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第二章:観音様の鶏

「それにしても、暑いな」


「まったくです。これで九月にゃあわせが着られやすかねえ」


「ちげえねえ。九月に帷子かたびらを着て震えてるかもしれねえぜ」


軽口を叩き合い、二人が浅草寺の仲見世なかみせに差しかかった時であった。

わあっ、というときの声とともに、前方の境内けいだいから大勢の人間がばらばらと駆け出してくる。往来の者も、何事かとそちらへ向かって走り出す。

えさを拾っていた境内のはとが、おびただしい羽音を立てて一斉に飛び立った。


「なんだろう」


「お堂の方ですぜ。喧嘩けんかか、巾着切きんちゃっきりでしょう」


江戸っ子は、相変わらず物見高い。

二人も、その流れに誘われるように仁王門をくぐった。


観音堂の前にそびえる大銀杏おおいちょうの木の下に、人だかりができていた。

その中心で、一人の男が木にくくりつけられている。

年は二十三、四。どこぞの武家屋敷の中間ちゅうげんらしく、木刀を差している。だが、両腕を荒縄で固く縛られ、みじめに座り込んでいた。

その前には、一羽の白いにわとりを抱えた男が仁王立ちになっている。

中間は散々なぐられたと見え、ほおには血がにじみ、髪も着物も乱れている。


「もし、どうしたんですえ」


土地の者である庄太が、顔見知りに声をかけると、男は憤然として答えた。


「こいつがよ、観音様に奉納された鶏をぬすんでめやがったんだ。真っ昼間から、ずうずうしい奴でさ」


浅草観音には、願掛けのために鶏を奉納する風習があった。境内にはそうした鶏が自由に歩き回っており、参詣客が豆などを与えるのも、のどかな風景の一つであった。


ところがこの頃、その鶏がたびたび姿を消すという。

土地の者らが内々で見張っていると、今朝、この中間が紙に包んだ米をき、鶏を木の陰に誘い込もうとしていた。

寺内に住む町屋まちやの連中が駆けつけ、問いただすと、中間は「餌をやっているだけだ」とうそぶいた。

だが、言い訳は通らない。ふところに、絞め殺されたばかりの白い鶏一羽を隠しているのが見つかったのだ。

たちまち、中間は引き倒され、袋叩きに遭ったというわけだ。


「これからどうするんです」と、半七がたずねた。


「おうよ。こいつはこのまま半日はんにちさらしたうえで、棒しばりにして、広小路から馬道、花川戸まで引き廻してやるんでさ」


寺内のこととはいえ、私刑しけいである。半七は顔をしかめた。


「そりゃあ、ちとむご過ぎる。なぜ自身番じしんばんへ突き出さねえんです」


鶏を抱えた男は、庄太の連れである半七をいぶかしげに見たが、口調は丁寧だ。


「それが、おまえさん。今朝に始まったこっちゃねえ。近頃、この界隈かいわいじゃあ、飼い鶏までられるんで、みんな腹に据えかねてるんでさ」


それを聞くと、今までうつむいていた中間が、かっとして顔を上げた。


「やい、こいつら!


 おとなしくしてりゃあ、図に乗りやがって!


 おれが取ったのはその一羽だけだ!


 手前たちの飼い鶏なんぞ知るもんか!


 おれが一人だからって、寄ってたかって……。


 部屋に帰ったら、仲間を連れてきて、てめえらの首を絞めてやる!」


「何をぬかすか、この狐野郎きつねやろう!」

数人がまた殴りかかろうとするのを、半七は片手で制した。


「まあ、待ちなせえ。きずでも付けたら面倒だ」

半七は中間に向き直った。


「お中間。おめえは、まったくこの一羽だけかえ」


「あたりめえよ! 部屋のみんなと鍋焼きにしようと思っただけだ。もう一羽と欲張ったのが運の尽きよ。ばかばかしい!」


「よし」と半七はうなずいた。


「たとい一羽でも、盗んだおめえが悪い。だが、まあ、我慢するがいい」

半七は、取り囲む連中のうち、顔役らしい三、四人を木陰へ呼んだ。


「いいかい。いくら寺内でも、私刑は穏当じゃねえ。万一、こいつが舌でも噛_切ったらどうする。あるいは、仕返しに大勢で殴り込んできたら?


 そうなったら、手を出したあんたがたも、おとがめなしとはいかねえぞ。これだけらしめりゃあ十分だろう。ここはこのまま、勘弁してやるのが無事ってもんだ」


半七の静かだが、有無を言わせぬ口調に、連中も頷くしかない。

縄が解かれた。


「こいつら、おぼえていやがれ!」

捨て台詞ぜりふを吐く中間に、半七はそっと近づいた。


「おめえ、それがおとなしくねえ。悪いことをして威張る奴があるもんか。黙って引き取りな」

言いながら、その手に二朱の金を握らせる。二朱といえば、4,000文。そば一杯16文から24文、酒が100文程度。

仲間内で盛り上がるには十分な費えである。


手の内にちらと目を落とした中間の顔色が変わった。


「どうも、済まねえ。御厄介ごやっかいになりやした」

ぺこりと頭を下げ、中間は人混みの中へ消えていった。


「親分、つまらねえ散財を」

庄太が追いつくと、半七は笑っていた。


「いいや。これで大抵たいていあたりも付いたようだ」


「え? あたりが付きやしたかい?」


「だが、もう少し考えてみよう。まだ、お膳立ぜんだてができていねえからな」

半七はそう言うと、観音堂の階段を上っていった。


二人はまず、馬道の鼻緒屋を訪ねた。

娘のお捨に会ったが、十五、六の小娘だ。恐怖が先に立ち、「牡丹ぼたんのような真っ赤な口を開けて笑った」こと以外、女の顔かたちは覚えていない。ただ、「どうも跣足はだしだったようだ」という証言が得られた。

次に、酒屋を訪ねた。

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