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プロローグ:赤坂の火鉢

 明治も中頃となり、文明開化ということばがそろそろ過去のものになるころ。


 吹き抜ける風が冬の訪れを告げる頃合いになると、僕は決まって赤坂の台町にある小さな隠居所を訪ねることになる。 神田明神下の岡っ引きとして、幕末の江戸を駆け抜けた半七老人の住まいである。


 僕が顔を出すと、半七老人は、いつもしわだらけの顔をほころばせて迎えてくれる。


「おお、先生。ようお越しくださいました。さ、どうぞ、こちらへ。ちいと冷えてきやしたから、火鉢でもあたってください」


 小綺麗な六畳間には、もう火のおこったきりの火鉢が鎮座していた。鉄瓶てつびんが、ちりちりと心地よい音を立てている。


 この老人の口から語られる「昔話」は、僕にとって何物にも代えがたい楽しみであった。それは、もはや公式の記録からはこぼれ落ちてしまった、生々しい江戸の息吹そのものだからである。


「いや、本当に寒くなりました。こうなると、熱燗あつかんが恋しいですね」

「へへ、先生はあいかわらずで。……そういや、こないだは『弁天娘』なんぞという、ちと色めいたお話をいたしやしたね」


 老人は火箸ひばしで灰をいじりながら、遠い目をした。


「ええ、実に見事な手口でした。女というものの怖ろしさ、とでも言いましょうか」


「左様で。ですがね、先生。女の怖ろしさと申しますと、弁天様もさることながら、江戸には『鬼』と呼ばれた女もおりやした」


「鬼、ですか?」


「へえ。文字通りの鬼でさあ。……もっとも、そいつぁ浅茅ヶあさじがはら鬼婆おにばばあなんぞとは、ちいとばかり訳が違いやすがね」


 半七老人は、湯呑みに注いだ熱い番茶を一口すすった。

 なお、浅茅ケ原の鬼婆は、今の東京都台東区・花川戸公園あたりの出来事で、用明天皇の御代らしいので、江戸時代からしてみると、昔話の趣は強い。

 というか、話半分の怪談?という感じが正直なところであろうか……


「そいつが江戸の町を騒がせたのは、文久元年の、蒸し返すような暑い夏でござんした。いやはや、あの年は妙な事件が続きやした。世の中が、何やらきな臭い匂いに満ちておりやしたからな……」


 老人の語りが始まると、赤坂の小部屋の空気はたちまち密度を濃くし、僕は文明開化の音も忘れて、文久年間の江戸の闇へと引きずり込まれていくのである。

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