹の犬も、頑丈な口輪をはめられ、馬のあとから牽かれていった。
だが、武士の刀で畜生の首を斬るわけにはいかぬ。
犬は、主人の首が晒されている獄門台の下に、生きながら埋められた。首だけを土の上に出された犬は、幾日かの後に絶命したが、その後も刑場あたりでは、夜更けに犬の悲しい啼き声が聞こえると、人々を恐れさせたという。
お紺の亭主は、何も知らなかったとして重罪は免れたが、「平生の身持よろしからず」という罪で、入牢百日の上、江戸十里四方追放となった。




