第四章:向島の小料理屋
良次郎の居場所は、十中八九、件の寮だろう。
お通と良次郎、それに、土蔵にいるはずの「おきわ」。
半七は、三人の行方を確かめるべく、今戸からそのまま向島へ向かった。
空はまた暗くなり、霧のような雨が降りだす。
途中で番傘を買い、竹屋の渡しで隅田川を越える。
葉桜の堤は、雨に煙って薄暗い。
もう昼に近い。
半七は、堤下の小料理屋に入った。うなぎの寝床のような、奥に細長い店だ。
土間に近い席に座り、しじみ汁と、青菜のひたし物で、遅い朝飯とも昼飯ともつかぬ食事を摂る。
しじみの滋味が、風邪気味の体に染み渡るようであった。
古ぼけた葭の衝立一枚を隔てた奥の席で、二人の男が酒を飲んでいる。
一人は、だみ声の年上。もう一人は、若い男だ。
はじめは小声だったが、酒が回ったか、だみ声の方が声を荒らげ始めた。
「ええ、おい、良さん。あの餓鬼を、どうかしてくれねえか。どうせ田の草取りでもしてた日向くせえ女だ。おめえの気に入らねえのは分かるが、そこを我慢して往生してくれ。あいつに逃げられちゃ、こっちが困る」
若い男――良さん、と呼ばれた男は、黙っている。
「足止めにゃあ、慾得だけじゃ足りねえ。そこで、色男の出番だ。恋だ情けだの、しがらみで繋ぎ止めろ。なにも一生の女房にしろってわけじゃねえ。ちいとの間の辛抱だ」
「……そんな、罪なこたあ」
若い男が、ようやく溜息まじりに言った。
「聖人みてえな面をしやがって」
だみ声の男――六蔵というらしい――は、あざ笑った。
「おめえだって、お嬢さんと駆け落ちしたっていう、お墨付きの色男じゃねえか。今更、毛の色は白くならねえぜ」
「あっしも、今になっちゃ後悔してる。……おかみさん(お糸)に口説かれて、よんどころなく引き受けたが、とんだ間違いだった。世間様に後ろ指をさされ、おっ母にも苦労をかけ……。もう、誰が何と言おうと、そんな相談には乗らねえ。あのお通って娘も、帰りたがるなら、帰してやりゃあいい」
「帰してよけりゃあ、苦労はねえ」
六蔵は、急に声を低くした。
「あんな小娘でも口がある。うっかり帰し、世間に何をしゃべられるか。……どうしても、おめえの『おまじない』が要るんだ。なあ、良さん。毒を食らわば皿までよ。おめえも、一度引き受けた身じゃねえか」
「おい、良さん。今こそ堅気の寮番なんぞでくすぶっちゃいるが、この六蔵、これでも左の腕にゃあ、ちいとばかり『お客人』がいらあ。一旦こうと言い出したからにゃ、嫌も応もねえ。そのつもりで返事しろ」
酒の勢いも手伝い、脅し始めた。
(……これで、役者が揃った)
半七は、飯代の銭を卓に置き、衝立の向こうへ声をかけた。
「もし。ちと、お賑やかですな」
「お、おう。騒々しくて、どうも」
「お察し申します。だが、この頃は世の中が逆さまで、年寄りの言う方が間違ってることも多々ある。今の一件なんぞは、そっちの若い衆の言う方が、よほど道理に聞こえやしたぜ。……なあ、良次郎さん」
「!」
名を指され、二人は息を呑んだ。
半七は、衝立を押しのけて、二人の前に立った。
「左の腕に、『お客人』がいるという小父さん。あんまり若い衆をいじめるもんじゃねえ。どうせ霊岸島からは、縄付き(なわつき)が出るんだ。その道連れを、わざわざこしらえるこたあねえだろう」
「て、てめえ……何者だ!」
六蔵が、腰を浮かせ、懐へ手を入れようとする。
その腕を、半七は電光のごとく掴み、捻じ上げていた。
「ぐっ!」
六蔵の手から、匕首が畳に転がる。
「神田の半七だ。……おとなしく、あんたの寮へ案内してもらおうか」




