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第七章:女髪結い・お国

「親分……? 髪の油、ですぜ」


 熊蔵が、訝いぶかしげに半七の顔を覗き込む。


「善昌様は尼御前あまごぜだ。油なんぞに縁はねえはず……」


 この時代の尼は、いまでいうおかっぱの「尼削ぎ(あまそぎ)」や、剃髪せずに「垂髪すべらかし」を結ぶ、髪の毛を短くして「茶筅髷ちゃせんまげ」にするなどあったが、いずれにせよ、結い上げるための油とは縁がない……はずであった。

 もちろん、善昌尼ぜんしょうにが剃髪していれば、なおさらである。


「そうだ、どうにもせねえ」


 半七は、弁天像から静かに視線を外し、再び傍らに控える信者の二人、薪屋の五兵衛と小間物屋の伊助に向き直った。


「五兵衛、伊助。ちと尋ねる」


 半七の声は、夏の熱気とは裏腹に、妙に冷ややかに響いた。


「善昌様は尼だ。だが、この弁天堂に、油を商う者、あるいは、油を扱う商売の者で、心安く出入りする人間はいなかったか。例えば、男か女の髪結い師とかな」


 この問いに、二人は顔を見合わせた。


 先に口を開いたのは、小間物屋の伊助であった。彼は商売柄、化粧道具や髪結いの道具も扱っている。


「髪結い、でございますか……。そういや、おります」

「ほう」

「隣町に住む、おくにという女髪結いで。善昌様とは古い馴染みとかで、もちろん信者の一人でもありやすが、誰よりも近しく出入りしておりやした。……それがしが、この弁天堂に元結もっとい(もとゆいの江戸詞)や梳すき油を納める時も、いつもお国が間に入っておりやしたから」

「お国……。年はいくつだ」

「さあ、四十を一つか二つ。独り身でございます」

「そのお国は、今、どこにいる」


 伊助は、はっとした顔で五兵衛を見た。

「そういえば、五兵衛さん。昨夜ゆんべから、お国を見かけやせんが……」

「ああ……。そういや、今朝の騒ぎにも顔を出さねえ。あのおしゃべりが、妙なこった」


 半七は、伊助に鋭く命じた。


「伊助。すまねえが、今すぐそのお国の家を覗いてきてくれ。きっと、まだこの騒ぎを知らねえんだろう」

「へい、合点だ」

 伊助は、ただならぬ半七の気配に押され、慌てて露路を飛び出していった。


 蒸し暑い六畳間に、重い沈黙が落ちる。

 半七は、目を閉じたまま、じっと何かを考えている。

 やがて、伊助が息を切らして戻ってきた。


「親分……! お国の奴、うちにいやせん。長屋の者の話じゃ、昨日の夕方、湯から帰って身支度を整えると、どこかへ出かけたきり、戻らねえそうで」


「……ふだんから、外泊とまりは多いのか」

「へい。独り者ですから、親類の家へ泊まるとか何とか言って、夜も帰らねえことは、たびたびあったそうで……」


 半七は、伊助の報告を最後まで聞くと、ゆっくりと目を開けた。

 その視線は、もはや信者の二人にはなく、畳の上に横たわる「首のない死体」に、まっすぐに注がれていた。

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